2018年6月17日 (日)

人間の正しい食物について

 6月17日午前10時から、長崎県西海市にある生長の家総本山で「谷口雅春大聖師三十三年祭」が執り行われました。私も“森の中のオフィス”で生長の家総裁・谷口雅宣先生 の素晴らしいお言葉をネット配信で拝聴し、深く感銘いたしました。ありがとうございます。

1.人間の正しい食物について

 今日は最初に生長の家創始者・谷口雅春先生の事を書かせていただきますと、谷口雅春先生は若い頃から徹底して肉食をされませんでした。青年時代にそれを知った私も共鳴し、母にお願いして菜食主義を貫いたものでした。
 「メニューが難しいのよね」と母が言っていました。
 今でしたら、生長の家白鳩会総裁・谷口純子先生の『おいしいノーミート 四季の恵み弁当』(生長の家刊)を見てもらえたのですが、今は亡き母の愛念にただただ感謝です。

 谷口雅春先生著『新版 心と食物と人相と』(日本教文社刊)には、次のようにあります。小見出しは、 『人間の正しい食物について』です。

『人間を創造し給える神は、その食物として植物性のものを与えられたのであって、動物性のものを「食物として与う」とは「創世記」には書かれていないのである。「創世記」は次のように書いている。
「神いひ給ひけるは、視(み)よ、我れ全地の面(おもて)にある実蓏(たね)のなる諸(すべ)ての草疏(くさ)と、核(たね)ある木果(このみ)の結(な)る諸(すべ)ての樹とを汝等に与ふ。これは汝らの糧(かて)となるべし」(「創世記」第一章二九節)
 すなわち、穀類と、野菜類と、果物とを人間の食物として与うということが明記してあるのであって動物を殺して食するなどということは神の御意志ではないのである。』(p.16)

 このように、 谷口雅春先生の食物に対する考え方は明解・明確でした。
 まさに「山川草木国土悉皆成仏」「有情非情同時成道」、あらゆる動植物を、そして鉱物をも神性仏性の顕れとして礼拝され、尊重された谷口雅春先生のお姿が髣髴と思い出されます。

2.菜食のすすめ

 肉食を避けることに関しましては、 生長の家総裁・谷口雅宣先生もまた、ご自身のご著書『足元から平和を』(生長の家刊)の「第1章 環境・資源・平和」の「4 内なる神性・仏性を輝き出そう」に「菜食のすすめ」という小見出しで、つぎのように書かれておられます。

『日本では、昔から仏教の教えに「不殺生戒」というのがあって、「生き物はやたらに殺してはいけない」という信条があり、文化的伝統がありました。しかし、今日は、特に戦後社会においては、「動物の肉はおいしいものであって、栄養価も高い」という考え方が浸透し、肉を食うことに執着している面があります。』(pp.166-167)

 これは世界的傾向でもありますが、この本の中では先生が2000年当時の数字を紹介されています。世界全体の穀物生産量が十八億六〇〇〇万トンで、その内、十二億トンを人類が食べました。

『では、残りの六・六億トンは誰が食べたと思いますか?
 割合にすると、35・5%にあたりますが、これは実は、家畜や家禽、養殖魚に与えた量です。「家禽」というのは、ニワトリとかカモとかアヒルなど、人間が飼っている鳥のことです』(p.168)

 全穀物の三分の一以上を、家畜や家禽、養殖魚に与えているというのですから大変な量ですね。飢餓で苦しむ貧しい人々が沢山いるにもかかわらず、その家畜や家禽等を人間が、それも先進国の経済的に豊かな人々が食べるのですから、

『それだけの量の穀物を、動物にではなく人間に与えれば、地球上の飢餓の問題はほとんどなくなるはずです。もちろん私たちは、これを意識してやっているわけではない。つまり、貧しい国の人々を飢えさせるために肉食をしているわけではないけれども、結果的には、我々先進国の肉を食べる人たちが、貧しい国の人たちの穀類を奪うことになっているわけです。』(pp.168-169)

 谷口雅春先生がおっしゃられるように宗教的に見ても肉食は避けるべきですが、更に谷口雅宣先生のご指摘どおり世界の飢餓人口を減少させるためにも肉食を止めることは大変大きな意義がありますね。

