2018年8月12日 (日)

生長の家講習会のご案内(8月・9月)

 「生長の家」の教えとはどのようなものなのか知りたい、学びたいとお考えの方は、是非「生長の家講習会」にご参加ください。全国59会場で2年に1度開催される講習会では、生長の家総裁・谷口雅宣先生、生長の家白鳩会総裁・谷口純子先生のご講話を直接聴くことができます。また、信徒の体験談や聖歌の合唱なども行われて、1日ゆったりと教えを学ぶことができます。

 開催教区以外の方、信徒でない方も自由に参加できます。日時と会場をご確認の上、ぜひご参加ください。

◆講習会日程◆

◎2018年8月の予定

 26日(日) 北見・釧路

       北見市 メイン会場 北見芸術文化ホール
       釧路市 サブ会場  釧路市民文化会館 小ホール

  ※メイン会場については、北見教化部へ、 サブ会場については、釧路教化部へお問い合わせください。

◎2018年9月の予定

 9日(日) 札幌・小樽

       札幌市 メイン会場 真駒内セキスイハイムアイスアリーナ
       恵庭市 恵庭会場  恵庭市民会館
       小樽市 小樽会場  小樽経済センター

  ※メイン会場については札幌教化部へ、サブ会場については小樽教化部へお問い合わせください。

 16日(日) 島根・鳥取 

       安来市 メイン会場 安来市総合文化ホール アルテピア 
       出雲市 出雲会場  平田文化館 
       大田市 大田会場  仁摩農村環境改善センター 
       益田市 益田会場  ホテルサンパレス益田 
       倉吉市 倉吉会場  倉吉未来中心 大ホール 

  ※上段4会場については島根県教化部へ、下段1会場については鳥取県教化部へお問い合わせください。

 30日(日) 千葉・茨城

       千葉市 メイン会場  幕張メッセ国際会議場 
       松戸市 松戸会場   松戸市民会館 
       千葉市 教化部会場  生長の家千葉県教化部 
       ひたちなか市 ひたちなか会場 ひたちなか市文化会館 
       つくば市 つくば会場 つくば国際会議場 
       古河市 古河会場   スペースU古河 

  ※上段3会場については千葉県教化部へ、下段3会場については茨城県教化部へお問い合わせください。

※時間はいずれも午前10時〜午後2時です。

※詳細は、最寄りの生長の家教化部へお問い合わせください。

◆講習会テキスト◆

谷口雅春先生『新版 光明法語〈道の巻〉』

谷口雅宣先生『凡庸の唄』

                      (牧野尚一:H30.08.12)

2018年8月10日 (金)

残暑お見舞い申し上げます

180810


 夏の花は、やはり・・・・!

 それでいて夜は元気な虫の音も。

 昼は夏、夜は秋の今日この頃です。

                     (牧野尚一:H30.08.10)

2018年8月 7日 (火)

人間は神の自己実現

 生長の家創始者・谷口雅春先生には沢山のご著書がありますが、その一冊に『新版 光明法語 【道の巻】』(日本教文社刊)があります。
  1月1日から12月31日まで、珠玉の真理のお言葉が綴られた366日の箴言集です。(2月29日もあります)

 「八月の法語」は「人間は神の自己実現」です。

1.人間は神の自己実現

 「八月一日の法語 健康と祥福は万人倶有(ぐゆう)」には、次のようにあります。

『誰でも皆(みな)、最善の健康と最善の祥福(しょうふく)とを楽しむことが出来るのである。何故(なぜ)なら人間は皆神の子であるからである。それが出来ないのは、神の子たる実相(じっそう)を自覚しないか、神の子たる生活を生活しないからである。健康と祥福(しょうふく)とは、特別に或る人にのみ与えられたる恩恵(おんけい)ではない。眼をひらいて天地の真相(しんそう)を見よ。そこに光かがやく光明(こうみょう)の世界を見出すであろう。眼を開いて自己生命の実相が「神の子・円満完全」であることを見よ。病(やまい)いや不幸に心の眼を振り向けても光は見えない。』(p.203)

 『人間は皆神の子である』

 これが「生長の家」の根本的真理です。それゆえ、だれもが皆、最善の健康と、最善の祥福を享受できるのです。そのためには、ただ、

 『眼をひらいて天地の真相(しんそう)を見る』
 『眼を開いて自己生命の実相が「神の子・円満完全」であることを見る』

ことが大事です。

 この場合の『眼』は、「実相」を観る眼、叡智の眼、ということです。
 「生長の家」では、この『眼』を明らかにする方法として「生長の家」の座禅的瞑想法である「神想観」の実修をお薦めしています。

 「生長の家」の座禅的瞑想法である「神想観」の詳しい実修法につきましては、下記の書籍をご参照ください。

生長の家創始者・谷口雅春先生『新版 詳説 神想観』(日本教文社刊)
前生長の家総裁・谷口清超先生『神想観はすばらしい』(日本教文社刊)
生長の家総裁・谷口雅宣先生『生長の家ってどんな教え?』(生長の家刊)

 「八月二十日の法語 人間は神の自己実現」には、次のようにあります。

『人間が神の自己実現であることは、直覚認識によって知ることが出来るのである。『法華経(ほけきょう)』にある「仏と仏とのみよく諸法実相(しょほうじっそう)を究盡(ぐうじん)したまえり」であり、『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』にある「仏ほとけに伝えてよこしまなることなき」である。天地普遍(てんちふへん)の仏の生命(いのち)と、自己にやどる仏の生命(いのち)と、カチカチ触(ふ)れ合(あ)う底(てい)の直接覚(かく)によって、われ神の自己実現なりとわかるのである。これによってキリストはみずから神の子なりと言い、これによって釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)は「天上天下(てんじょうてんが)唯我独尊(ゆいがどくそん)」と説いたのである。』(pp.215-216)

 「生長の家」の座禅的瞑想法である「神想観」を毎日実修しておりますと、神の創造された「実相世界」の素晴らしさが自然と分かってまいります。

 キリストの自覚、釈迦牟尼仏の悟りと同じ境涯に立てるのですから、ありがたいですね。
 しかも、自分だけが「神の子」なのではありません。 「神」の素晴らしさはもとより、「自然」とすべての「人間」がことごとく「神様」の生命の展開と分かるのですから、感動です。

2.拝む者のみ拝まれる

 「八月三十一日の法語 拝む者のみ拝まれる」には、次のようにあります。

『文殊菩薩(もんじゅぼさつ)が維摩居士(ゆいまこじ)を訪ねたときに、維摩(ゆいま)は「あなたは色々の仏の国土へ神通力(じんつうりき)で自在においでになりましたが好上妙(こうじょうみょう)の功徳(くどく)を成就(じょうじゅ)せる仏国土(ぶっこくど)は何処(どこ)ですか」と問うた。文殊菩薩は答えて「東方(とうほう)に須弥相国(しゅみそうこく)というのがあり、その国の仏を須弥燈王如来(しゅみとうおうにょらい)と言い、身長(みのたけ)八万四千由旬(ゆじゅん)あり、その獅子座(ししざ)は高さ八万四千由旬(ゆじゅん)で実に素晴らしいものです」と言った。維摩はこの時、自分の室(へや)に、この広大なる獅子座を来入(らいにゅう)せしめた。維摩の方丈(一丈四方)の室中(しつなか)に八万四千由旬(一由旬は九哩)の獅子座が入(はい)る事が出来たのは、自己の中に一切(いっさい)世界が存在する真理の象徴(しょうちょう)である。』(p.223)

  維摩の方丈(ほうじょう)は、一丈四方(しほう)、即ち約3メートル四方の小さな部屋に過ぎません。
 一方、須弥燈王如来(しゅみとうおうにょらい)の獅子座(ししざ)は高さ八万四千由旬(ゆじゅん)。一由旬は九哩(マイル)だそうですから、
 1マイル=1609.344 メートル(約1.6㎞)ですので、

 獅子座の高さ=84,000×1.6㎞=134,400㎞

 ちなみに地球の半径は6,378㎞ですから、直径は12,756㎞

 というわけで、3メートル四方の維摩居士の方丈に、地球の約十倍の獅子座が綺麗に納まったというのですから、

『維摩の方丈(一丈四方)の室中(しつなか)に八万四千由旬(一由旬は九哩)の獅子座が入(はい)る事が出来たのは、自己の中に一切(いっさい)世界が存在する真理の象徴(しょうちょう)である。』というわけですね。

 自己の内には神の全て(実相の全宇宙)がある、という象徴です。
 すべての人の内には、みな神の全て(実相の全宇宙)がある、という象徴です。

 谷口雅春先生には、『維摩経解釈』(日本教文社刊)というご本がありますので、ぜひ熟読・味読ください。
 ちなみに、この須弥燈王如来の獅子座を維摩居士の方丈に納めた話は、同書の271頁から詳しく説明されてあります。

 それによりますと、維摩居士が文殊菩薩に「どうぞこの宝座におつきください」と申し上げると、文殊菩薩はたちまち自身の身長を宝座の高さに変じてその宝座におつきになりました。
 この光景を目にした釈迦の弟子の舎利弗(しゃりほつ)達は、自分たちにはとてもあのような高い宝座には登れないと躊躇しました。

 すると維摩居士は、「須弥燈王如来(しゅみとうおうにょらい)に感謝なさい」と言いました。舎利弗達が礼拝し、感謝しましたら、忽ち皆その宝座に坐することが出来たということです。

 宇宙創造の大神様を、一切の自然を、すべての人々を礼拝し、感謝したとき、誰もが百事如意の宝座に坐することができるというわけです。 「礼拝」と「感謝」、これが大切ですね。

 「礼拝」と「感謝」、これが「生長の家」であり、「宗教」です。

3.天地一切のものに礼拝し、感謝するとき

 「生長の家」の「大調和の神示」(谷口雅春先生著『御守護 神示集』日本教文社刊には、次のようにあります。

『汝ら天地一切(てんちいっさい)のものと和解(わかい)せよ。天地一切のものとの和解が成立するとき、天地一切のものは汝の味方である。天地一切のものが汝の味方となるとき、天地の万物何物も汝を害することは出来ぬ。汝が何物かに傷つけられたり黴菌や悪霊に冒されたりするのは汝が天地一切のものと和解していない証拠であるから省(かえり)みて和解せよ。われ嘗(かつ)て神の祭壇の前に供物(そなえもの)を献(ささ)ぐるとき、先づ汝の兄弟と和せよと教えたのはこの意味である。汝らの兄弟のうち最も大なる者は汝らの父母である。神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ。天地万物と和解せよとは、天地万物に感謝せよとの意味である。本当の和解は互いに怺(こら)え合ったり、我慢し合ったりするのでは得られぬ。怺えたり我慢しているのでは心の奥底で和解していぬ。感謝し合ったとき本当の和解が成立する。神に感謝しても天地万物に感謝せぬものは天地万物と和解が成立せぬ。天地万物との和解が成立せねば、神は助けとうても、争いの念波は神の救いの念波を能(よ)う受けぬ。皇恩に感謝せよ。汝の父母に感謝せよ。汝の夫又は妻に感謝せよ。汝の子に感謝せよ。汝の召使(めしつかい)に感謝せよ。一切の人々に感謝せよ。天地の万物(すべてのもの)に感謝せよ。その感謝の念の中(うち)にこそ汝はわが姿を見、わが救(すくい)を受けるであろう。われは全(すべ)ての総(すべ)てであるからすべてと和解したものの中にのみわれはいる。われは此処(ここ)に見よ、彼処(かしこ)に見よと言うが如くにはいないのである。だからわれは霊媒(れいばい)には憑(かか)らぬ。神を霊媒に招(よ)んでみて神が来ると思ってはならぬ。われを招(よ)ばんとすれば天地すべてのものと和解してわれを招べ。われは愛であるから、汝が天地すべてのものと和解したとき其処(そこ)にわれは顕(あらわ)れる。(昭和六年九月二十七日夜神示)』(pp.6-8)

 『われ(神)を招ばんとすれば天地すべてのものと和解してわれ(神)を招べ。われ(神)は愛であるから、汝が天地すべてのものと和解したとき其処にわれ(神)は顕れる。』
 とありましたが、

 神示の中に『天地万物と和解せよとは、天地万物に感謝せよとの意味である。』
 とあります。従いまして、

 『天地すべてのものと和解したとき』即ち『天地すべてのものに“感謝”したとき』そこに「神様」が、「神様の世界」が現出しているというわけです。

 また、この神示に『われ(神)は愛である』とお示しいただいています。
 「神は愛なり」というこのお言葉にいつも深く感銘いたします。

 とかく「神」は罰を与える怖い存在と誤解したり、天変地変もすべて神の責任と誤解する人もいるようですが、

(1)神の創造された実相世界は、完全円満・永遠不滅・無限生長・無限創造の世界で、欠けることのない完璧な世界です。そこには、不完全も、悪も、天変地変もありません。神は無限の力のご存在ですから、善一元、真一元、美一元です。
 これを「生長の家」では、「唯神実相」といっています。神の創造された実相世界は、ただ神のみ独在し、完全円満・永遠不滅・無限生長・無限創造の世界である、という真理です。

(2)不完全と見える現象世界は、人の心が現した世界ですので「唯心所現」といいます。ただ心の現した世界ですので、人の心が整い、神様の創造された実相世界と心の波長を合わせますと、神様の実相世界がそのまま投影するようになるわけです。

(3)従いまして、「神は無限の大愛」そのものであって、人間に罰を与えたり、天変地変を起こすようなご存在ではありません。ただ赦し、ただ愛し、ただ癒やしてくださる「無限の大愛」そのものでいらっしゃいます。

 『われ(神)を招ばんとすれば天地すべてのものと和解してわれ(神)を招べ。われ(神)は愛であるから、汝が天地すべてのものと和解したとき其処にわれ(神)は顕れる。』

 このお言葉を、何回も何回も心の中で復唱して、「無限の大愛」でいらっしゃいます神様の深い大愛にしみじみと感謝し、礼拝いたしましょう。
 神様のこの素晴らしい「真理」の大宣言をいただき、ただただ感謝と礼拝あるのみですね。

 そしてまた、この神示の冒頭には、
『汝ら天地一切(てんちいっさい)のものと和解(わかい)せよ。』
 とあります。

 天地一切ですので、人類はもとより、地球のすべての生物・植物・鉱物と和解(感謝と礼拝)が大切ですね。

 「生長の家」が、今、地球的規模で人類の最大の課題となっている地球環境問題に積極的に取り組んでおりますのも、この神様の創造の顕れである「天地一切」の生命(地球のすべての生物・植物・鉱物、そして人類)への「感謝」と「礼拝」の教えに基づいています。

 21世紀をリードする「生長の家」の全相を識りたい方には、生長の家総裁・谷口雅宣先生の次の2冊をまずお薦めいたします。

・谷口雅宣先生著『生長の家ってどんな教え?』(生長の家刊)
・谷口雅宣先生著『宗教はなぜ都会を離れるか? ~世界平和実現のために~』(生長の家刊)

 そして今、 「生長の家」がこの至高の真理の宣布と共に、時代に即応して何を目指しているかを明確に知っていただくために、ぜひ、 「生長の家」の「環境方針」も熟読・味読ください。

                     (牧野尚一:H30.08.07)

2018年8月 3日 (金)

初心に帰る

 前生長の家総裁・谷口清超先生には沢山のご著書がありますが、その一冊に『伸びゆく日々の言葉』(日本教文社刊)があります。
  1月1日から12月31日まで、珠玉の真理のお言葉が綴られた366日の箴言集です。(2月29日もあります)