『地球には多くの穀類を生産する能力があるにもかかわらず、大量の難民が出ているでしょう。難民の数は、一四〇〇万人とも言われています。私は皆さんに「まったく肉を食うな」とは言いませんが、私たちがちょっと食事を変えて菜食を多く摂るようにすれば、そんなに大量の人たちが飢えなくてもよいのです。』(p.169)

 国際平和というと、政治の世界、経済の世界だけかというと、実は私たちの身近な日常生活の中にもその実現の鍵があるのです。

 ウシの体重を1㎏増やすためには、7㎏の穀物が必要です。
 ブタの体重を1㎏増やすためには、4㎏の穀物が必要です。
 ニワトリの体重を1㎏増やすためには、2㎏の穀物が必要です。
 魚の体重を1㎏増やすためには、1.8㎏の穀物が必要です。

 ということで、 「生長の家」では創始者・谷口雅春先生の教えのとおり、また生長の家総裁・谷口雅宣先生のご指導どおり、できる限り肉食を避け、穀物ができるだけ飢餓に苦しむ人々の口に届くように、日常生活の中での実践を心懸けています。

3.“神の子が喜ぶ生活”を

 生長の家総裁・谷口雅宣先生『足元から平和を』の中で、こう書かれています。

『「誰でもできる、簡単な地球のためになる生き方」というものは、実は「自分の欲望」をどのように制御するかということだと、これでお分かりになったと思います。「地球規模の問題は、すなわち我々自身の欲望の問題である」ということです。皆さんは、この生長の家の教えを人生の早い時期に知られて、自己の中に「神」「仏」がいることを知り、その声を聴く方法を学んでいるわけですから、ぜひ毎日、神想観と聖経読諦をしていただいて、その「内なる声」に従って“神の子が喜ぶ生活”を実行していただきたい。
 そうすれば、次の世代の人類も地球も大丈夫であります(拍手)。それだけの力が人間にはあるのですから、皆さんも多くの人々に「人間・神の子」のみ教えを伝えて、地球上の人間同士のみならず、人類と他の生物がもっと平和に共存できる世界を建設していただきたいと念願するしだいであります。』(pp.172-173)

 谷口雅春先生大聖師三十三年祭に参列し、生長の家創始者・谷口雅春先生前生長の家総裁・谷口清超先生の師恩に感謝すると共に、 生長の家総裁・谷口雅宣先生のご指導のもと、 「生長の家」の人類光明化運動・国際平和信仰運動の更なる発展を心懸けてゆきたいと思わせていただきました。

                  (牧野尚一:H30.06.17)

2018年6月10日 (日)

有情非情悉く兄弟姉妹と悟る祈り

1.万物調和六章経

 生長の家創始者・谷口雅春先生と生長の家総裁・谷口雅宣先生共著の『万物調和六章経』(生長の家刊)には、

 ・大調和の神示
 ・天地一切と和解する祈り (谷口雅春)
 ・天下無敵となる祈り (谷口雅春)
 ・有情非情悉く兄弟姉妹と悟る祈り(谷口雅春)
 ・「すべては一体」と実感する祈り (谷口雅宣)
 ・神の愛に感謝する祈り (谷口雅宣)
 ・神の無限生命をわが内に観ずる祈り (谷口雅宣)

 が、収録されています。

 「大調和の神示」は、谷口雅春先生著『御守護 神示集』(日本教文社刊) にも収録されています。

 「天地一切と和解する祈り」「天下無敵となる祈り」「有情非情悉く兄弟姉妹と悟る祈り」は、谷口雅春先生著『聖経版 真理の吟唱』(日本教文社刊) にも収録されています。

 「「すべては一体」と実感する祈り」「神の愛に感謝する祈り」「神の無限生命をわが内に観ずる祈り」は、谷口雅宣先生著『日々の祈り ~神・自然・人間の大調和を祈る~』(生長の家刊) にも収録されています。

2.天地万物相互礼拝感謝の生活

 さて、 『万物調和六章経』に収録されている「有情非情悉く兄弟姉妹と悟る祈り」ですが、このお祈りを紹介する前に、
 谷口雅春先生著『神と偕(とも)に生きる真理365章』(日本教文社刊)には、 「すべての人種は悉く「神の兄弟」である」という小見出しで、次のようなご文章があります。