1.初心に帰る

 八月の章は「信仰の姿勢」です。 「八月一日 初心に帰る」には、次の様にあります。

『人はつねに“初発心(しょはっしん)”を忘れてはならない。人はとかくこれを忘れて、傲慢(ごうまん)になり下る。生れたのも、自分で勝手に生れたように思い上るが、生れたのではなく、生み出されたのである。信仰も、自分で勝手に得たのではなく、与えられ、導かれ、授けられたのである。誰から与えられたかというと、神から与えられた。神性・仏性なるが故に、神を見出し、仏を礼拝する。その与えられた本源につねに感謝し、初心に帰るのが正しい信仰である。いつの間にか先輩ぶったり、先生面(づら)をして、わしがわしがと、我を張っていないかを、日々反省しなければならない。』(p.176)

『生れたのも、自分で勝手に生れたように思い上るが、生れたのではなく、生み出されたのである。』

 大いなるものに生かされている自分であるとの感謝の思い、これが大切ですね。わしが、わしがと、「我」を張るのが信仰ではありません。ニセモノの「我」が無くなって、大いなるものに生かされている私(真我)であったと、感謝のみに満たされ、生かされていることに気づくのが信仰です。

『信仰も、自分で勝手に得たのではなく、与えられ、導かれ、授けられたのである。』

 「生長の家」に触れ得た契機・動機は、皆、千差万別でしょうが、まさに神縁なくしては「生長の家」を識ることはできませんでした。人類74億の人々の中で、まだまだ「生長の家」を識らない人の方が多いのですが、その「生長の家」に触れ得た神縁にまず深く感謝いたします。

2.主なる神を愛す

 「八月一日 初心に帰る」(p.176)には、次の様にありました。

『(信仰は)誰から与えられたかというと、神から与えられた。神性・仏性なるが故に、神を見出し、仏を礼拝する。その与えられた本源につねに感謝し、初心に帰るのが正しい信仰である。』

 「生長の家」に触れることが出来たのは、表面的には皆、千差万別です。が、実はすべて「神様」のお導きだったのです。あの人から伝えられた、偶然「生長の家」の「月刊誌」を手にした、書店で「生長の家」の本を手にした、etc.
 でも、実はすべて「神様」のお導きだったのです。神縁を結んでくださった方には感謝です。しかし、一番の、そして唯一の導き手は、 「神様」だったのです。

 それゆえ、その「神縁」を与えてくださった本源なる「神様」につねに感謝し、初心(神様の御心)に帰るのが正しい信仰です。

 マタイ伝の二十二章で、イエスが「『なんじ心を盡くし、精神を盡くし、思いを盡くして主なる汝の神を愛すべし』これは大にして第一の誡命(いましめ)なり」といっているとおり、私たちはその主なる、本源なる「神様」にこそ深く感謝し、その「神様」を深く愛すること、それが「生長の家」の信仰です。

 しかもその主なる「神様」は、宇宙に遍満していると同時に、すべての人々の内に、自己の内に内在しているのです。その内在神が、常に私たちを護り、導いてくださっているのですから、ありがたいですね。自己の内なる「神性・仏性」が光り輝いて、神の道を照らしてくださる。誠に「生長の家」の信仰は素晴らしいですね!

3.無限生長・無限創造

 「八月一日 初心に帰る」(p.176)には、次の様にありました。

『いつの間にか先輩ぶったり、先生面(づら)をして、わしがわしがと、我を張っていないかを、日々反省しなければならない。』

  増上慢や偽我慢心に陥るのは、根本的に「神様」が、 「実相世界」が無限生長・無限創造そのものと識らないことから生じます。

 生長の家創始者・谷口雅春先生『人間そのものの発見とその自覚』(日本教文社刊)に次のようにあります。

『これが最後のギリギリの悟りだなどというものは、それはなかなか誰にも得られない。最後の一番最高完全な悟りというものが得られないのは、この世界は「無限生長の世界」と説かれているのでもわかります。無限生長ということは幾ら生長してもまだまだ前途遼遠(りょうえん)に生長するという意味であります。だから、もし「もうわしは悟った。これで最後の悟りだ。自分は一番偉いんだ」と思ったならば、それは一番偉いんではなくて、それは途中で天狗になったというわけであります。』(pp.92-93)

 即ち、 「神様」は、そして「神様」の創造された実相世界は無限生長・無限創造の世界ですから、ENDが無いわけです。だから素晴らしいのです。終わりがあっては何と空しいことでしょう。しかし、 「神様」は無限そのものですから、無限生長、無限創造そのものです。

 したがって、 「真理」の探求(求道)にも終わりがないのです。説いても説いても説き尽くせないのが「真理」です。従って釈迦が誕生し、キリストが誕生しても、なお「真理」は説き尽くせません。 「唯神実相」「唯心所現」「万教帰一」といった「生長の家」の基本的真理は不変ですが、 総裁先生 がこれらの基本的な「真理」とともに次々に時代相応の「真理」をお説きいただくのも、 「神様」が無限であり、 「実相世界」「真理」そのものが無限だからです。これからも、永遠に学び続ける道(真理)があるということは、何と嬉しく、楽しいことでしょう。

 譬えていえば、 「真理」は、 「実相世界」は無限に続く「歓喜」の交響曲といって良いでしょう。第一楽章も素晴らしいですが、それに続く第二楽章がまた素晴らしい! そして第三楽章、第四楽章、第五楽章と「歓喜」の交響曲の楽章は無限に続き無限に鳴り響いて、無限に生長し、発展し、創造が続いてゆくのです。

 「神様」が、 「神様の世界」が無限生長・無限創造の存在で、従って私たち「神の子」も無限生長・無限創造の存在であることは、たとえば、

・谷口雅春先生著『聖経 真理の吟唱』(日本教文社刊)
  「わが内に溢れる生命の大河を自覚する祈り」

・谷口雅春先生著『聖経 続真理の吟唱』(日本教文社刊)
  「神の無限創造を生きる祈り」

 等を、熟読・味読ください。
 あなたに、 「神様」の新たな無限の智慧が、アイディアが、ますます無限に湧き出てくるに違いありません。

 21世紀をリードする「生長の家」の全相を識りたい方には、 生長の家総裁・谷口雅宣先生 の次の2冊をまずお薦めいたします。

・谷口雅宣先生著『生長の家ってどんな教え?』(生長の家刊)

・谷口雅宣先生著『宗教はなぜ都会を離れるか?--世界平和実現のために--』(生長の家刊)

 そして今、 「生長の家」がこの至高の真理の宣布と共に、時代に即応して何を目指しているかを明確に知っていただくために、ぜひ、 「生長の家」の「環境方針」 も熟読・味読ください。

                     (牧野尚一:H30.08.03)

2018年7月31日 (火)

<西日本豪雨>から学ぶべきこと

 インターネットに『<西日本豪雨検証>伝わらぬ切迫感 誤解生んだ緊急メール』7/31(火) 8:00配信 毎日新聞 とありました。

 西日本豪雨で11府県に出された大雨特別警報の対象は186市町村にも及んび、2013年度に制度化されてから10回目の発表となった大雨特別警報で、気象庁は前代未聞の規模で「最後通告」を発していました。各自治体は気象庁の情報などを基に避難勧告・指示を最大約863万人に出しましたが、その切迫感が自治体や住民には十分に伝わらず、土砂崩れや浸水被害が多発。犠牲者は30日現在の「毎日新聞」集計で221人に上るという、「平成最悪」の広域豪雨災害となってしまいました。

 二度とこのような痛ましい結果にならないためにも、この「毎日新聞」の記事を元に今回の経緯を振り返っておきますと、

【広島市と倉敷市の雨量と気象庁などの動き】

 7月5日朝。登庁した気象庁の主任予報官は自席のパソコンで目を通した予報資料に驚きました。梅雨前線の停滞で日本列島の広い範囲で今後3日間、24時間雨量が200ミリを超えるという、これまでに見たこともないデータに「大きな河川が氾濫するかもしれない」と焦りを募らせました。

 報告を受けた上司の予報課長は、梅雨前線による大雨では異例の記者会見を開くべきだと考え、気象庁長官が「やりましょう」と決断。
 予報官は5日午後2時からの記者会見で「西日本から東日本で記録的な大雨になる恐れがある」と強調しました。そして、6日午前10時半からの会見では、「最後通告」と位置づける大雨特別警報発表の可能性にも言及しました。

 6日午後5時10分、まず福岡など九州3県に最初の大雨特別警報が出され、8日までに順次拡大し、最大級の警戒を呼びかける「これまでに経験したことのないような大雨」の表現が繰り返されました。
 各自治体は気象庁の情報などを基に避難勧告・指示を最大約863万人に出したましたが、土砂崩れや浸水被害が多発。犠牲者は30日現在の「毎日新聞」集計で221人に上るという、未曾有の広域豪雨災害となってしまいました。

 小田川の氾濫で51人が死亡した岡山県倉敷市真備町地区のお一人は、気象庁が6日に開いた会見をNHKで見たが、ピンとこなかったそうです。午後9時ごろ自宅前の水路があふれましたが、「排水ポンプがあるからまだ大丈夫」と安心していましたが、間もなく自宅が浸水。自衛隊のボートで2階から救助されました。「気象庁や市は情報発信してくれたのに鈍感だった。『生きるか死ぬか』の出来事だと思えなかった」と反省したそうです。

 気象庁は打てる手を打ったとはいえ、甚大な被害を受けて情報発信のあり方が見直しを迫られるのは避けられません。菅義偉・官房長官は12日の記者会見で「ここ数年、従来と桁外れの豪雨被害が繰り返し発生している。防災気象情報と避難情報の連携を含めてしっかり検証する必要がある」と述べたとのことです。

 静岡大学防災総合センター長の岩田孝仁教授は「特別警報など新たな情報が創設され、避難勧告が低く見られた結果、住民が逃げない一因になっているのではないか。今回は気象庁の危機感が十分に伝わらなかった。状況が差し迫っているなら市町村長が直接呼びかけたり、首相や官房長官が会見したりすることも検討すべきだ」と指摘しているそうですが、正鵠を得た提言ですね。

 ◇「決壊南側だから大丈夫だと」

 5日夜、広島市危機管理室は普段の6倍の12人態勢を敷いたそうです。既に市内には大雨警報が出ており、同室の災害対策課長は6日午前6時半に出勤し、予想雨量から土砂災害の危険度を5段階に色分けしてパソコン画面の地図に示す「メッシュ情報」のチェックを続けました。そして、避難情報発令のタイミングを計り、8区役所と連絡を取り合いました。

 「これまでに経験したことのないような大雨になっています」と、午後7時40分に大雨特別警報が広島県内に発表される直前、広島地方気象台から連絡がありました。大雨警報が出てから34時間以上が経過しています。「土壌は相当水を含んでいるはずだ。早くやんでくれ」と災害対策課長は祈りましたが、地図は危険度が最も高い紫色で埋まっていきました。そして市は午後6時過ぎから、各区に出された避難勧告を避難指示に順次引き上げました。

 課員たちの脳裏には、市北部で死者が77人に上った2014年8月の土砂災害がよぎったそうです。市は避難勧告の遅れを批判され、避難所開設を待たずに発令できるよう地域防災計画を改正しました。しかし今回の豪雨では市内で23人が犠牲になり、大半が勧告を出した地域にいた方々でした。災害対策課長は「大雨特別警報は初めての経験で、我々の危機感は強かった。まだ住民への伝え方が足りないのか……」と悩んでいるそうです。

 防災情報がうまく活用されなかったケースもあったそうです。国土交通省は16年9月、前年の関東・東北豪雨を受けて河川の洪水情報を知らせる緊急速報メールの配信を始めました。岡山県倉敷市真備町地区を流れる小田川も今年5月から対象となり、同省岡山河川事務所は7日午前0時47分、右岸(南側)の堤防を川の水が越えたことを配信しました。小田川は7日朝にかけて支流を含む8カ所が決壊し、被害は左岸に当たる北側が大きかったのですが、午前6時52分に北側での決壊を確認した後も新たなメールを配信しませんでした。

 倉敷市は決壊確認前の7日午前1時半、真備町地区全域に避難指示を出しており、同事務所は「既に住民に危険が周知されていると思った」ということです。しかし、小田川北側にある自宅が2階まで浸水したお一人は「メールを読んだが、氾濫したのは南側だから大丈夫だろうと思った。右岸とか左岸とかいう表現も分かりづらく、方角で知らせてほしい」とのことでした。

 ◇完成ダム「信じて失敗」

 「土石流に襲われるという発想がなかった。住み始めて四十数年間こんな目に遭ったことはなかった。ダムを信じたのが失敗だった」。10人以上が亡くなった広島市安芸区矢野東7の梅河(うめごう)団地に住むお一人は、6日夜、近くの山が崩れた時に自宅で過ごしていました。

 市は午後6時5分に避難勧告を発令していましたが、長年要望してきた治山ダムが3月に完成しており「大丈夫だろう」と思っていました。ただ、ダム完成後、市の職員は「ダムができても万能じゃない。危ないと思ったらすぐに逃げてね」と語っていました。

 肱川(ひじかわ)の氾濫などで5人が亡くなった愛媛県西予市のお一人は7日午前6時半ごろ、ご主人と2人で自宅2階から肱川の様子を眺めていました。車で回ってきた消防団員から「水があふれたから早く逃げろ」と促され、公民館に避難した直後に自宅の浸水が始まったということです。
 その1時間以上前に出ていた避難指示は知らなかったそうです。既にテレビやラジオは警戒を呼びかけていましたが、災害情報は防災無線に頼っていました。1階と2階にあった受信機が、停電か電池切れで作動しなかったそうで、「消防団が来てくれなかったら……」と青ざめた表情で話したとのこと。

 特別警報は、2011年の紀伊半島豪雨で重大な危険性を伝えきれなかった教訓から創設されました。16年8月の台風10号では岩手県の高齢者施設で9人が犠牲となり、「避難準備情報」が「避難準備・高齢者等避難開始」に変わったということです。しかし、リスクの伝え方は災害の度に改善されてきましたが、それが伝わらないことには住民の避難行動にはつながらないわけです。

 東京大学の片田敏孝・特任教授(災害社会工学)は「情報の出し方を変えるだけでは、受ける住民の意識は変わらない。行政主体の防災が続けられてきた結果、『命を守るのは行政』と思われるようになり、いわば過保護の状態になっている。避難するかどうかは住民の責任だ。自治体も住民が主体的に避難できるよう、地域が一体となった防災に取り組む必要がある」と双方に意識改革を求めています。

 防災の取り組みは、
  (1) 政府の対応
  (2) 地方自治体の対応
  (3) 住民各自の対応
 と、そのすべてが大切であることを、改めて今回の「西日本豪雨」が警告していますね。

                     (牧野尚一:H30.07.31)

2018年7月24日 (火)

世界的な猛暑

 今回の猛暑は世界的と報道されていましたが、インターネットでは次のよう報道も。

 『ギリシャ・アテネ近郊などで大規模森林火災、20人が死亡』
            (2018年07月24日 13時58分 TBS)

 それによりますと、熱波に見舞われているギリシャでは、首都アテネ近郊などで大規模な森林火災が広がっており、アテネ近郊のリゾート地・マティ村では、大規模な森林火災が発生していて、政府の発表によると、これまでに20人が死亡、100人以上がけがをたとのこと。多数の住民が海岸の方向に避難するなか、地元当局は数百人態勢で消火にあたっているそうです。