『自己の内に宿り給う神、それがあなたの生命である。あなたの生命は神なる大生命より来る。神は無限の叡智をもちたまい、必要に応じて必要なるものを準備したまう。(中略)皮膚の色が異なるとて、その人々に宿る「神の生命」は本来「一つの神」であるから互いに兄弟姉妹なのである。皮膚の色に拘(かかわ)らず兄弟姉妹互いに愛し合うべし。』(pp.292-293)

 全人類、悉く「神の子」であり、兄弟姉妹である。これが「生長の家」の変わらざる不変の真理です。人種を超え、民族を超え、国を超え、宗教を超えて全人類、悉く「神の子・仏の子」です。

 そして、このご文章の次に、 「天地万物相互礼拝感謝の生活」という小見出しで、次のようにあります。

『鳥類は、季節が冬に近づけばその羽根の装いが豊かになり、厚い外套を着たように羽毛が密生するのである。夏近づけば夏服に着かえるかの如く、羽根の装いが軽くなり、厚い外套を脱いで、恰(あたか)も夏服に着かえるのである。植物にもこれが起る。同じ摂氏十度でも、夏を過ぎて摂氏十度が近づけば、欅(けやき)の葉は黄色くなって落葉しはじめて冬の支度をするのである。ところが冬も終りに近づいて春が間近になると知ると、摂氏十度よりも寒い日であっても、前途の春をチャンと予知して欅は、新しい緑の若葉を出しはじめるのである。脳髄も神経組織もないかのように見えている植物も「知る」力をもっており、「知った事」に対して準備をする不思議な智性をもっているのである。その「不思議な智性」が植物に宿る「神」である。神は到る処(ところ)に充ちていられる。』(pp.293-294)

  私の住む、山梨県北杜市は、自然豊かな所で、冬はほとんどの木々が葉をおとしていたのに、春になるといっせいに若葉が出てきて、今は見渡す限り、濃淡様々な美しい緑に蔽われています。

『その「不思議な智性」が植物に宿る「神」である。神は到る処(ところ)に充ちていられる。』

 続いて、谷口雅春先生は次の様に書かれています。

『釈尊はこの真理を直感せられた。そうして「有情非情(うじょうひじょう)同時成道(じょうどう)、山川草木国土(さんせんそうもくこくど)悉皆成仏(しっかいじょうぶつ)」と讃歎(さんたん)せられたのである。それを簡単に説明するならば、「有情」即ち「情(こころ)有るもの」(動物等)も、「非情」即ち情非ざる者(鉱物、植物等)も「同時」即ち「超時の今」神の大生命(道)が現成せるものである。そして山も川も草も木も国土も悉く皆、仏のいのちの現成せるものである。宇宙の一切悉く神なる大生命の顕現ならざるものはないという意味である。
 この覚(さと)りに立って生活するとき、一切を礼拝し、一切に感謝する相互礼拝、相互感謝の生活が始まるのである。(谷口雅春著『無門關解釋』参照)』(p.294)

 「有情非情同時成道、山川草木国土悉皆成仏」
 素晴らしい真理ですね。

 「天地万物相互礼拝感謝の生活」
 これが「生長の家」の生き方です。

3.有情非情悉く兄弟姉妹と悟る祈り

 さて、 『万物調和六章経』に収録されている「有情非情悉く兄弟姉妹と悟る祈り」は、次のように始まっています。

『神は天地万物の創造本源であり給う。神は天地万物の生命として、天地一切のものの内に遍満して、その存在を支えて居給うのである。
 私たちが花を見て、花の美しさを感ずることができるのは、私たちの生命と花の生命とが本来ひとつであるからである。私たちが空の星を見て、それを理解し天地の悠久を感ずるのも、星の生命と私たちの生命とが本来一体であるからである。或いはまた空の鳥を見て、その可憐さを感じ、その声の美しさに聴き惚れるのも、空の鳥の生命と私たちの生命とが本来一つであるからである。
 大地に生うるいろいろの植物の果実が人間の食物となって私たちを生かしてくれるのは、植物の生命に“神の生命”が宿っており、私たちの生命と本来一体であるからである。』(pp.30-33)

 紫陽花やバラが咲き、夜空には月や星が輝き、昼にはツバメ達がしきりに飛び交って、あちこちで巣作りをしてヒナを育てています。キジが歩いているのを見かけたり、森からは様々な鳥の声が聞こえます。春は自然の息吹、息づかい感じられる美しい季節ですね。