 ギリシャでは熱波による高温が続いていて、このほかにも、アテネ西部のキネタなど複数の場所で火災が発生。
 ボスニア訪問の予定を取りやめて帰国したチプラス首相は23日、「我々はまったく前例のない事態に直面している」として、EU加盟国に対して支援を要請しているとのことでした。

 まさに世界的規模での猛暑ですね。
 亡くなられた皆様のご冥福を心よりお祈りいたします。

 地球温暖化の防止対策は、世界共通の緊急課題です。

                     (牧野尚一:H30.07.24)

専門家は、異常気象は地球温暖化と関係があると指摘

 西日本で集中豪雨があった後、日本では記録的な猛暑となり、連日国内各紙が報道してくれています。そしてこれは日本のみならず、世界的な現象ということです。

 『日本経済新聞』2018年7月22日朝刊7面の見出しに、 「猛暑、世界的な現象」 「『温暖化が関係』と専門家」 「豪雨リスクも増大」とありました。

『日本各地で過去最高気温を更新するなど記録的な猛暑となっている。西日本豪雨のような異常気象が相次ぐほか、米国やアフリカなど世界各地でも最高気温を記録している。専門家は異常気象は長期的な地球温暖化の傾向と関係があると指摘している。』

 世界気象機関(WMO)によると、今年7月に入りアルジェリアのサハラ砂漠では51.3度、米国カリフォルニア州で52.0度を記録。北極圏でも気温が上昇して30度を突破。ノルウェーで33.4度、フィンランドでは33.4度を記録し、森林火災も発生しているとのことでした。

 同じく、 『日本経済新聞』2018年7月23日朝刊39面では、「猛暑日237地点今年最高」 「全国7割以上」と国内の猛暑振りが報道されてありました。猛暑日とは最高気温が35度以上を指すそうで、都内の救急車の出動回数は21日には3,091件で過去最高を記録したとのこと。

 今日のインターネットの『毎日新聞』7月24日(火)11:29配信によれば、
『総務省消防庁は24日午前、熱中症の症状で16~22日の1週間に救急搬送された人数が全国で2万2647人にのぼり、1週間分の集計を始めた2008年以降では最多となったと発表した。このうち65人が死亡し、1週間の死亡者数も08年以降で最多となった。』

 亡くなられた皆様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 専門家の指摘どおり、このような異常気象はまさに地球温暖化の影響ですね。

 今日の『日本経済新聞』2018年7月24日朝刊のトップは、「2040年1.5度上昇 進む温暖化」 「IPCC予測 猛暑や豪雨多発」と、IPPC(国連の気候変動に関する政府間パネル)の予測を伝えています。

『国連の気候変動に関する政府間パネル(IPPC)は、現状の温暖化ガスの排出ペースが続くと2040年ごろの気温上昇が産業革命前より1・5度に達するとの予測をまとめた。猛暑や豪雨が増加するほか海面上昇も高まり動植物の絶滅などにつながると分析。温暖化の被害を抑えるには、今世紀半ばまでに温暖化ガスの排出を「実質ゼロ」にする経済活動などの変革が必要だとした。』

 地球温暖化の防止対策は、もうまったなしの段階に入っています。

                     (牧野尚一:H30.07.24)

2018年7月20日 (金)

新天新地の神示

1.新天新地の神示

 生長の家創始者・谷口雅春先生には33の神示が啓示されました。
 その中に、 『新天新地(しんてんしんち)の神示』(昭和六年五月六日神示)があります。 谷口雅春先生著『御守護 神示集』日本教文社刊では、14-17頁に収録されています。

見よ、われ既に天地を新(あらた)たならしめたのである。人々よ、眼の蔽(おお)いをとれ、われは新しき智慧である。新しき生命(せいめい)である。新しき宇宙である。新しき光明である。われ臨(きた)って此の世界は既に変貌(へんぼう)したのである。既に信ずる者の暗黒(あんこく)は消え、醜汚(しゅうお)は滅し、病いは癒(い)え、悲しみは慰められ、苦しみは柔らげられた。神秘を見て人々よ、目覚めよ、覚(さ)めてわが新しき光に照らして存在の真実を見よ。われは存在の実相を照らし出す完成(ななつ)の燈台(とうだい)に燈(ひ)を点ずるものである。

 神の創造された実相世界は完全円満・永遠不滅であり、常に新天新地の無限生長・無限創造の世界です。その実相世界が、此処を去ること遠からず、「今」「此処」にあるとの真理を伝えんがために出現したのが「生長の家」です。
 常に、日々新生、神は「今」も働き給います。新しい光、新しい智慧、新しい愛、新しい生命として私たちを生かし、導き給います。

悲しみに泣き濡れた人々よ。いま眼を上げて吾が光を受けよ。汝の悲しみは喜びに変わるであろう。病める者よ、いま病の床より起ちて、わが生命を受けよ。われを拒むな。われを信ぜざる者は已むを得ぬ。われを信ずる者は黙座してわれを念じ、われに依り頼れ。われ汝等に『神想観(しんそうかん)』と言う観行を教えたれば、それを為せ。われに汲むものは常に新しき力に涸れないであろう。吾を呼ぶ者のもとに吾れは常にありて、汝らのために汝らの重きくびきを軽からしめる。なんじ一人ならば吾れを念じて吾れとともに二人なりと思え。なんじ二人ならば、われを念じ吾れと倶(とも)に三人なりと思え。悩める者よ、わが言葉を読めば苦しめる魂も軽くなり、悲しめる魂も慰めを得ん。そはわれは限りなき大愛であるからである。

 『神想観』する時、苦しみは除かれ、悩みは和らげられ、楽は与えられ、喜びが与えられます。といいますのも、今苦しんでいる自分は本当の自分ではなく仮の自分、幻の自分であって、本当の自分は未だかって苦しんだこともない、悩んだこともない、ただ楽しさいっぱい、ただ喜びいっぱいの「神の子」だった! と分かるからなのです。

 仮に今、ここに悩んでいる人がいるとしましょう。おや、ここに悩んでいる自分がいる、と冷静にそれを見つめている「本当の自分」がいる、と気がついたら、もう悩みは半分消えたようなものです。そうです、常に悩まざる「本当の自分」、「神の子・完全円満」の自分が、「今」「此処」に居る、と気づかせていただくのが「神想観」です。

 なあんだ、自分は常に「神様」と一体ではないか、「神様」の延長が自分「神の子・人間」ではない、今を去ること遠からず、此処を去ること遠からず、自分の内に「神様」がおられるではないか!

 と気づかせていただく、それが「神想観」です。

 あとは、「神様」の叡智のままに、正しい道を真っ直ぐに行けば、あらゆる問題はすべて解決します。迷いも、罪も、病もない大調和の「実相」の世界がそのまま投影してまいります。

『既に信ずる者の暗黒(あんこく)は消え、醜汚(しゅうお)は滅し、病いは癒(い)え、悲しみは慰められ、苦しみは柔らげられた。』

 と神示にある、その世界が出現いたします。

2.四無量心を行ずる神想観

 「四無量心を行ずる神想観」を紹介しましょう。

 「四無量心(しむりょうしん)」とは、「慈・悲・喜・捨(じ・ひ・き・しゃ)」の四つの無量心ですが、 谷口雅春先生がそのご著書『新版 詳説 神想観』(日本教文社刊)で次のようにご説明してくださっています。

『「四無量心」とは

 維摩経(ゆいまきょう)に「四無量(しむりょう)を修して梵天(ぼんてん)の道を開き」とありますが、四無量とは四つの無量の衆生を救済する功徳ある心であります。それは四無量心とも、四等心(とうしん)とも、或いは略して四等とも申します。それは、一に慈無量、二に悲無量、三に喜無量、四に捨無量であります。「慈」は「抜苦(ばっく)」すなわち苦しみを除いてやりたい思いであります。「悲」は「与楽」すなわち楽を与えてやりたい思いであります。(「慈」を与楽と解し、「悲」を抜苦と解する人もあります)「喜」は他の喜びを喜びとする心であります。「捨」はどんなに愛する事物でも放つという心であります。』(pp.141-142)

 この「四無量心を行ずる神想観」の全文をご紹介します。
 なお、 生長の家総裁・谷口雅宣先生と生長の家白鳩会・谷口純子先生の共著『“森の中”へ行く』(生長の家刊)の『第六章 講演録「自然界に“四無量心”を行じる』で、谷口雅宣先生が「四無量心を行ずる神想観」の新バージョンをご紹介いただいています。

 『谷口雅春先生のオリジナルは、主として人類を対象にしたものですが、この部分は全く変えないで“二番”を作ったわけです。』(同書p.204)

 ということで、この書の巻末にはその「四無量心を行ずる神想観」の全文(pp.219-222)が収録されています。

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四無量心を行ずる神想観

 われ今五官の世界を去って実相の世界に入る。
 神の無限の智慧の海、神の無限の智慧の海、神の無限の智慧の海……
 神の無限の愛の海、神の無限の愛の海、神の無限の愛の海……
 神の無限の生命の海、神の無限の生命の海、神の無限の生命の海……
 神の無限の供給の海、神の無限の供給の海、神の無限の供給の海……
 神の無限の悦びの海、神の無限の悦びの海、神の無限の悦びの海……
 神の無限の調和の海、神の無限の調和の海、神の無限の調和の海……

 (この最初の基本部分に続いて、次のように唱えます)

 わが心、神の無限の愛、仏の四無量心と一体にして、虚空(こくう)に広がり宇宙に満ち、すべての衆生をみそなわして、その苦しみを除き、悩みを和らげ、楽を与え、喜びを与えんと欲(ほっ)するのである。

 わが心、神の無限の愛、仏の四無量心と一体にして、さらに虚空に広がり宇宙に満ち、地球のすべての生命と鉱物の一切を見そなわして、その苦しみを除き、楽を与え、多様性を護り、喜びを与えんと欲するのである。

 (これらの二つの言葉を繰り返して念じた後で、次のように唱えます)

 一切衆生の苦しみは除かれ、悩みは和らげられ、楽は与えられ、喜びは与えられたのである。ありがとうございます。ありがとうございます。

 すでに、地球のすべての生命の苦しみは除かれ、楽は与えられ、多様性は護られ、喜びは与えられたのである。ありがとうございます。ありがとうございます。

===================================

 この「神の無限の智慧の海、神の無限の愛の海、神の無限の生命の海、神の無限の供給の海、神の無限の悦びの海、神の無限の調和の海」と讃えられている「実相世界」が、即ちわが内なる龍宮城であり、キリストの説く「神の国」、法華経の説く天人常に充満し、宝樹華果(ほうじゅけか)多くして衆生遊楽(ゆらく)する世界です。

 神・自然・人間の大調和している実相世界を観じさせていただく大変素晴らしい神想観で、私は毎朝、 「四無量心を行ずる神想観」を実修させていただいています。

 遠くの手の届かない所に「神の国」や「天国」、「仏国土」があるのではありません。また深海の奥底に「龍宮城」があるのでもありません。
 それは、今、まさに、ここに、在るのです。
 しかし、人間の五官(目、耳、鼻、皮膚、口)の感覚器官ではそれは認識できません。目は紫外線も赤外線も認識できないと同様に、今、ここに在る、「実相世界」も認識できません。

 がしかし、人間は「神の子」ですから、 「神想観」の実修によって、「龍宮城」が、「神の国」や「天国」が、「仏国土」が今、ここに在ると認識できます。
 そして、神の導き(良心の声)のままに生きる時、たちまちあなたの周囲に「神の国」が現成いたします。 「神想観」の妙味をご堪能ください。

3.神想観は日々の精神的糧(かて)

 谷口雅春先生はそのご著書『新版 詳説 神想観』(日本教文社刊)の冒頭で、 「神想観は日々の精神的糧(かて)」と題して次のように書かれています。

『神想観は吾々にとって日々の精神的パンであります。吾々の生活には物質的パンも必要ではありますが、精神的パンはなおさら必要であります。
 人間は肉体ではない。霊的実在である。この事実を深く心に自覚せしめるための行事が神想観である。神を頭脳で知っただけでは、神が“わがもの”とはならないのである。全心身をもって神の実在を体感体得しなければならない。それをなすのが神想観である。神想観を怠らず行ぜよ。

 神想観を怠らず行じているうちに「人間神の子」の真理が、頭脳的な知識から、感情的な把握となり、さらに進んで、全生命的な把握になってくるのである。神が単なる理論上の存在や、名称上の存在でなくなって、自己の生命そのものとの自覚を得はじめたとき、私たちの生活は変貌しはじめるのである。

 霊の選士であり神の子である諸君よ。何よりも先ず神想観を修して毎日の出発をいたしましょう。そこからこそ諸君の真の進歩と歓喜と高邁なる理想実現とが生まれて来るのであります。』(pp.17-18)

 「生長の家」の座禅的瞑想法である『神想観』の詳細につきましては、下記の書籍をぜひお読みください。

生長の家創始者・谷口雅春先生『新版 詳説 神想観』(日本教文社刊)

前生長の家総裁・谷口清超先生『神想観はすばらしい』(日本教文社刊)

生長の家総裁・谷口雅宣先生『生長の家ってどんな教え?』(生長の家刊)

4.七つの燈台の点燈者の神示

 先に引用した「新天新地の神示」には次のようにありました。

『悩める者よ、わが言葉を読めば苦しめる魂も軽くなり、悲しめる魂も慰めを得ん。そはわれは限りなき大愛であるからである。』

 この『そはわれは限りなき大愛であるからである。』というお言葉がありがたいですね!

 「神は愛なり」

 神は裁く存在でも、罰を与える存在でもなく、ただただ赦し、ただただ愛する「無限の大愛」そのものの存在でいらっしゃると識ること、それが正しい信仰の始まりであり、すべてです。 「新天新地の神示」は、更に次のように続きます。

汝ら事にのぞんでわれを呼べば、自己の知らざる智慧の湧き出づるに驚くであろう。信ぜぬ者、呼ばぬ者は、不憫であるが助けようがないのである。汝の心の疑がわが救いの波長に合わないからである。遠くにいて救われている者もあるが、近くにいても救われぬ人もある。仕方のないことであるが不憫である。もっと兄弟たちに、『生長の家』を伝えよ。神の愛は貰い切りではならぬ。頂いたお蔭を『私』しないで、神の人類光明化運動に協力せよ。

 日々、神をお呼びしましょう。 「神想観」を実修し、事ある毎に神の叡智をいただいて行動しましょう。

 「人新たに生まれずば神の国を見ること能(あた)わず、肉によりて生(うま)るるものは肉なり。霊によりて生(うま)るる者は霊なり」(ヨハネ伝第3章)とキリストは言いました。日々霊的に生まれ変わる、それが「神想観」です。呼べば答えたもう、それが神様です。

 そしてこの尊い至上の真理を、多くの皆様にお伝えしてまいりましょう。

『生長の家の神』と仮に呼ばしてあるが、『七つの燈台の点燈者』と呼んでも好い。七つの教えとイスラエルの十二の分派がわが教えで新しき生命を得るのだ。わが教えはどんな宗派をも排斥するような狭い宗教ではない。教えの太宗(もと)であるから宗教と言うのである。(昭和六年五月六日神示)

 谷口雅春先生著『御守護 神示集』(日本教文社刊)の最初の頁を開きますと分かりますが、神示の総称を、 谷口雅春先生は『七つの燈台の点燈者の神示』と名付けられました。この神示にも『『生長の家の神』と仮に呼ばしてあるが、『七つの燈台の点燈者』と呼んでも好い。』とあります。

5.「生長の家」の人類光明化運動・国際平和信仰運動

 先日ご紹介したとおり、 『万教帰一の神示』(昭和六年四月五日神示)には次のようにありました。

われは大(おおい)なるものなるかな。すべての教(おしえ)を呑吐(どんと)して、これに生命(せいめい)を与え、すべての相争う教をその真髄(しんずい)に於て握手せしめる。吾れはすべてを包容(ほうよう)し、すべてに栄養を与え、すべてを生かす地下水である。(谷口雅春先生著『御守護 神示集』p.13:日本教文社刊)

 まさに、宇宙創造の大神様は、 『わが教えはどんな宗派をも排斥するような狭い宗教ではない。教えの太宗(もと)であるから宗教と言うのである。』と仰っておられるとおり、すべてのすべてでいらっしゃいます。

 神一元、光明一元、実相独在の素晴らしいご存在です。

 特に今日、地球規模での課題となっている地球温暖化の問題において、一番解決出来る鍵を握るのは世界の各宗教であり、世界の各宗教者の生活のあり方でしょう。世界の宗教、宗教者が率先してこの問題に取り組むとき、次世代に美しい地球を継承して行けることになります。

 このように宇宙の本源たる“唯一の神”に中心帰一し、その御心の実現に邁進するとき、「神・自然・人間の大調和」した実相世界の中心帰一大調和の世界が地上にも実現して、人類すべてが兄弟姉妹の自覚に入り、永遠に地上に天国を実現することができるのです。これが、 「生長の家」の人類光明化運動・国際平和信仰運動です。

 「生長の家」は立教以来、生長の家創始者・谷口雅春先生、前生長の家総裁・谷口清超先生、そして生長の家総裁・谷口雅宣先生のご指導をいただいて、着々とその使命を果たしてきました。いよいよ21世紀は、その理想実現の世紀です。

 今、 「生長の家」がこの至高の真理の宣布と共に、時代に即応して何を目指しているかを明確に知っていただくために、ぜひ、 「生長の家」の「環境方針」 を熟読・味読ください。

 以上紹介いたしましたように、谷口雅春先生著『御守護 神示集』日本教文社刊には、『大調和の神示』や『新天新地の神示』、『万教帰一の神示』や『万教包容の神示』等々、33の素晴らしい神示が収録されていますので、ぜひ全神示を熟読・味読ください。

                     (牧野尚一:H30.07.20)

2018年7月14日 (土)

万教帰一の神示

 生長の家創始者・谷口雅春先生には33の神示が啓示されました。
 その中に、 『万教帰一(ばんきょうきいつ)の神示』(昭和六年四月五日神示)があります。(谷口雅春先生著『御守護 神示集』日本教文社等に収録)

われに姿かたちあるように言うものあれどわれは姿なきものである。われは道である、われは霊性である、智慧である、愛である、生命である、われは如来である、われは一つにして多である。信仰深き諸方の霊覚者にわが神姿(しんし)を示したることあれども、そはわが真の姿に非ず、見えたる神姿は霊覚者の心識(しんしき)の所現にも非ず。そは、われ神通力によって、疑う者の蒙(もう)を啓(ひら)かんがために、異る場所と異る人とに同じき一定の神姿を示して、神の客観的存在を実証したに過ぎない。されど本来われに一定の神姿はない。如何なる姿も欲(おも)いのままに現ずることが自由である。

 宇宙創造の大神様は、

『われに姿かたちあるように言うものあれどわれは姿なきものである。』

 とおっしゃっています。

 姿なき存在、それゆえにこそ無限に様々な姿をも顕すことができるわけです。
 森羅万象、ことごとく神の顕現ならざるものはありません。
 それゆえにこそ『われは一つにして多である』わけで、一即多、多即一のご存在です。

『われは道である、われは霊性である、智慧である、愛である、生命である、われは如来である』

 実相の大宇宙に充ち満つる素晴らしいご存在です。

されば、嘗(かつ)てわれ汝に告げたのである『吾れに神殿は不要である』と。われは神殿がないとて身の入れ場所に困るような神ではない。供え物も要らぬ。わが姿を見んと欲(ねが)うものは『生長の家』を読め。われは言葉である。吾が言葉を盛る雑誌こそ吾が神殿である。この雑誌がひろがるのこそわが神殿の大きくなることである。

 実相の大宇宙に充ち満ちておられるのですから、大宇宙そのものが神殿ですので、地上に特別な神殿がなければならない、という必要はありません。
 「生長の家」そのものが神殿であり、 「生長の家」の書籍・月刊誌がことごとく神殿です。
 あなたが「生長の家」の書籍・月刊誌の頁を開くとき、あなたは「生長の家」の神殿の扉を開き、神ご自身と対面しているのです。

 「生長の家」の書籍・月刊誌は、次のアドレスからお求めいただけます。

 日本教文社

 世界聖典普及協会

われにすがた形はない。われは霊の海である。大海原である。すべての宗教流れ来りて吾れに入らん。吾れは完成(かんせい)する者である。われは『七つの燈台』に燈(ひ)を点ずる者である。古道(こどう)も、仏教も、キリスト教も、天理教も、金光教も、黒住教も、大本教も、すべての教(おしえ)我に流れ入りて生命(せいめい)を得ん。われは大(おおい)なるものなるかな。すべての教(おしえ)を呑吐(どんと)して、これに生命(せいめい)を与え、すべての相争う教をその真髄(しんずい)に於て握手せしめる。吾れはすべてを包容(ほうよう)し、すべてに栄養を与え、すべてを生かす地下水である。

 もう一度、引用いたします。

われは大(おおい)なるものなるかな。すべての教(おしえ)を呑吐(どんと)して、これに生命(せいめい)を与え、すべての相争う教をその真髄(しんずい)に於て握手せしめる。吾れはすべてを包容(ほうよう)し、すべてに栄養を与え、すべてを生かす地下水である。

 「生長の家」が「万教帰一」といいますのは、このように「生長の家」の真理がすべての宗教に流れる本当の真理、共通の真理を指し示し、すべての宗教が宇宙創造の唯一絶対神なる大神様からの教えであることを再確認してもらうために出現してきたのです。

他の如何なる宗教(おしえ)をも誹(そし)らず、常に讃頌(たたえごと)と、善き言葉とを雨ふらして、それを浄(きよ)めその真髄(しんずい)に燈(ともしび)を点(てん)ずる。あらゆる宗教(おしえ)がその真髄を礼拝して手をつなぐようにならねば此の現実世界の改造は完成せぬ。精神界が先きで現実界はその影である。元(もと)乱れて影(かげ)完(まった)からず、宗教家よ、宗派争いしている時ではない。(昭和六年四月五日神示)

 他宗を中傷誹謗するというのは、それが本当の宗教でないことを自ら告白している、という事になりましょう。
 宗教がこそ、宗教者こそが一番お互いを認め合い、讃嘆し合い、協力し合う必要がありますね。
 キリスト教もイスラームも、ヒンズー教も仏教も、神道も日本国内の各宗教宗派も、他宗他派を中傷誹謗しない宗教はことごとく宇宙創造の唯一絶対神なる大神様の共通の真理を説いている、ということが分かりますと、世界の宗教、宗教者が互いに協力して人類の行く手を照らすことが出来ます。

 特に今日、地球規模での課題となっている地球温暖化の問題において、一番解決出来る鍵を握るのは世界の各宗教であり、世界の各宗教者の生活のあり方でしょう。世界の宗教、宗教者が率先してこの問題に取り組むとき、次世代に美しい地球を継承して行けることになります。

 このように宇宙の本源たる“唯一の神”に中心帰一し、その御心の実現に邁進するとき、「神・自然・人間の大調和」した実相世界の中心帰一大調和の世界が地上にも実現して、人類すべてが兄弟姉妹の自覚に入り、永遠に地上に天国を実現することができるのです。これが、 「生長の家」の人類光明化運動・国際平和信仰運動です。

 「生長の家」は立教以来、生長の家創始者・谷口雅春先生前生長の家総裁・谷口清超先生、そして生長の家総裁・谷口雅宣先生のご指導をいただいて、着々とその使命を果たしてきました。いよいよ21世紀は、その理想実現の世紀です。

 今、 「生長の家」がこの至高の真理の宣布と共に、時代に即応して何を目指しているかを明確に知っていただくために、ぜひ、 「生長の家」の「環境方針」を熟読・味読ください。

 最後になりましたが、 谷口雅春先生著『御守護 神示集』日本教文社刊には、 『万教包容(ばんきょうほうよう)の神示』(昭和七年七月七日朝神示)もあります。 『万教帰一の神示』と合わせて、熟読・味読ください。

                     (牧野尚一:H30.07.14)

2018年7月13日 (金)

「平成30年7月豪雨」被災者の受け入れと救援募金を実施します

 この度の西日本各地の集中豪雨で亡くなられました方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。また、被災された皆様方の速やかな復旧を心よりお祈り申し上げます。

 2018 年7月3日~8日にかけて、西日本を中心に記録的大雨が降り、内閣府によると、7日午後6時までに7府県の71 市町村に「災害救助法」が適用され、朝日新聞(7月13日朝刊)の調べでは、1府13県で亡くなられた方が200人、行方不明や連絡を取れない人は63人、避難者は約7千人を数えるなど、豪雨による被害が大きく、広域にわたるものとなっています。

 生長の家では、このような事態を受け、長崎県、福岡県、京都府宇治市の3つの教団施設で、被災者を受け入れることと、全国の信徒に向けて救援募金活動(一般救援募金と信徒救援募金の2種)を実施することが決まりました。

 支援活動の詳細は以下をご覧ください。

         ↓

 「平成30年7月豪雨」被災者の受け入れと救援募金を実施します

 よろしくご協力のほど、お願いいたします。合 掌

                     (牧野尚一:H30.07.13)

2018年7月11日 (水)

生命の本源は神

 生長の家創始者・谷口雅春先生には沢山のご著書がありますが、その一冊に『新版 光明法語 【道の巻】』(日本教文社刊)があります。
  1月1日から12月31日まで、珠玉の真理のお言葉が綴られた366日の箴言集です。(2月29日もあります)

 「七月の法語」は「生命の本源は神」です。

1.真象(しんしょう)と偽象(ぎしょう)

 「七月二十九日の法語 超個人的(ちょうこじんてき)精神上の観念(かんねん)」には、次のようにあります。

『バークレーは、物は本来ないのであって、それは心が知覚するからあるので、物とは個人の知覚の表象にすぎないと言った。併しこれでは個々別々の人が、一様に薔薇の花を薔薇の花と見、百合の花を百合の花と見るところの知覚の一致が説明出来ない。そこですべての人に薔薇の花が薔薇の花と見える根拠として、個人を超越して一切個人を包含して、薔薇の花を薔薇の花と見る原理となるべき、超個人的精神上の観念のある事を予想しなければならぬ。』(pp.198-199)

 私が薔薇の花と認識したとき、それを他の人も同じ色と形の薔薇と認識しているに違いないと確信できるのは、共通した「超個人的精神上の観念」があるという暗黙の前提があるからで、これがあるから人の社会生活が成立していますね。

 「七月三十日の法語 実相円満の相(すがた)を見よ」には、こうあります。

『この超個人的精神こそは神であって、すべての存在は、神の心の上に思い浮かべられたところの観念であり、神のコトバであると言うのである。神の心中(こころのなか)の観念はあらわれて一切の真象(しんしょう)となる。これは実相円満なる相(すがた)である。併(しかし)し、個人的精神は、この真象をそのままに見ず、迷ってこれを不完全に見る、これを迷いと言い妄想と言う。一切の現象(げんしょう)は、ここに真象(しんしょう)と偽象(ぎしょう)との混淆(こんこう)したすがたとなってあらわれ、健康と病気と幸福と不幸と、交々(こもごも)相混(あいこん)じてあらわれる。』(p.199)

『神の心中(こころのなか)の観念はあらわれて一切の真象(しんしょう)となる。これは実相円満なる相(すがた)である。』

 神の完全円満なるそのままの観念の展開、それが「真象(しんしょう)」です。
 その「真象」を見ずに、個人が不完全ありと迷うと、「罪」や「病」や「死」があると錯覚してしまいます。あると自分で勝手に思い込んでいる姿、それが「偽象(ぎしょう)」です。
 このため、「真象」がありながら、「偽象」もあると思うが故に、此の世界を善悪混淆(こんこう)の世界として錯覚してしまいます。
 神が悪を創ったのではありません。人が勝手に悪があると錯覚しているだけなのです。

2.完成の燈台の神示

 「生長の家」の神示に『完成(ななつ)の燈台(とうだい)の神示』があります。谷口雅春先生に天降った33の神示は、すべて谷口雅春先生著『御守護 神示集』日本教文社刊に収録されています。

時が来た。今すべての病人は起(た)つことが出来るのである。最早(もはや)、あなたにとって病気は存在しない時が来たのである。二千年前、キリストが『汝(なんじ)の信仰によって汝の信ずる如くなれ』という唯一語で、遠隔の地にいる病人を癒やした其(そ)の真理が、すべての人類に開顕される時期がきたのである。『生長の家』を読み真理を知るだけで遠くにいて病気が治る事実を見よ。『生長の家』は今かの黙示録が予言した『完成(ななつ)の燈台(とうだい)』として人類の前に臨(のぞ)むのである。此(こ)の燈台より真理の光を受くるものは、創世記のエデンの楽園追放以後、人類を悩ましたところの『罪』と『病』と『死』との三暗黒を消尽(しょうじん)するのである。光が近附(ちかづ)くときすべての暗黒は消える。『真理』が近づく時、すべての『迷』が消える。『迷』が消える時、『迷』の産物(さんぶつ)なる『罪』と『病』と『死』とは消える。疑わずに吾が光を受けよ。われは『完成(ななつ)の燈台(とうだい)』に燈(ひ)を点(てん)ずるものである。(昭和六年一月十五日夜神示)

 「迷」も「罪」も「病」も「死」も、単なる闇に過ぎません。闇というのは、確固として実在するものと錯覚しがちですが、「光の非在」、「光がない状態」、それが闇です。何十億年前からの洞窟であっても、洞窟内が真っ暗な闇に充ち満ちていても、一本のロウソクの火があれば忽ち「今」すぐに闇が消えてしまうように、「迷」も「罪」も「病」も「死」も、「真理」という光の前には一瞬にして消えてしまいます。

 宇宙創造の大神様が、既に完全円満・永遠不滅・無限生長・無限創造の神の世界(実相世界)を創造された、と素直に受け取ること。これが「悟り」であり、それを素直に肯定しないことを「迷い」といいます。

『真理』が近づく時、すべての『迷』が消える。『迷』が消える時、『迷』の産物(さんぶつ)なる『罪』と『病』と『死』とは消える。疑わずに吾が光を受けよ。われは『完成(ななつ)の燈台(とうだい)』に燈(ひ)を点(てん)ずるものである。

 「生長の家」の説く『真理』を素直に「ハイ」と受け入れるとき、すべての『迷』が消え、『迷』が消える時、『迷』の産物なる『罪』と『病』と『死』とは消えてしまいます。ただ、素直に真理を受け入れる。それが大切ですね。