 食事でいただくご飯や野菜・果物が、私たちの糧となり栄養となるのは、そこに“神の生命”が宿っているからに他なりません。

『そのように、すべての生きとし生けるもの、在りとしあらゆる物ことごとくに“神の生命”が宿っており、そのすべてが私たちの生命と一体であるから、天地一切のものは、私たちの心の響きに感応して、或る結果をもたらすのである。それゆえに、物質と見えているものでも、私たちがそれに感謝し、それに宿る神の生命を直視して祝福するならば、その祝福に感応するのである。果樹に感謝し、果樹を祝福するならば、豊かにして美味しい果実がみのるのである。』(pp.33-36)

  このようにすべての動植物に“神の生命”が宿っているのですから、私たちの感謝の思いは伝わり、また大いなる恵みとしてまた私たちに還ってくることとなります。ただただ、感謝・合掌・礼拝・讃嘆あるのみですね。

『天候のごとき自然現象も、人の心に対して鋭敏な反応を示すものである。常にそれに対して感謝している人たちには、常に天候和順にして、その人に害を蒙らせることがなくなるのである。「私が旅立つ時には必ず天気はよくなる」と言う人は、常に天候に対して感謝している人である。』(pp.36-38)

 晴れの日も大切です。そして雨も雪も、風も台風も大切です。自然の全てに感謝しておりますと、万事好都合に整ってまります。

4.神の子・人間の尊き使命

『この世界は“神の世界”であり、この宇宙は“神の宇宙”であり、御空(みそら)は“神の御空”であり、大地は“神の大地”である。天上天下、神の遍在し給わないところとては無いのである。それゆえに、神を拝し、神を讃え、神に感謝し、みこころを自己の生活に実践する者には、如何なる災害も自己に降りかかってくることはないのである。神は人間を万物の霊長として、天地一切のものを霊的に支配する権能を与え給うたのである。それゆえに、如何なる物も、人間が義しき心をもって生活し、他を害する心を起さない限り、自分が害されるということはあり得ないのである。』(pp.38-41)

『神は人間を万物の霊長として、天地一切のものを霊的に支配する権能を与え給うたのである。』
 とありますように、私たち人類は動植物や鉱物を愛護し、自然の運行に支障を来さないように自然を大切に保護する義務と使命があります。
 間違っても、ウランや石油・石炭等の地下資源の乱獲、ひいては環境破壊、CO2の排出等によって、母なる地球の温暖化という危険な状態を引き起こすような愚かな行いをしては、万物の霊長なる「神の子」とは言えません。

『すでに「実相の世界」においては、すべての物が、宇宙の本源たる“唯一の神”に中心帰一し、一切の生物、たがいに兄弟姉妹として相和し相睦び、すべてのものその処を得て大調和の相であるのである。神よ、この地上の現象世界においても、実相世界の中心帰一大調和の世界が実現して人類すべてが兄弟姉妹の自覚に入り、永遠に地上に天国が実現いたしますように護り且つ導き給え。ありがとうございます。』(pp.41-44)

 宇宙の本源たる“唯一の神”に中心帰一し、その御心の実現に邁進するとき、「神・自然・人間の大調和」した実相世界の中心帰一大調和の世界が地上にも実現して、人類すべてが兄弟姉妹の自覚に入り、永遠に地上に天国を実現することができるのです。これが、 「生長の家」の人類光明化運動・国際平和信仰運動です。

 「生長の家」は立教以来、生長の家創始者・谷口雅春先生、前生長の家総裁・谷口清超先生、そして生長の家総裁・谷口雅宣先生のご指導をいただいて、着々とその使命を果たしてきました。いよいよ21世紀は、その理想実現の世紀です。

 今、 「生長の家」がその至高の真理の宣布と共に何を目指しているかを明確に知っていただくために、ぜひ、 「生長の家」の「環境方針」を熟読・味読ください。

 生長の家創始者・谷口雅春先生、前生長の家総裁・谷口清超先生、そして生長の家総裁・谷口雅宣先生の略歴は、以下をご覧ください。

 ○ 生長の家創始者・谷口雅春先生

 ○ 前生長の家総裁・谷口清超先生

 ○ 生長の家 総 裁 ・谷口雅宣先生

                  (牧野尚一:H30.06.10)

2018年6月 6日 (水)