  ではさて、なぜ人は時として迷うのでしょうか。

3.実相を観る

 谷口雅春先生著『新版 光明法語 【道の巻】』(日本教文社刊)「七月三十一日の法語 何故(なぜ)迷いが出来るか」には、こうあります。

『何故、人間が實相の円満その侭(まま)の相(すがた)を見得ないのであるか。それは人間がまだ幼いからである。幼児は大人のすべての働きを見る事が出来ない如く、神の子である人間も、神の創造の一局部しか見る事が出来ない。心一所(こころひとところ)にとどまりて全相(ぜんそう)を把握する事が出来ない。よってみだりに想像して、心に別の姿を描く、その描かれたる観念が、実相(真象)の表面を蔽(おお)って、丁度、満月に雲がかかったように、実相円満の相を晦(くら)ます。これを迷いと言うのである。軈(やが)て神の子人間の霊魂が向上した時、実相を見るのである。』(pp.200)

 どうしてあの人はああなんだろう、と嘆く必要はありません。皆、完全円満・永遠不滅・無限生長・無限創造の素晴らしい「神の子」ですが、迷ったり錯誤しているように見えるのは、それはただ魂が幼いだけなのです。すべての人と、事と、物の「実相」を礼拝し、感謝し、讃嘆していると、やがてすべての人々が「神の子」だと分かります。

 あわてる必要はありません。何しろ、宇宙創造の大神様は、大自然を、すべての人を間違いなく神の顕れとして完全にお創りになられたのですから、時が来れば「実相」が顕れます。
 子供や、孫の生長を見ているとそれがよく分かります。やがて立派な「実相」を開顕いたします。

 速やかに自身の、あるいは周囲の方々の「実相」の開顕を促したいときには、「神想観」をして自身とその人の「実相」を礼拝し、 『日時計日記』に実相直視の讃嘆の言葉のみを書きましょう。
 あなたの周囲に、驚くほど早く、「真象」のみの素晴らしい世界が展開いたします。

                         (牧野尚一:H30.07.11)

2018年7月10日 (火)

この度の「西日本豪雨」について

 この度の西日本各地の集中豪雨で亡くなられました方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。また、被災された皆様方の速やかな復旧を心よりお祈り申し上げます。

 今回のこの大きな災害に関し、生長の家総裁・谷口雅宣先生が先生のブログ『唐松模様』に、 『2018年7月9日(月) 「西日本豪雨」をどう考えるか?』と題してお書きいただいております。ありがとうございます。ぜひ、全文を熟読・味読ください。

                     (牧野尚一:H30.07.09)

神的な愛

 生長の家創始者・谷口雅春先生には沢山のご著書がありますが、その一冊に『新版 光明法語 【道の巻】』(日本教文社刊)があります。
  1月1日から12月31日まで、珠玉の真理のお言葉が綴られた366日の箴言集です。(2月29日もあります)

 『七月の法語』は『生命の本源は神』です。

1.神的な愛は「放つ」愛

 宇宙創造の大神様は、無限の智慧、無限の愛、無限の生命そのものであり、また無限の供給、無限の歓喜、無限の調和そのものでいらっしゃいます。

 では、生命の本源なる大神様の「愛」とは、そして真の(まこと)の「愛」とは如何なるものでありましょう。

 『七月七日の法語 真(まこと)に神的(しんてき)な愛は「放(はな)つ」愛である』とあります。

『釈迦が悟りをひらいた時の状態が『阿含経(あごんきょう)』で「諸愛(しょあい)ことごとく解脱(げだつ)し」と書かれているように、仏教では「愛」を執着とし、煩悩(ぼんのう)と見るのである。それは愛着(あいじゃく)のことである。真の神的(しんてき)な愛は愛着ではない。それは放つ愛でなければならない。自己の自由に彼女を又は彼をしようと云(い)う愛ではなくて、彼女がまたは彼が、本来の道を行き得るように祈るが如き愛でなければならない。かくの如くして始めて彼の愛は、『涅槃経(ねはんぎょう)』に於(お)いて名づけられたる如き「法愛(ほうあい)」たるを得るのである。神は人間を善にさえも強制しない。それは放つ愛である。』(pp.183-184)

 神はあまりに偉大であるがゆえに、私たちの五官(目・耳・鼻・皮膚・口)では認識できません。さらに、神は「放つ愛」そのものでいらっしゃいますので、神の子・人間に無限の自由を与えられ、一切強制されることもありません。

 真の愛とは、かくのごとく「放つ愛」である、というわけです。
 従って、「神の子」たる私たちもまた、「放つ愛」「法愛」そのものであるわけです。

 自己中心ではなく常に人の幸せを思い、自国中心ではなく他国の繁栄と世界の平和をこそ祈る必要があります。これが「生長の家」の生き方であり、宗教者のありかたです。

2.「ムスビ」の働き

 では、私たちに一番身近な「夫婦の愛」についてはどうでしょう。

 谷口雅春先生著『新版 光明法語 【道の巻】』(日本教文社刊)『七月八日の法語 天国に於(お)ける夫婦愛』には、次のようにあります。

『ひとたび相手を真に放(はな)ってしまった時に、愛は清(きよ)まって真に法愛たるを得るのである。キリストは「天国に於いては、彼等は結婚せず、夫婦関係もなく、天の使(つかい)の如し」と言っている。これは決して天国では人間が、中性的な人間になる意味ではない。すべての創造は唯一者の陰陽への分化とその融合によって行われるのである。さればキリストの言った天国の状態は陰陽の結合の否定ではなく、それは猥雑な肉的関係がないと云う意味に過ぎない。天国に於ける陰陽の結合は魂に於いて音楽の合奏の如く行われる。』(p.184)

『すべての創造は唯一者の陰陽への分化とその融合によって行われるのである。』

 日本の『古事記』に、

 天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、高天原(たかあまはら)に成りませる神の名(みな)は天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、次に高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、次に神産巣日神(かみむすびのかみ)、この三柱(みはしら)の神は並(みな)独神(ひとりがみ)成り坐(ま)して、身(みみ)を隠(かく)したまいき。

 とあるのは、まさにこの真理ですね。

 「生長の家」におきましても、生長の家総本山において、宇宙浄化のお働きとしての「住吉大神」とともに、その本源神(宇宙創造の大神)であられる

 天之御中主神(アメノミカヌシノカミ)
 高御産巣日神(タカミムスビノカミ)
 神産巣日神(カミムスビノカミ)

「造化の三神」をお祀り申しあげています。

 互いに愛し合うことを、日本では古来から「ムスビ」と表現してきました。
 実相宇宙の創造も、まさに「ムスビ」の働きでした。
 現代ほど、この陰陽調和に象徴される「ムスビ」の働きが必要とされる時代はありませんね。 「生長の家」立教の使命は、まさにこの「ムスビ」の原理を広く全人類に伝えることにもあります。

 詳しくは、生長の家総裁・谷口雅宣先生『宗教はなぜ都会を離れるか?――世界平和実現のために――』(生長の家刊)の「第四章 「ムスビ」の働きで新価値を創造しよう」(pp.289-305)に詳しくお書きいただいていますので、ぜひお読みください。

3.愛の訓練

 前生長の家総裁・谷口清超先生には沢山のご著書がありますが、その一冊に『伸びゆく日々の言葉』(日本教文社刊)があります。
  1月1日から12月31日まで、珠玉の真理のお言葉が綴られた366日の箴言集です。(2月29日もあります)

 七月の章は『愛の種々相』で、 『七月九日 愛の訓練』には次の様にあります。

『この人生は、「いかに愛するか」を学習するためにあると言ってもよいくらいである。それほど「愛」の意味は深く、しかも実行が難しい。それは多くの人が考えるような「好いた」とか「惚れた」という感情ではない。正確に言うならば、愛は「神の御心」である。神は愛である。それは仏の慈悲といってもよい。これを実行するためには、練習が必要だ。それゆえ人は何回もこの人生に生まれ変わって誕生し、正しい愛の訓練をうけるのである。今のあなたの愛の気持だけで、これが「最高の愛だ」と自惚(うぬぼ)れてはならない。愛は何処(どこ)までも深く、博(ひろ)く、美しく、清らかで、そして又明るく成熟してゆくものである。』(pp.159-160)

『愛は何処(どこ)までも深く、博(ひろ)く、美しく、清らかで、そして又明るく成熟してゆくものである。』

 まさに、天的な愛ですね。ただただ感謝・合掌・礼拝です。
 生涯かけて、この「愛」の実践に生かさせていただきます。

                  (牧野尚一:H30.07.10)

2018年7月 9日 (月)

万教包容の御祭

 7月7日午前11時から、山梨県北杜市の生長の家国際本部“森の中のオフィス”にある万教包容の広場において、 「万教包容の御祭」が執り行われました。

 西日本各地では集中豪雨で多くの被害が出ております。亡くなられました方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。また、被災された皆様方の速やかな復旧を心よりお祈り申し上げます。

 関東地方は幸い好天に恵まれ、その御祭の最後に生長の家総裁・谷口雅宣先生から素晴らしいお言葉をいただき、深く感銘いたしました。先生のブログ『唐松模様』『2018年7月7日(土) 今こそ「対立から調和へ」の運動を』と題してご紹介いただいております。ありがとうございます。ぜひ、全文を熟読・味読ください。

  冒頭、この御祭の意義について総裁先生は次のように述べられました。

『皆さん、本日は「万教包容の御祭」に参加くださり、有難うございます。この御祭も今年で6回目を迎え、先ほど、このオフィスの敷地においては6基目となる七重塔が除幕されました。“森の中のオフィス”の落慶から丸5年になるということです。

 この七重塔が何を象徴するかは、毎年、この御祭で説明してきたので、今日はそれを詳しくは申しません。しかし、「万教帰一」の真理を表しているということだけは、何回でも強調しておかねばならないでしょう。というのは、今日の7月7日が「万教包容の神示」が下された日であるからだけでなく、「すべての良き宗教の神髄は共通している」というこの教えが、今日ほど重要になっている時はないからです。』

 「万教包容の神示」につきましては、生長の家創始者・谷口雅春先生『御守護 神示集』(日本教文社刊) 等に収録されていますので、ぜひ全文を熟読・味読ください。

  総裁先生は、最後にこのように述べておられます。

『私たちは国際平和信仰運動を展開しているのですから、このような対立や差別の動きには断乎として反対し、人類共通の基本的な精神構造や感じ方を正しく、より多く知り、それを人々に伝えることによって、万教帰一、万教包容のこの教えをさらに多くの人々に伝えていき、「対立から調和へ」の動きを力強く推進していきたいと念願するしだいです。』

  私たちが住む地球には、一見違うように見えるもの同士が結び合わされることで新しい価値を生みだす“ムスビの働き”が充ち満ちています。
 この“ムスビの働き”の意識が広がることによって、社会に拡がっている自己中心・自国中心・人間中心の考えから人々が抜け出し、“異種”や“異質”なるものを避けるのではなく仲間と考え、お互いに尊重し合う世界へと向かうことができますね。
 『「対立から調和へ」の動きを力強く推進していきたい』と深く思わせていただきました。ありがとうございます。

                     (牧野尚一:H30.07.07)

2018年7月 6日 (金)

『日時計日記』を書きはじめるチャンス!

1.日時計主義の実践

 太陽の輝く時刻のみを記録する日時計――。
 そんな日時計と同様、毎日の明るい出来事や希望のみを記録するための日記帳、それが『日時計日記』です。
 日々、明るい言葉を書き続けることにより、その言葉の力によって、毎日が明るく充実してまいります。

 2007年から毎年発刊されている同日記帳は、人生の光明面のみを見る「日時計主義」の生き方を実践するために、 「生長の家」の信徒に愛用されています。2018年版は、表紙に日時計をモチーフにしたイラストを配置してイメージを一新。各月の扉には、谷口雅宣先生谷口清超先生谷口雅春先生、谷口純子先生の言葉と、谷口純子先生の挿画をカラーで掲載。
 また、上巻には倫理的な生活者になるヒントを紹介したページが設けられているほか、同日記帳では初めてFSC認証を取得し、環境に配慮した製品となっています。

 日々、「日時計主義」で明るい言葉を書き続けることで毎日がいきいきと充実し、「倫理的な生活」の実践を記録することで自然との一体感を深めることもできます。ぜひ多くの皆様に愛用していただきたい日記帳です。

 この『日時計日記』は、1月~6月までの上巻と、7月~12月までの下巻とに分かれていますので、今がチャンス!
 まだ『日時計日記』をつけていなかった方は、今日から、今月(7月)から是非!

 私も毎日『日時計日記』をつけていますが、百事如意、願うことが悉く速やかに成就し、すべて万事好都合に事が運びますので、ただただ感謝です。

 ☆ 『日時計日記 2018年版(下)』 をぜひ!

 ☆ 『日時計日記 自由版』 もあります。

2.愛の表現を

 前生長の家総裁・谷口清超先生には沢山のご著書がありますが、その一冊に『伸びゆく日々の言葉』(日本教文社刊)があります。
  1月1日から12月31日まで、珠玉の真理のお言葉が綴られた366日の箴言集です。(2月29日もあります)

 6月の章は「愛の種々相」で、 「七月四日 人生の意義」には、次の様にあります。

『若しあなたが妻や夫や子供を愛するならば、愛を表現しなければならない。何故ならこの世に肉体を持って生れて来たのは、愛と智慧とを表現する為だからである。この二つは車の両輪の様なもので、どちらが欠けても、ものの役にはたたぬ。あなたがいかに頭脳明晰(めいせき)な人であろうとも、愛の表現がなければ、家庭は闇だ。あなたの仕事場も廃墟(はいきょ)の如くガタガタとなる。あなたはこの廃墟で仕事し、廃墟の家に暮す孤独な老人となってこの世を去りたいのか。さもなくば、しっかりと愛の言葉を語り、愛の表現をする練習をしよう。』(p.156)

 身近な家族に、まず愛を表現しましょう。「どうも照れくさい」と思われる方には、 『日時計日記』がお薦めです。 『日時計日記』に毎日ご家族のお一人お一人の素晴らしいところを誉め讃えて書いておりますと、自然に面と向かっても愛の言葉を、讃嘆の言葉を伝えることが出来るようになります。

 ご家族はもとより、学校、職場、近所の方々、あなたの接するすべての人々は皆神の子ですので、讃嘆・祝福いたしましょう。

 これを継続・実践しておりますと、忽ちあたなの周囲は天国・極楽浄土・仏国土が顕現いたします。
 『日時計日記』を、あなたもぜひ!

3.神と自然と人間とを愛しましょう

 前生長の家総裁・谷口清超先生のご著書『伸びゆく日々の言葉』(日本教文社刊)「七月六日 近き人々への愛」には、次の様にあります。

『夫や妻を愛することができず、どうして人を愛し、国を愛することができるであろうか。子を愛し、部下を愛する者でなくて、どうして世界を愛し、平和を愛することができるか。大をなすには、小に徹しなくてはならぬ。神は大宇宙を一糸乱れず運行されると共に、極微の世界をも秩序正しく保持し給うのである。一輪の花ですらあのように美しく、かぐわしく装い給う。あなたは幼な児を愛するか。小鳥を愛し、樹木を愛し、猫やカラスを愛することができるか。神は不必要なものを何一つ作り給うてはいないのである。』(.p157)

 夫や妻を愛しましょう。
 子を愛し、部下を愛しましょう。
 一輪の花を愛しましょう。
 
幼な児を愛しましょう。
 
小鳥を愛し、樹木を愛し、猫やカラスを愛しましょう。
 国を、世界を、平和を愛しましょう。

 『神は大宇宙を一糸乱れず運行されると共に、極微の世界をも秩序正しく保持し給うのである。一輪の花ですらあのように美しく、かぐわしく装い給う。』

 神は、神の世界を、無限の智慧と愛をもって完全円満・永遠不滅の世界として、また無限生長・無限創造の世界として創造されました。

 神の世界は、神と自然と人間とが大調和した世界です。 「生長の家」では、この神の世界を「実相世界」と呼んでいます。
 その神の世界(実相世界)を目に見える現象の世界に十全に投影するためには、天地一切のものを神様の顕れとして愛し、尊敬し、礼拝し、感謝することが大切です。観じたものが顕れる。これが「生長の家」の「心の法則」です。
 この実践のためにも『日時計日記』を書くことは、もっとも有効な方法ですね。

                       (牧野尚一:H30.07.06)

2018年7月 3日 (火)

凡庸の唄

1.神の子・人間を讃えて

 生長の家総裁・谷口雅宣先生の新刊書に『凡庸の唄』(日本教文社刊)という詩集があります。43頁(pp.2-44)に及ぶ長編詩です。

 先生は「あとがき」に、次のように書かれています。

『この唄は、人間讃歌である。その通りの題をつけてもよかったのだが、この題はすでに何人もの人が単行本や詩集に使っているので、少しひねって「凡庸の唄」とした。』(p.45)

 先生は、これまでにも自由詩を発表されています。

『私はこの詩の発表より五年前に、「大自然讃歌」と「観世音菩薩讃歌」を発表していたので、大自然や仏さまを讃えておきながら、人間を讃嘆しないのでは、画竜点晴を欠くという気持が残っていた。特に生長の家では、「人間は神の子である」と説いているから、人間を称える詩文の発表は、私にとって一種の“宿題”だった。』(p.46)

 大自然を讃え、観世音菩薩を讃え、そして「人間神の子」を讃えるお唄を創られたのでした。

『「人間は神の子である」という教えの意味を説明する方法はいくつもあるが、私が生長の家講習会でよく言うのは、「どんな人にも向上心がある」ということだ。そのことを私は「心に縦の軸がある」などとも表現してきた。』(p.46-47)

 神は無限の存在ですから、神の子・人間もまた無限力そのものです。但し、

『このような人間の向上心は、「神の子」と呼ぶにふさわしい素晴らしいものだ。しかし、神は「自分だけ良ければ足りる」とするような狭量な存在ではない。だから、自分の目標達成のためには、他者にどんな犠牲を払わせても構わないという人物は、業績が優れていても、本当は「神の子」の名に値しないのである。それは“勝負の鬼”ではあっても、決して“勝負の神”ではない。』(pp.47-48)

 これが、神の全相、「神の子」の全相ですね。
 神は無限の智慧、無限の生命であると同時に、無限の愛そのものです。同様に「神の子」もまた無限の智慧、無限の生命であると同時に、無限の愛そのものです。

生長の家創始者・谷口雅春先生は「向上の力を得る祈り」の中で、人間の心の奥底から湧いてくる「五つの深い願い」の中に「愛すること」と「何ものかの役に立ちたいこと」の二つを加えられて、本当の意味での「向上」とは、自分が秀でたり、成功することでは足りず、「他に与える」ことが欠かせないと、次のように説かれている――

 真の愛は一体感である。彼のよろこびを、わがよろこびとし、彼の悲しみ苦しみを、わが悲しみ苦しみとして、彼より、そしてすべての人より、その悲しみ苦しみを除いて楽を与えんとする願いである。否、単なる願いではなく、実践である。
  ( 『聖経版 真理の吟唱』日本教文社刊、九九~一〇〇ページ)』(pp.49-51)

  事実、谷口雅春先生は「向上の力を得る祈り」の中で「五つの深い願い」として、

 ・生きること
 ・愛すること
 ・愛されること
 ・みとめられること
 ・何ものかの役に立ちたいこと

の5つを挙げられています。

 「向上して生きること」、「愛され」、「認められること」といった上に伸びて行く一方において、同時に、 「愛すること」、「何ものかの役に立ちたいこと」といった横への広がりがまた「神の子」の特性としては不可欠です。
 この縦への伸びゆく力と、横への広がりがバランスをとって展開することこそ、 「神の子・人間」のあり方であると、ご教示いただいています。

2.自然を慈しむことと、人間社会を愛すること

 「あとがき」には、更にこうあります。

『私は“上に伸びる”ことに反対したり、“縦に伸ばす”努力を決して否定しない。それどころか私自身、いわゆる“上昇志向”の生き方をしてきたし、現在も一部でそれを続けている。些細な例だが、東京・原宿から八ヶ岳に越した後に始めた自転車通勤では、毎回タイムを記録して、短縮できたと言っては喜んでいる。しかし、短縮できずに“凡庸な”記録で終ったときも、落胆の気持など起こらない。なぜなら、目的地に達するまでの道すがら、私の心と体は“横方向”に拡大していく自分を感じているからだ。澄んだ空気をいっぱい吸い込み、風を全身に受け、緑の香を吸い込み、全身の筋肉を動かし、坂を登る苦しさにもだえながらも、悠々と空を行くノスリに心を寄せ、道端の花の名前を思い出し、キジのすっとん狂な鳴き声に思わず苦笑する……。』(pp.52-53)

 喧噪と騒音、充満する排気ガス等々、都会生活では不可避のそんな劣悪な環境から比べると、あくまでも広い大空、美しい山河と緑の森、いつも新鮮な空気に恵まれた環境は、本来、人が自然と共生するにふさわしい環境と申せましょう。そしてそこにこそ、本当に人の生きる道があるのではないでしょうか。

『そんなことは自己満足に過ぎない、と読者は思うだろうか? 人間の姿があまり見られない山岳地帯で、社会から離れて体を鍛えても、社会へ何の貢献か、と読者は疑うだろうか? 私が言いたいポイントは、実はここにある。
 自然界の動きに呼応して凡庸に生きること――他の生物すべてがやっていることを、人間がしなくなっている。逆に、人間の要求に合わせて自然をネジ曲げること。それで幸福を得られると夢想すること。この自然に対する人間の好き勝手な態度が、対人関係に及ばないはずがないのである。
 人間社会は自然界と別物ではない。人間社会の先に、人間社会を含んだ本当の価値がある。自然を慈しむことと、人間社会を愛すること――二つは実は同じことなのだ。』(pp.53-55)

 現代社会は、あまりにも自然からかけ離れ、それどころか自然を破壊し、搾取してそれが人間の幸福につながると錯覚しているのではないでしょうか。

 簡単なことですが、人は空気なくしては生きていけますせん。酸素が無ければ一瞬たりとも生きることは不可能です。その酸素は、植物が、森が造りだしています。その森林を無制限に伐採して行けばどうなるでしょう。
 いたずらに化石燃料に頼り、CO2を出し続けたために自然の持つ浄化の力を上回って地球が温暖化しているのも、地球や自然は生きた生命だということを忘れている結果と言えましょう。

 食べ物はどうでしょう。都会でしたら、コンビニに行けば、ご飯も、パンも、総菜もすべてコンパクトに揃っています。
 動かなくなったカブトムシを、「電池が切れたから入れ替えて」と言った子供がいたとかいないとか。
 もしかして、成人した人の中にも、畑や田んぼ、海の幸が食べ物となっていることを忘れて、食物は工場でパッケージに包まれて作成されていると、ついつい錯覚してしまっている人は・・・・・
 何でも出来合いの物が簡単に手に入ってしまうので、自然の恵みと、人の手によって育てられたり採ったりしてはじめて私たちの食卓に並ぶ物が、感覚的にはそんなふうに錯覚してしまうことはないでしょうか。

『人間社会は自然界と別物ではない。人間社会の先に、人間社会を含んだ本当の価値がある。自然を慈しむことと、人間社会を愛すること――二つは実は同じことなのだ。』(pp.54-55)

 このとおりですね。自然を慈しむ心と、人間社会を愛する心、それは神様からいただいた「神の子・人間」の深き愛の心・四無量心そのものに他なりませんね。

 以上、 「あとがき」の一部をご紹介しましたが、ぜひ『凡庸の唄』の本文全文を、そして「あとがき」の全文を熟読味読いただいて、 「神の子・人間」の生き方を実践してまいりましょう。

3.虚心坦懐(きょしんたんかい)に

 前生長の家総裁・谷口清超先生には沢山のご著書がありますが、その一冊に『伸びゆく日々の言葉』(日本教文社刊)があります。
  1月1日から12月31日まで、珠玉の真理のお言葉が綴られた366日の箴言集です。(2月29日もあります)

 七月の章は「愛の種々相」で、「七月一日 虚心坦懐」には、次の様にあります。

『「稔(みの)るほど頭(こうべ)の下る稲穂(いなほ)かな」という句があるが、稲は稔ると頭を下げる。そのように人も豊かになるほど謙虚になることが大切である。学識を得るにつれて、イバリ出すのではだめで、その逆であれ。地位でも、人望でも、みなそうである。肩で風を切って街を歩いている人々や、酔っぱらって威張りちらしている人たちは、「稔っていない」のである。金銭的にはいざ知らず、人格的に、魂的に貧しいのだ。それ故、ことさらに肩で風を切りたがるが、肩をすぼめるのでもなく、張るのでもなく、あたり前に、愛ふかく、心をこめて、やるべきことを虚心坦懐(きょしんたんかい)にやり続けようではないか。』(p.154)

 このように“凡庸”の生き方、“当たり前”の生き方、人(神の子)としての“自然”の生き方がここにありますね。

 このような生き方を実践し、宇宙の本源たる“唯一の神”に中心帰一し、その御心の実現に邁進するとき、「神・自然・人間の大調和」した実相世界の中心帰一大調和の世界が地上にも実現して、人類すべてが兄弟姉妹の自覚に入り、永遠に地上に天国を実現することができるのです。これが、 「生長の家」の人類光明化運動・国際平和信仰運動です。

 「生長の家」は立教以来、生長の家創始者・谷口雅春先生、前生長の家総裁・谷口清超先生、そして生長の家総裁・谷口雅宣先生のご指導をいただいて、着々とその使命を果たしてきました。いよいよ21世紀は、その理想実現の世紀です。

 今、 「生長の家」がその至高の真理の宣布と共に、時代に即応して何を目指しているかを明確に知っていただくために、ぜひ、 「生長の家」の「環境方針」も熟読・味読ください。

                         (牧野尚一:H30.07.03)

2018年6月30日 (土)

神の無限生命をわが内に観ずる祈り

1.万物調和六章経

 生長の家創始者・谷口雅春先生と生長の家総裁・谷口雅宣先生共著の『万物調和六章経』(生長の家刊)には、

 ・大調和の神示
 ・天地一切と和解する祈り (谷口雅春)
 ・天下無敵となる祈り (谷口雅春)
 ・有情非情悉く兄弟姉妹と悟る祈り(谷口雅春)
 ・「すべては一体」と実感する祈り (谷口雅宣)
 ・神の愛に感謝する祈り (谷口雅宣)
 ・神の無限生命をわが内に観ずる祈り (谷口雅宣)

 が、収録されています。

 「大調和の神示」は、谷口雅春先生『御守護 神示集』(日本教文社刊) にも収録されています。

 「天地一切と和解する祈り」「天下無敵となる祈り」「有情非情悉く兄弟姉妹と悟る祈り」は、谷口雅春先生著『聖経版 真理の吟唱』(日本教文社刊) にも収録されています。

 「「すべては一体」と実感する祈り」「神の愛に感謝する祈り」「神の無限生命をわが内に観ずる祈り」は、谷口雅宣先生『日々の祈り ~神・自然・人間の大調和を祈る~』(生長の家刊) にも収録されています。

2.神の無限生命をわが内に観ずる祈り

 さて、 『万物調和六章経』に収録されている、 生長の家総裁・谷口雅宣先生の「神の無限生命をわが内に観ずる祈り」は、次のように始まっています。

『神さま、私はあなたの生命に生かされている神の子です。私の内部には今、あなたの命の泉が滾々(こんこん)と湧き出しています。それは、呼吸を通じて脳を活性化し、心臓を拍動(はくどう)させて全身に酸素を送り込んでいるだけでなく、肉体の臓器や諸器官の機能の背後で、すべてを調和させ、同期させ、循環させながら刻一刻、新たな細胞を生み出している力です。私が何を命じなくても、精緻(せいち)複雑なこの体が正常に機能しているのは、神さまの無限の生命力のおかげです。私が普段、その神秘に気づかず、体の諸器官や臓器や組織が正しく働くことを「当たり前」と考えていたことを反省します。神さまの命がここにあり、神さまの知恵がここに働き、神さまの愛によって今護(まも)られていることを私は感じます。神さまは私だけでなく、他の七十億を越える人々の命も、さらに圧倒的な数の動植物や菌類(きんるい)の生命も、その同じ知恵と愛と力によって生かされています。神さまのこの御心(みこころ)を思うとき、私はすべての人々と生物と環境全体が、神さまの無限の命によって深く結ばれ、輝いていることを感じます。』(pp.92-99)

『神さま、私はあなたの生命に生かされている神の子です。私の内部には今、あなたの命の泉が滾々(こんこん)と湧き出しています。』

 これが「生長の家」の基本的、根本的な不変の真理です。
 「人間は神の子である」
 この真理によって、どれだけ多くの人々が救われたでありましょう。

 人間を、自分をどう思うか、どう認識するかでその人の人生は大きく変わります。
 自己を偉大な「神の子」と認識すれば、無限の力を発揮し、そして「神の子」の同胞である全人類を愛し、地球のすべての生命と鉱物を愛し、その苦しみを除き、楽を与え、多様性をまもり、喜びを与えんと動き出すことでしょう。

 まさに「人間は神の子」であり、わが内に神の無限の智慧が、神の無限の愛が、神の無限の生命が、神の無限の供給が、神の無限の歓喜が、神の無限の調和が内在していることを自覚するとき、人時所を得てそれが噴出してくることになります。

 谷口雅春先生と谷口雅宣先生共著の『万物調和六章経』(生長の家刊)、谷口雅春先生著『御守護 神示集』(日本教文社刊)、谷口雅春先生著『聖経版 真理の吟唱』(日本教文社刊)、谷口雅宣先生著『日々の祈り ~神・自然・人間の大調和を祈る~』(生長の家刊)等を熟読・味読されまして、ぜひ「生長の家」の真理の神髄に参入ください。

『神さま、すべての人々は、あなたの生命に生かされている神の子です。すべての人々は、私と同じく、神さまに愛され、神さまの知恵と愛と命を共有し、それを表現する大いなる使命をもって生れています。だから私は、すべての人々に愛を感じ、すべての人々の知恵から学び、すべての人々と生かし合いの生活をすることに喜びを感じます。すべての人々と調和した関係にあるとき、神さまの知恵と命が迸(ほとばし)り出て、地上天国実現に向って大きく前進します。人間は神の子として、かくも偉大な力を神さまからいただいていますが、神さまの命は人間だけのものではありません。植物も動物も、神さまの命の表現として、知恵の表現として、愛の表現として重要な役割があることを私は思います。』(pp.99-104)

 互いに愛し合うことを、日本では“ムスビ”と表現しました。
 実相宇宙の創造も、まさに“ムスビ”の働きでした。
 詳しくは、谷口雅宣先生著『宗教はなぜ都会を離れるか?――世界平和実現のために――』(生長の家刊)の「第四章 「ムスビ」の働きで新価値を創造しよう」(pp.289-305)に詳しくお書きいただいていますので、ぜひお読みください。