天下無敵となる祈り

1.万物調和六章経

 生長の家創始者・谷口雅春先生と生長の家総裁・谷口雅宣先生共著の『万物調和六章経』(生長の家刊)には、

 ・大調和の神示
 ・天地一切と和解する祈り (谷口雅春)
 ・天下無敵となる祈り (谷口雅春)
 ・有情非情悉く兄弟姉妹と悟る祈り (谷口雅春)
 ・「すべては一体」と実感する祈り (谷口雅宣)
 ・神の愛に感謝する祈り (谷口雅宣)
 ・神の無限生命をわが内に観ずる祈り (谷口雅宣)

 が、収録されています。

 「大調和の神示」は、谷口雅春先生著『御守護 神示集』(日本教文社刊) にも収録されています。

 「天地一切と和解する祈り」「天下無敵となる祈り」「有情非情悉く兄弟姉妹と悟る祈り」は、谷口雅春先生著『聖経版 真理の吟唱』(日本教文社刊)にも収録されています。

 「「すべては一体」と実感する祈り」「神の愛に感謝する祈り」「神の無限生命をわが内に観ずる祈り」は、谷口雅宣先生著『日々の祈り ~神・自然・人間の大調和を祈る~』(生長の家刊)にも収録されています。

2.天下無敵となる祈り

 さて、 『万物調和六章経』に収録されている「天下無敵となる祈り」は、次のように始まっています。

『宇宙全体が神の自己実現であるのである。それ故に、宇宙全体に神の生命と愛と智慧とが行き亙っているのでる。それゆえ宇宙にある一切の存在にはすべて神の生命と愛と智慧とが宿っており、その不思議なる力が脈々として一切のものの内に搏動(はくどう)しているのである。』(pp.15-16)

 人間は生きている。動物、植物にも生命がある。そして、実は鉱物も、地球も、宇宙全体も神の生命と愛と智慧とが宿っている、というわけです。宇宙全体が生命に満ち満ちて搏動しているのですから、素晴らしいですね!

『われわれ自身の内にも神の生命が宿っており、神の愛と智慧とが常に我が内に脈動しているのである。わが内に宿る神の生命と、一切の他者にやどる神の生命とは、全く同じき神の生命であるのである。わが内に宿る神の愛と、一切の他者にやどる神の愛とは、全く同じき神の愛であるのである。わが内に宿る神の智慧と、一切の他者にやどる神の智慧とは全く同じき神の智慧であるのである。されば仮に“一切の他者”という語をもってしたけれども、決して実相において「他者」なるものは存在しないのである。他者は何一つ存在しないのであって、すべてものは自分の生命の兄弟姉妹であり自分の生命の分かれであり、自分と一体なのである。それを称して“自他一体”と称するのである。』(pp.17-20)

 あらゆるものの内に神の生命が宿っているのですから、すべては神において一体です。すべて神の生命の兄弟姉妹であって、他者なるものはいない、というわけです。

『私は今この自他一体の真理を自覚するがゆえに、天下にひとりの敵も存在しないことを知るのである。それゆえに私は天下無敵であるのである。神においてすべての存在と一体であることを私は自覚するが故に、私はすべての人を愛さずにはいられないのである。愛は愛を招ぶ。されば私はすべての人々から愛されるのである。私は寂しさを知らないのである。』(pp.20-23)

  天下無敵とは、あらゆる敵に勝てるという意味ではありません。「敵が無い」のです。宇宙に存在するすべてが「神の生命」を宿しているのですから、皆、親しい「神の子・兄弟姉妹」ですから、敵そのものが無いのです。

『すべての人々の生命がわが生命と一体であるだけでなく、すべての動物・植物の生命とも私は一体であるから、すべての動物・植物に対しても私は愛を感ずるのである。それゆえにいかなる動物からも害されることはないのである。すべての昆虫、その他、這う虫、飛ぶ虫のわざわいをも受けることなく、わが果樹園にも茶園にも田畑のも害虫の被害などはないのである。如何なる細菌も真菌もヴィールスも、すべて“生”あるものは、神のいのちを宿してこの世に出現せるものであるから“神の子”である私を害することは決してないのである。』(pp.23-26)

 「生長の家」が、「神・自然・人間の大調和」と強調いたしますのは、まさに、
『すべての人々の生命がわが生命と一体であるだけでなく、すべての動物・植物の生命とも私は一体であるから、すべての動物・植物に対しても私は愛を感ずるのである。』
 という真理から来ています。