3.神と自然と人間は、大調和して一体

 「神の無限生命をわが内に観ずる祈り」は、更に次のように続いています。

『神さま、私は花々の愛らしさ、木々の美しさを心に強く感じます。体の外にあるこれらの植物を、内部に強く、美しく感じることができるのは、私の命と植物の命が本来一体である証拠です。花の色、繊細(せんさい)な形、色と形の組み合わせに、私が無限に多様な美を感じることができるのは、植物の発するメッセージを私の命が喜んで受け止めている証拠です。聳(そび)え立つ大樹の幹(みき)の美しさ、微妙(びみょう)な葉の形、豪華な紅葉(こうよう)に感動するのは、私と植物とが決して“別物”でなく、神さまの命において一つである印です。私と植物が調和した関係にあるとき、神さまの命がそこに現れるのです。私が、花や葉や木の実に無限に多様な美を感じるとき、神さまの無限生命をわが内に感じているのです。神さまはすべてのすべてですから、神さまの“外”にあるものはありまめせん。神さまの内にあって、私は植物を愛(め)で、植物に生かされ、植物に与えるとともに、植物は神さまの命を私に与えてくれます。人間と植物の生かし合いのメッセージを、私の内部に送ってくれます。』(pp.104-110)

 青年時代、私は“花”にあまり関心を持ったことはありませんでした。桔梗の五弁の美しさには感銘し、桜も美しいと思いましたが、それ以外の花は、あまり名前もよく知りませんでした。私が“花”に目覚めたのは、一人の女性と出会ってからでした。

 私が生長の家総本山の献労練成に参加したとき、大変笑顔のステキな女性に出会いました。お受所でおみくじを引いたのですが、その時目の前にいた神舞姫(みこ)さんが彼女でした。

 最終日の朝、早朝行事に参加しようと顕齊殿に向かう道すがら彼女に出会い、少し話をしたり名前も聞いたりしました。その午前中が最後の献労で、参道にコスモスの苗を植えていると彼女が通りがかり立ち止まってくれました。コスモスの咲く時期等のことを会話して、午後、総本山を後にしました。帰京して以来、どの道を通っても咲いているコスモスはすぐ私の目にとまるようになりました。

 その後、2ヵ月ほどして、私が朝、生長の家本部(当時は東京・原宿にありました)に出勤すると、ちょうど玄関から出てきたのが彼女でした。彼女は、明治神宮で舞の研修を受けて、最終日に本部に寄ってみたとのこと。この彼女が、私の家内です。

 彼女は花が大好きで、家の中に、仏壇に、庭に花を欠かしたことがありません。
 おかげで、私もだいぶ花の名前を覚えました。
 なぜあのように花は人の心を打つのでしょう。そして、どうして神様はその美しい多種多様な花々を、惜しげもなくあんなにも大量に咲かせるのでしょう。花を見るだけで、神様の愛と美を、そして神様の無限の創造力に感嘆してしまいます。

『神さま、私は鳥や動物の愛らしさ、俊敏(しゅんびん)さ、美しさを心に強く感じます。彼らとともに地上に生きることに荘厳(そうごん)な意義を感じます。彼らはそれぞれ人間のおよばない美点を備(そな)え、私に神さまの無隈の命と知恵がそこにあることを教えてくれます。人間の発明した技術の多くは――鳥の飛翔(ひしょう)、蓑虫(みのむし)の衣(ころも)、コウモリの超音波(ちょうおんぱ)、虫の音(ね)、魚の遊泳など、彼らの美点から学んだものです。それは結局、神さまの知恵と命から学んだことです。私は彼らを通して、神さまの知恵と命を学び、今、人間の技術として実現した航空機、冷暖房、音波探知機、楽器、船舶などを使うとき、神さまの命をわがうちに強く感じます。彼らのムダのない形態や機能、色の変化や組み合わせ、匂いの役割、そして習性や仕草(しぐさ)、表情に、神さまの命の無限の展開を感じるとともに、それに感動する私の中に、神さまの命が溢れていることに気づきます。動物と人間とが同じ神さまの知恵で結ばれていることを心に思い、感謝を捧げます。』(pp.110-117)

 結婚して分かったのですが、家内は花好きなだけでなく、無類の動物好きでもありました。鳥やネコ、イヌ等はもとよりですが、ヘビ、カエル、トカゲ等も“カワイイ”というのですから、(両生類はチョットという)私には衝撃でした。幸い、家で飼いたいとまでは言いませんが、青虫を見つけては家に持ち帰り、私に「さわって、さわって」というのです。
 しかたなく、背を撫でてあげましたが、その青虫がアゲハチョウとなってちょうど羽化する姿を目撃したときは感銘しました。以来、青虫と私もトモダチになりました。

 植物はもとより、動物までもが私の心の中に入ってくるきっかけは、ひとえに彼女のお蔭です。

『命あるもののみが命を感じ、知恵あるもののみが知恵を感じ、愛あるもののみが愛を感じるのです。私がすべての存在の中に神さまの命を感じることができるのは、私の中に神さまの命が溢れているからです。私は今、そのことを如実に知り、私が神の子であることを深い感動をもって観ずるとともに、すべての人々が、すべての生物が私の命と一体であるだけでなく、神さまの命が私と彼らを一つに結んでいるという生命の荘厳な実相を悟ります。わが内に神さまの無限の命の奔流(ほんりゅう)を観じ、万物の創造主(つくりぬし)たる神さまに深く、満腔(まんこう)の感謝を捧げます。ありがとうございます。』(pp.117-120)

 私は今、山梨県北杜市にある生長の家国際本部“森の中のオフィス”に勤務しています。
 ここには“緑”がいっぱいです。そして、その敷地内には鹿の通り道があって、十頭以上の鹿が、ゆっくりと一列になって通って行くのを何度か目撃しました。

 神と、自然と、人間とは、その生命において一体で大調和しています。それを実感させていただける“森の中のオフィス”に勤務できて幸せです。

 素晴らしい「生長の家」の真理をご教示くださる生長の家総裁・谷口雅宣先生に深く感謝申し上げます。

 宇宙の本源たる“唯一の神”に中心帰一し、その御心の実現に邁進するとき、「神・自然・人間の大調和」した実相世界の中心帰一大調和の世界が地上にも実現して、人類すべてが兄弟姉妹の自覚に入り、永遠に地上に天国を実現することができるのです。これが、 「生長の家」の人類光明化運動・国際平和信仰運動です。

 「生長の家」は立教以来、生長の家創始者・谷口雅春先生、前生長の家総裁・谷口清超先生、そして生長の家総裁・谷口雅宣先生のご指導をいただいて、着々とその使命を果たしてきました。いよいよ21世紀は、その理想実現の世紀です。

 今、 「生長の家」がその至高の真理の宣布と共に、時代に即応して何を目指しているかを明確に知っていただくために、ぜひ、 「生長の家」の「環境方針」 を熟読・味読ください。

 生長の家創始者・谷口雅春先生、前生長の家総裁・谷口清超先生、そして生長の家総裁・谷口雅宣先生の略歴は、以下をご覧ください。

 ○ 生長の家創始者・谷口雅春先生

 ○ 前生長の家総裁・谷口清超先生

 ○ 生長の家 総 裁 ・谷口雅宣先生

                       (牧野尚一:H30.06.30)

2018年6月25日 (月)

遙かなる国

 前生長の家総裁・谷口清超先生には沢山のご著書がありますが、聖歌も沢山お創りくださいました。 『新版 生長の家聖歌歌詞』(日本教文社刊)に収録されていますのでご覧ください。
 今日は、その中の「遙かなる国」(p.60)をご紹介します。

一、はるかなる母の国には
  たわわにぞ華果(けか)の実りて
  住む人はことごとく
  愛ふかく智慧あふれ
  助け合い信じ合い与え合い
  ほめ言葉 海山里(うみやまさと)に
  こだましつ こだましつ

二、家々には子宝みちて
  子らは皆個性にあふれ
  住む人はことごとく
  愛ふかく智慧あふれ
  公けに奉仕を悦び与え
  命をこめてよきものを
  作りなす 作りなす

三、とこしなえの御中(みなか)に帰一し
  みこころを吾が心とし
  神をたたえ人々をおろがみ
  愛ふかく智慧あふれ
  すこやかに命を出し尽し
  すべてのみ栄えを神に
  捧げまつる 捧げまつる

  遙かなる国、すなわち宇宙創造の大神の創造された神の世界(実相世界)は、この歌の歌詞のような世界であるとご教示くださっています。
 私たちの本体は、その神の世界(実相世界)に、今、在(いま)し、その世界にあるすべてのものこそが独在している、というのが「生長の家」の根本的真理・「唯神実相論」です。

 悠遠の彼方にあると同時に、実はここを去ること遠からず、今、此処にある国、それが神の世界(実相世界)です。
 神と自然と人間の大調和した世界が、今、此処にあり、それを観じ、神の御心を生きるとき、忽ち五官(目・耳・鼻・皮膚・口)で認識するこの現象の世界にも、神の世界(実相世界)がそのまま美しく投影いたします。

 その栄光は、すべて神様の栄光であり、寸分も人為のものはありません。ただただ、神様の御徳の栄光に生かされ、満たされている私たちでございました。

 このお歌を歌わせていただきますと、神の世界(実相世界)の素晴らしさに感銘し、ただただ神の世界(実相世界)さながらに生かさせていただこうと思わせていただきます。
 和顔・愛語・讃嘆の世界。
 家庭も、社会も、国も、世界も、大自然も、地球も、宇宙も、皆、神の智慧溢れ、愛溢れ、生命溢れる素晴らしい世界ですね!

                   (牧野尚一:H30.06.25)

2018年6月23日 (土)

神の愛に感謝する祈り

1.万物調和六章経

 生長の家創始者・谷口雅春先生と生長の家総裁・谷口雅宣先生共著の『万物調和六章経』(生長の家刊)には、

 ・大調和の神示
 ・天地一切と和解する祈り (谷口雅春)
 ・天下無敵となる祈り (谷口雅春)
 ・有情非情悉く兄弟姉妹と悟る祈り(谷口雅春)
 ・「すべては一体」と実感する祈り (谷口雅宣)
 ・神の愛に感謝する祈り (谷口雅宣)
 ・神の無限生命をわが内に観ずる祈り (谷口雅宣)

 が、収録されています。

 「大調和の神示」は、谷口雅春先生『御守護 神示集』(日本教文社刊)にも収録されています。

 「天地一切と和解する祈り」「天下無敵となる祈り」「有情非情悉く兄弟姉妹と悟る祈り」は、谷口雅春先生著『聖経版 真理の吟唱』(日本教文社刊)にも収録されています。

 「「すべては一体」と実感する祈り」「神の愛に感謝する祈り」「神の無限生命をわが内に観ずる祈り」は、谷口雅宣先生『日々の祈り ~神・自然・人間の大調和を祈る~』(生長の家刊) にも収録されています。

2.神の愛に感謝する祈り

 さて、 『万物調和六章経』に収録されている、生長の家総裁・谷口雅宣先生の「神の愛に感謝する祈り」は、次のように始まっています。

『神さま、私は神の子であります。私はあなたの愛を一身に受けて生きています。私の魂(たましい)はあなたの愛に包まれて、平安であり、生き甲斐(がい)に溢れ、歓喜(かんき)に満ちています。あなたの愛はこの空気であり、水であり、体内に燃える命(いのち)の炎(ほのお)であり、この肉体となって結実(けつじつ)しています。私の肉体は物質ではなく、あなたの愛の表現であります。その肉体が、私の意識によらずとも呼吸し、心臓を動かし、血液を通して栄養を体内の隅々(すみずみ)まで送り、消化し、異物(いぶつ)を取り除き、休息し、新しい細胞(さいぼう)を生み出し、古い細胞を掃除(そうじ)し、老廃物(ろうあいぶつ)を体外へ出してくれます。この精緻(せいち)・複雑、微妙(びみょう)にして調和がとれ、かつ安定した働きこそ、あなたの無限の愛の表(あらわ)れであります。私はただ、その愛の結晶(けっしょう)であるわが肉体を受け入れ、それに乗って神の愛を生きるのであります。あなたの御心(みこころ)を行じるのであります。』(pp.70-75)

 この「神の愛に感謝する祈り」谷口雅宣先生著『日々の祈り ~神・自然・人間の大調和を祈る~』(生長の家刊) の冒頭を飾るお祈りです。

『神さま、私は神の子であります。私はあなたの愛を一身に受けて生きています。私の魂(たましい)はあなたの愛に包まれて、平安であり、生き甲斐(がい)に溢れ、歓喜(かんき)に満ちています。』

 まさに「神は愛なり」で、宇宙創造の大神にして天地一切の親様にまします「神様」は、無限の大愛そのものでいらっしゃいます。
 すべてを愛し、すべてを赦し、すべてを癒やす親様でいらっしゃいます。

『あなたの愛はこの空気であり、水であり、体内に燃える命(いのち)の炎(ほのお)であり、この肉体となって結実(けつじつ)しています。私の肉体は物質ではなく、あなたの愛の表現であります。』

 空気や酸素がなければ、私たちは一瞬も生きていることはできません。空気も、水も、私たちを生かそう生かそうとする「神の大愛」の表れであり、私たちがいただいている「神の宮」なる肉体そのものも又、神の愛の結晶です。

 それゆえにこそ、こんなにも使いやすく、こんなにも精緻精妙に働いてくれて、明るく楽しい地上生活を送ることができます。

 目に感謝です。耳に感謝です。鼻に感謝です。口に感謝です。頭にも、胸にも、手にも足にも、胴体とその内臓諸機関にもただただ感謝です。

『この精緻(せいち)・複雑、微妙(びみょう)にして調和がとれ、かつ安定した働きこそ、あなたの無限の愛の表(あらわ)れであります。私はただ、その愛の結晶(けっしょう)であるわが肉体を受け入れ、それに乗って神の愛を生きるのであります。あなたの御心(みこころ)を行じるのであります。』

 感謝するとき、体全体がまた喜び一杯で働いてくれます。ただただ感謝です。

『神さま、あなたは私に肉体をくださっただけでなく、肉体の外に広がる無限の宇宙の創造主(つくりぬし)です。宇宙は茫漠(ぼうばく)たる無の空間ではなく、神さまの愛が充ち満ちています。青い空、白い雲、深い海、緑の風、紺碧(こんぺき)の湖、雪を頂いた青い山脈、潺湲(せんかん)と流れる川、森、草原、黒い土、赤い士、黄色い土、虫と鳥、魚と獣(けもの)たち……すべてがそれぞれの場を与えられ、互いに与え合い、切磋琢磨(せっさたくま)しつつ、神さまの愛を表現しています。神さまの知恵を表しています。神さまの命を顕現(けんげん)しています。私はその神さまの懐(ふところ)に包まれ、生かされ、喜びに満たされています。この生命の星・地球は、太陽のエネルギーで支えられています。すべてを燃やし尽くすほどの莫大(ばくだい)なエネルギーが、地球上ですべての生命を支えています。無数の生物たちがつくる生命の網(あみ)が、力を愛に変えています。それが神さまの知恵の働きです。神さまの知恵と愛と命が交(まじ)わるところ、それがこの地球です。』(pp.76-82)