 残念ながら21世紀の今日、意外とこの「自然と一体」という「生長の家」の真理の理解がまだまだ乏しいようです。

 仏教では、「山川草木国土悉皆成仏 有情非情同時成道」という言葉のとおり、自然の中にも仏を見、日本古来の惟神の道でも山にも樹や石等にも神が宿ると見て来ましたが、現代人はこの感覚を喪失して久しいようです。
 それが、ウランや石油・石炭等の地下資源の乱獲、ひいては環境破壊、CO2の排出等によって、母なる地球の温暖化という危険な状態を引き起こしているわけで、もう一度、
『すべての人々の生命がわが生命と一体であるだけでなく、すべての動物・植物の生命とも私は一体であるから、すべての動物・植物に対しても私は愛を感ずるのである。』
 という「生長の家」の根本真理に全人類が立ちかえる必要がありますね。

 生長の家創始者・谷口雅春先生、前生長の家総裁・谷口清超先生、そして生長の家総裁・谷口雅宣先生のご指導どおり、「神・自然・人間の大調和」の「生長の家」の真理が、今、全人類に、全世界に広がり行くべき時ですね。

3.天地一切のものと和解する

 『万物調和六章経』に収録されている「天下無敵となる祈り」は、次のようなお言葉で終わっています。

『宇宙の一切の生命は、唯ひとつの神の生命に生かされ、唯ひとつの神の智慧に支配され、導かれているが故に、生き物たがいに相冒し合いて病を起こすなどということはあり得ないのであう。もし細菌、真菌、ヴィールス等にて病を起こすことがあるならば、それは自分の心に何か不調和が存在し、天地一切のものと和解していない事があるのが影をあらわしているに過ぎないのであって、決して如何なる生物も実相においては自分を害するものではないのである。それ故、私は常に如何なる微生物をも恐れることなく、常に自己の心を反省して天地一切のものと和解するのである。神とその実現であるところの天地一切のものを礼拝し奉る。』(pp.26-29)

  万物の霊長たる人類が、「神の子・人間」の深い真理に立脚して、自然を愛し護り、人類相互に礼拝し合うとき、そこに忽ちにして、神の創造された実相世界さながらの姿が地上にも投影し、地上天国・極楽浄土・仏国土が現成いたします。

 人類の使命、 「生長の家」の使命もまた大なる哉ですね。
 ぜひ、 「生長の家」の「環境方針」を熟読・味読ください。

 生長の家創始者・谷口雅春先生、前生長の家総裁・谷口清超先生、そして生長の家総裁・谷口雅宣先生の略歴は、以下をご覧ください。

 ○ 生長の家創始者・谷口雅春先生

 ○ 前生長の家総裁・谷口清超先生

 ○ 生長の家 総 裁 ・谷口雅宣先生

                  (牧野尚一:H30.06.06)

2018年6月 5日 (火)

人生は何のためにあるか

 前生長の家総裁・谷口清超先生には沢山のご著書がありますが、その一冊に『伸びゆく日々の言葉』(日本教文社刊)があります。
  1月1日から12月31日まで、珠玉の真理のお言葉が綴られた366日の箴言集です。(2月29日もあります)

1.神意を生きる

 6月の章は「神意を生きる」です。 「6月2日 唯一なる主体者」には、次の様にあります。

『キリストはこう教えられた。「汝ら、神と富とに兼事(つか)うること能わず。この故に我なんじらに告ぐ、何を食(くら)い、何を飲まんと生命(いのち)のことを思い煩(わずら)い、何を著(き)んと体のことを思い煩うな」(マタイ伝六-二四・二五)と。あなたは“金もうけ”のために、神を利用してはいないか。あなたは富という主人公に仕える奴隷となってはいないか。何を食い、何を飲まんとして、身体を主人公とし、その癒しを神に要求するという矛盾を犯してはいないか。ただ唯一なる主体者は神である。その神に仕える者にのみ、富も健康も安全も幸福も与えられるのである。』(pp.132-133)

 信仰者にとってはあたりまえの事ですが、常に「神(それも“唯一絶対神”)の御心を生きる」ということが何よりも第一のことですね。これがありますと、すべてが整います。個人の幸福も、社会の調和も、国家の繁栄も、世界の平和も、すべて「神の御心(即ち神意)」を第一にすることから実現されます。
 私の信ずる神、私の信ずる仏等々、各自の信仰する対象が皆それぞれ違っていても良いのですが、実はそれは、偉大なる「宇宙唯一絶対神」の様々な顕れであって、一切対立矛盾する存在ではない、ということを相互に理解しておくことが大切ですね。
 お互いの信仰対象を尊重し合い、理解し合い、讃え合い、無限の大愛なる「神意」の実現をこそ第一にしたいものです。

2.神以外のものはナイ

 「6月3日 日時計主義」には、次の様にあります。

『太陽の輝く時のみを記録するものは何か。日時計である。太陽の方向にくびを回すものは何か。それは「ひまわり」である。光に背を向けるものは何か。それはウジムシであり、黴菌(ばいきん)であり、陰謀(いんぼう)を企(たくら)む者である。吾々は「ひまわり」の如く生き、日時計の如く光明の時を記録する。すると必ず病は消え、不調和は解消し、欲するもの好ましい物全てが集り来たり、欲せざるもの好ましからざる者は全て消失する。何故なら、神は光であり、あらゆる善と幸福と健康の源泉であり、神以外のものはナイからである。』(p.133)

  『神以外のものはナイ』
  『神以外のものはナイ』
  『神以外のものはナイ』

 何十回、何百回、何千回、何万回も確認したい、素晴らしい真理ですね!

 「神」のみ独在、「神」のみ実在、「神」のみ真実ですので、罪も、病も、死も、悪しきもの一切ナイ、ということです。
 あるのは、太陽のような「光」一元の明るく、楽しい、輝く世界のみ、ということです。私達の周囲は、光り輝く楽園です。
 日常生活にそれが顕れていないとすれば、「ひまわり」の様に、太陽に、光に目を向けましょう。身の回りの恵まれていること一つ一つに感謝し、家族を讃嘆し、天地一切に感謝し、和解し、讃嘆する時、たちまちあなたの周囲に「神の世界」が実現することでしょう。
 常に「ひまわり」の様に「太陽(ひかり)」のみを見つめる生き方、それが「日時計主義」の生き方です。

 なお、「日時計主義」については、生長の家総裁・谷口雅宣先生がそのご著書『日時計主義とは何か?』(生長の家刊)に詳しくお書きいただいていますので、是非お読みください。

3.良心は神の声

 「6月4日 神の声」には、次の様にあります。

『あなたの中にある良心は、神の声である。もしあなたがその声にそむいて悪事をなすならば、あなたはあなたの内なる神、即ち「実相」に遠ざかるのみである。実相は完全円満、生き通しであるが、そこから隔(へだ)たるにつれて、不幸になる。身体も、仕事も、家庭も不調となるから、あなたはやがて反省をせざるを得なくなる。つまりあなたは常に良心に従い、内なる神の声に忠実であるべきだ。内なる神の声を否定せず、ハッキリと肯定せよ。そしてその声にいさぎよく従え。いやいや服従するのではなく、感謝し讃嘆しながら、その声に従うのである。』(p.134)

 「神の声」とは、「内なる声」、「良心」とも言います。「内なる声」を実践したとき、「良い哉、良い哉」との魂の歓喜を覚えます。

  唐の詩人で杭州の長官でもあった白居易(白楽天)が、ある時、道林(どうりん)禅師に「仏法とはどのようなものですか」と聞いたそうです。
 すると禅師は、
「諸悪莫作 衆善奉行」(わるいことはしない よいことだけする)
とおっしゃいました。
 白居易は大いに不満で、
「そんな事なら三歳の童子だって言えます」
といいました。
 禅師は、
「三歳の童子でも言えるが、八十歳の老翁がそれを行い得ないのである」
と答えました。
 白居易は、謹んで禅師に感謝し礼拝したということです。

 谷口清超先生著『正法眼蔵を読む 中巻』(日本教文社刊)pp.468-472等に詳しく書かれています。

4.人間を神がつくったのは、神自身を享受せんがため

 「6月5日 人生最大の目的」には、次の様にあります。

『「人間を神がつくったのは、神自身を享受せんがために、神自身の生命を此の世に具体化したのである」と生長の家の創始者谷口雅春大聖師は法語の中で述べておられる。神が自らを享受する、即ち“悦ぶ”ということが人生の最大目的である。それを時として人々は「人生は苦しい」と思いちがえて、苦痛や苦悩を人生の中央部に据え付ける。すると劇場の舞台の装置のように、どのような仮設された化け物でも、人生舞台の上に登場するのだ。しかし本当は“悦び”のみが神の御心であることを、今こそ確認しようではないか。』(pp.134-135)