 現象宇宙の誕生は、約360億年前といわれています。地球の誕生は45億年前、生命の誕生は約40億年前。そして長い年月をかけて地上に人類が生息できるような環境が整って、人類の誕生したのが、今から約20万年前ということです。
 これだけの歳月をかけて、いまの住みやすい地球環境を動植物や鉱物と共に人類もまた大きく貢献して、今日の地球環境ができあがっています。

 ただ、19世紀の産業革命以降、突然人類はこの地球の自然環境や生命を脅かすCO2の排出を始めてしまいました。しかし、今なら間に合います。速やかに経済優先の考え方を改め、神の創造された本来の姿である「神・自然・人間の大調和」した共存共栄の世界をこそ目指す必要があります。

 エネルギー一つをとってみても、神の創造された太陽や、風力、水力、地熱等を活用すれば、原子力などはまったく不要ですし、石油・石炭等の化石燃料も徐々に減らして行くことが可能です。

『神さまの知恵と愛と命が交(まじ)わるところ、それがこの地球です。』

 「神の子・人間」ですから、神の智慧と愛とを、地上にも実現して行きましょう。

3.神さまの御心を生きるのが、神の子・人間の使命

 生長の家総裁・谷口雅宣先生の「神の愛に感謝する祈り」は、更に次のように続いています。

『神さま、私は今あなたの実在を如実(にょじつ)に感じます――地球の生命を感じ、太陽の愛を観(かん)じ、宇宙の生かす力を感じます。私の肉体は物質ではなく、あなたの愛です。あなたの知恵です。あなたの命です。私を取り巻くすべての人々は皆、私と同じ神の子ですから、神さまの愛です。知恵です。命です。私の周囲のすべての生き物は、神さまの愛と知恵と命の顕現(けんげん)です。私の生きる環境は、地球は、宇宙は、すべて神の命の表現であります。それを知り、意識し、理解し、愛することができるから、人間は「神の子」と言われるのです。神さま、私は今、人間誕生の意義の荘厳(そうごん)さを感じます。意識し、知恵をもち、広大な愛の心をもった生命こそ、私たち人間です。人間こそ、あなたを意識し、あなたを知恵で理解し、あなたを愛することができる存在です。すべての存在に神性・仏性を感じることのできる私たちは、幸せです。神の子・人間として生かされている私は、幸せです。』(pp.82-89)

『私の周囲のすべての生き物は、神さまの愛と知恵と命の顕現(けんげん)です。私の生きる環境は、地球は、宇宙は、すべて神の命の表現であります。それを知り、意識し、理解し、愛することができるから、人間は「神の子」と言われるのです。』

 「神」などは人間の空想の産物だと考える人もいるようですが、なぜ人は「全智全能の神」を想像できるのでしょう。そして、私たちの魂は、その存在を自然当然のものとして受け入れることができます。素直に私たちの魂の声に従うとき、愛と智慧を生きるとき、そこに神の世界が実現いたします。なぜなら、神は宇宙創造の本源神であると同時に、私たち「神の子」を地上にあらしめ、私たちに内在して私たちを内から導いてくれているからです。 「良心のささやき」、それこそが神の導き、神の御声です。信仰とは、妄信することではなく、知性と理性に基づいた愛の心です。

『神さま、私は今、人間誕生の意義の荘厳(そうごん)さを感じます。意識し、知恵をもち、広大な愛の心をもった生命こそ、私たち人間です。人間こそ、あなたを意識し、あなたを知恵で理解し、あなたを愛することができる存在です。すべての存在に神性・仏性を感じることのできる私たちは、幸せです。神の子・人間として生かされている私は、幸せです。』

 「神の子・人間」として地上に誕生し、生かされている私たちは、本当に幸せですね。それを教えてくださった「生長の家」に、よくぞこの地上で触れ得たと、ただただ感謝の想いでいっぱいです。

『神さまの御心(みこころ)を生きるのが、神の子・人間の使命です。知恵と愛と命あふれる生活を送ることが、私の使命であり、生き甲斐(がい)です。人生は、神の子の表現の舞台(ぶたい)です。この舞台があるからこそ、私は自己内在の神性・仏性を表現し、すべての人々とともに、すべての生物とともに、喜びを分かち合うことができます。その聖なる場を与え給いし神さまの無限の愛に深く、厚く、感謝いたします。ありがとうございます。』(pp.89-91)

 「神様の御心」、即ち「神意(しんい)」を生きることこそ私たち「神の子」の使命であり、生き甲斐であり、それこそが魂の歓喜です。

 智慧と愛と生命と、供給と歓喜と調和を実現する舞台、それがこの母なる大地「地球」です。それゆえ、 「神の子・人間」は、人類を愛し、すべての動植物や鉱物を愛し、そして地球そのもの、宇宙そのものを愛し、大切にしてこそ「神の子・人間」です。

 素晴らしい「生長の家」の真理をご教示くださる生長の家総裁・谷口雅宣先生に深く感謝申し上げます。

 宇宙の本源たる“唯一の神”に中心帰一し、その御心の実現に邁進するとき、「神・自然・人間の大調和」した実相世界の中心帰一大調和の世界が地上にも実現して、人類すべてが兄弟姉妹の自覚に入り、永遠に地上に天国を実現することができるのです。これが、 「生長の家」の人類光明化運動・国際平和信仰運動です。

 「生長の家」は立教以来、生長の家創始者・谷口雅春先生、前生長の家総裁・谷口清超先生、そして生長の家総裁・谷口雅宣先生のご指導をいただいて、着々とその使命を果たしてきました。いよいよ21世紀は、その理想実現の世紀です。

 今、 「生長の家」がその至高の真理の宣布と共に、時代に即応して何を目指しているかを明確に知っていただくために、ぜひ、 「生長の家」の「環境方針」を熟読・味読ください。

 生長の家創始者・谷口雅春先生、前生長の家総裁・谷口清超先生、そして生長の家総裁・谷口雅宣先生の略歴は、以下をご覧ください。

 ○ 生長の家創始者・谷口雅春先生

 ○ 前生長の家総裁・谷口清超先生

 ○ 生長の家 総 裁 ・谷口雅宣先生

                  (牧野尚一:H30.06.23)

2018年6月22日 (金)

「すべては一体」と実感する祈り

1.万物調和六章経

 生長の家創始者・谷口雅春先生と生長の家総裁・谷口雅宣先生共著の『万物調和六章経』(生長の家刊)には、

 ・大調和の神示
 ・天地一切と和解する祈り (谷口雅春)
 ・天下無敵となる祈り (谷口雅春)
 ・有情非情悉く兄弟姉妹と悟る祈り(谷口雅春)
 ・「すべては一体」と実感する祈り (谷口雅宣)
 ・神の愛に感謝する祈り (谷口雅宣)
 ・神の無限生命をわが内に観ずる祈り (谷口雅宣)

 が、収録されています。

 「大調和の神示」は、谷口雅春先生『御守護 神示集』(日本教文社刊) にも収録されています。

 「天地一切と和解する祈り」「天下無敵となる祈り」「有情非情悉く兄弟姉妹と悟る祈り」は、谷口雅春先生著『聖経版 真理の吟唱』(日本教文社刊)』にも収録されています。

 「「すべては一体」と実感する祈り」「神の愛に感謝する祈り」「神の無限生命をわが内に観ずる祈り」は、谷口雅宣先生『日々の祈り ~神・自然・人間の大調和を祈る~』(生長の家刊) にも収録されています。

2.「すべては一体」と実感する祈り

 さて、 『万物調和六章経』に収録されている、生長の家総裁・谷口雅宣先生の「「すべては一体」と実感する祈り」は、次のように始まっています。

『神はすべての存在の創(つく)り主(ぬし)にてあり給う。我は神の子として、神の創り給いしすべての存在の懐(ふところ)の中に抱かれているのである。だから我は、すべての真実存在と一体であり、すべての真実存在は我と一体にして、我を包み、庇護(ひご)し、安らぎを与えてくれるのである。真実存在は神の表(あらわ)れであるから、相互に不和はなく、不調和はなく、戦いや争いはないのである。我とすべての真実存在も、だから大調和の中で神の愛に包まれているのである。』(pp.45-48)

 宇宙創造の大神様の創造は完璧であり、その愛(めぐ)し児である「神の子・人間」もまた完全円満であり、神の子は、しっかりと神様のみ懐に抱かれています。これが「生長の家」の根本的真理で、「唯神実相」の真理ともいいます。
 従って、神の世界とその投影した世界は、不和も不調和もなく、戦いも争いもなく、大調和の世界があるだけ、というわけです。

『我とすべての真実存在も、だから大調和の中で神の愛に包まれているのである。』先生からお示しいただいているとおり、神様の無限の大愛の中に私たちは包まれ、抱かれている、ただただ、ありがたい極みですね。

『鳥たちのさえずりは、神の無限生命の表れである。遠く近く、長く短く、華やかに時に静かに、多様に、絶妙な調和の中に、鳥たちが呼び交わす数々の声は、そのまま天上の交響曲である。森林を風がわたる低い和音、虫の声、小川の流れ、蛙の合唱、キツツキの槌(つち)の音。どれ一つとして互いに調和しない音はない。驟雨(しゅう)の音、雷の轟音(ごうおん)、木の裂(さ)ける音でさえ、神の無限生命力の表現である。』(pp.48-51)

 森は生き物の宝庫です。さまざまな鳥達がさえずり、キツネやタヌキ、サルが姿を見せ、シカが群れをなしてゆっくりと移動して行きます。時には、クマの目撃情報もあります。
 緑の木々の風に揺れる葉音も美しいものです。
 そして広大無辺の大空に描かれる雲の芸術もまた見事です。巧まざる大自然の美がそこにあり、目を飽かしません。

『神の無限の美が、すべての存在に満ち溢れているのである。だから神の子・人間は、すべての真実存在に美しさを感じ、喜びを見出すのである。空の青と雲の白は、神の無限の美の表れである。輝く新緑と黒い木々の枝、若葉と森の深緑(しんりょく)のコントラストを見よ。花々の鮮やかな色、微妙な色の移(うつ)ろい、葉の緑の中でそれらが生み出す対照の妙を見よ。その対照を感じて、虫たちが花を訪れ、神の愛の使者として植物を受粉させ、新たな生命の進展を用意する。植物が実をつければ、その色の信号を合図に鳥たちが訪れ、豊穣(ほうじょう)の香りと味と滋養(じよう)を得て、神の知恵に導かれつつ植物の種(たね)を遠方に伝播(でんぱ)する。植物は虫や鳥に愛を与え、虫や鳥は植物の命の発展に協力するのである。そこに神の生命があり、愛かあり、知恵が表れているのである。』(pp.51-57)

 たまたま、街中で建物を壊して更地とした場所があって、毎日その脇をバスで通勤するのですが、フト気がつくと、いつの間にかその空き地が緑一色になっていました。草はもちろん、葉をいっぱいつけたやや背の高い細い木々まで生えて、自然の力に驚嘆しました。無論、人が植えたのではありません。どこからか飛んで来た種があっという間に、大地を緑に変えてしまいます。

 私は、花にもいつも感動してしまいます。どうしてあんな美しい花々が、あんなにも無数に咲くのでしょう。神様は、ただただ無償で、美しいものを無限に提供してくださるのだと、ただただ感嘆・感動するのみです。

 自然を見るだけで、神は無限の智慧、無限の愛、無限の生命、無限の供給、無限の歓喜、無限の調和と実感いたします。

3.我は神と一体なり。我は宇宙と一体なり。すべては神と一体なり。すべては我と一体なり。

 生長の家総裁・谷口雅宣先生の「「すべては一体」と実感する祈り」は、更に次のように続いています。

『我らは神の子であるから、それら自然の営(いとな)みの中に神の無限の知恵、無限の愛、無限の生命力を如実に感じるのである。神の無限の生かす力をすべての真実存在の中に感じるのである。感じるとは共鳴することである。我(わ)がうちに神の無限の生かす力がすでにあるから、自然界に現れる神の力に共鳴することができるのである。だから我は神と一体であり、すべての真実存在と一体である。我は神に生かされており、すべての真実存在に生かされている。それは、物質的栄養を得ているのではない。物質は、真実存在の仮の相(すがた)である。物質は、真実存在が人間の頭脳によって翻訳(ほんやく)された姿にすぎない。物質はエネルギーであることを知れ。エネルギーに色はなく、音はなく、肌触(はだざわり)りはなく、匂いはない。しかし、人間の感覚と頭脳を通過するとき、エネルギーは色がつき、音を出し、匂いを発し、肌触りのある“物質”のような外貌(がいぼう)を呈するのである。』(pp.57-62)

  すべては、私たちを生かそう生かそうという神の生命、神の愛の顕れなのですね。それを人間の頭脳が飜訳して、色として見え、音として聴き、匂いとして嗅ぎ、肌で硬軟を感ずるというわけです。

『だから、我らの周囲には、神の無限エネルギーが満ち溢れているのである。周囲だけでなく、我が肉体も神の無限エネルギーの一個の表現である。神の無限の知恵と愛と命の表現として、我は自分の肉体を表現しているのである。我は神の子であるから、一個の肉体の中に縮(ちぢ)こまって存在しているのではない。木々の緑、鳥の声、川の流れ、大洋の大波、空の青、星雲の渦巻きに美を感じる我は、その微妙かつ壮大な美を我がうちに包蔵(ほうぞう)するのである。それら自然の営みの中に不可思議の知恵を感じる我は、その知恵と同じ無限の知恵を我がうちに包蔵するのである。自然の営みの背後に生かし合いの愛を感じる我は、神の無限の愛を我がうちに包蔵するのである。

  我は神と一体なり。我は宇宙と一体なり。すべては神と一体なり。すべては我と一体なり。我、真実存在の知恵と愛と生命を与え給いし神に、無限感謝の意を表現し奉る。ありがとうございます。』(pp.63-69)

 私たちが大自然の美に感動するとき、大自然は私たちの内に在ります。私たちが壮大な宇宙に思いをいたすとき、大宇宙は私たちの内に在ります。
 私たちは神に抱かれ、大自然に抱かれ、大宇宙に抱かれています。と同時に、私たちの内に神がおられ、大自然がわが内にあり、大宇宙がわが内にあります。
 相即相入ですね。

 素晴らしい「生長の家」の真理をご教示くださる生長の家総裁・谷口雅宣先生に深く感謝申し上げます。

 宇宙の本源たる“唯一の神”に中心帰一し、その御心の実現に邁進するとき、「神・自然・人間の大調和」した実相世界の中心帰一大調和の世界が地上にも実現して、人類すべてが兄弟姉妹の自覚に入り、永遠に地上に天国を実現することができるのです。これが、 「生長の家」の人類光明化運動・国際平和信仰運動です。

 「生長の家」は立教以来、生長の家創始者・谷口雅春先生、前生長の家総裁・谷口清超先生、そして生長の家総裁・谷口雅宣先生のご指導をいただいて、着々とその使命を果たしてきました。いよいよ21世紀は、その理想実現の世紀です。

 今、 「生長の家」がその至高の真理の宣布と共に、時代に即応して何を目指しているかを明確に知っていただくために、ぜひ、 「生長の家」の「環境方針」を熟読・味読ください。

 生長の家創始者・谷口雅春先生、前生長の家総裁・谷口清超先生、そして生長の家総裁・谷口雅宣先生の略歴は、以下をご覧ください。

 ○ 生長の家創始者・谷口雅春先生

 ○ 前生長の家総裁・谷口清超先生

 ○ 生長の家 総 裁 ・谷口雅宣先生

                  (牧野尚一:H30.06.22)

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