  生長の家創始者・谷口雅春先生『新版 光明法語〈道の巻〉』(日本教文社刊) には、次のようにあります。

『一月一日の法語 人生は何のためにあるか

 人間が地上に生(せい)をうけたのは何故(なぜ)だろうか。何のために人生はあるのだろうか。人間は何のために生れたのだろうか。これこそは真面目(まじめ)な真剣な人々の切実な問(とい)である。人間を神がつくったのは、神自身を享受せんがために、神自身の生命を此の世に具体化したのである。凡(およ)そ自己が存在するならば自己の存在を自己が知らねばならない。知らなければ自己が存在するところの意義をなさないからである。しかし自己が自己を知ると云うことは、眼が自分の眼を見ることが出来ないと同様にそのままでは出来ないのである。』(p.29)

 神が、神ご自身を見たいと思われて誕生したのが「神の子・人間」でした。
  実際、私達も親として、子や孫を見ていると、それだけで楽しく嬉しいものですが、神様もまた、あらゆる大宇宙、そして大自然・地球、あらゆる動植物、人間に自分の姿を表現し顕し、それを眺め、讃美しておられるというわけです。

 従って「神の子・人間」たる私達は、大宇宙の謎に挑み、大自然・地球、あらゆる動植物と仲良く共生し、そして「神の子・人間」同士、互いに讃え合い、助け合って美しい天国・浄土を実現して、「諸悪莫作 衆善奉行」の日々を送る必要がありますね。それこそが、「神の子・人間」の生き方であり、使命ですね。
 神の似姿に造られましたことに、ただただ感謝・合掌です。

                  (牧野尚一:H30.06.05)

2018年6月 4日 (月)

天地一切と和解する祈り

1.万物調和六章経

 生長の家創始者・谷口雅春先生と生長の家総裁・谷口雅宣先生共著の『万物調和六章経』(生長の家刊)には、

 ・大調和の神示
 ・天地一切と和解する祈り (谷口雅春)
 ・天下無敵となる祈り (谷口雅春)
 ・有情非情悉く兄弟姉妹と悟る祈り (谷口雅春)
 ・「すべては一体」と実感する祈り (谷口雅宣)
 ・神の愛に感謝する祈り (谷口雅宣)
 ・神の無限生命をわが内に観ずる祈り (谷口雅宣)

 が、収録されています。

 「大調和の神示」は、谷口雅春先生著『御守護 神示集』(日本教文社刊)にも収録されています。

 「天地一切と和解する祈り」「天下無敵となる祈り」「有情非情悉く兄弟姉妹と悟る祈り」は、谷口雅春先生著『聖経版 真理の吟唱』(日本教文社刊)にも収録されています。

 「「すべては一体」と実感する祈り」「神の愛に感謝する祈り」「神の無限生命をわが内に観ずる祈り」は、谷口雅宣先生著『日々の祈り ~神・自然・人間の大調和を祈る~』(生長の家刊)にも収録されています。

2.天地一切と和解する祈り

 さて、 『万物調和六章経』に収録されている「天地一切と和解する祈り」は、次のように始まっています。

『われ今、ここに、神の子として新生し、神に感謝し奉る。神は普遍的存在にましますのである。一切を包容し、一切のものの周囲に、また一切のものの中にましまして、一切のものを渾然(こんぜん)と一つに融和(ゆうわ)していたもうのである。それゆえに、私もまた、神の子として、その渾然たる一つの融和体の中に存在するのである。それゆえに私は、天地一切のものと融和し、天地一切のものと調和の関係にあり、わが働きは、他の天地一切のものを生かす働きとなり、また天地一切のものの動きは、また我れを生かす動きとなるのである。』(pp.1-4)

 日々「新生」するのが「神の子」です。昨日の自分はもうありません。「今日」「神の子」として「新生」した私が、あなたが、「今」「ここに」います。

 それというのも、宇宙創造の神様は、永遠不滅、完全円満な存在ですが、同時に無限創造、無限生長のご存在ですので、活気凜々として日々新たに創造を続けておられますので、「神の子」の私たちも日々新生です!

 その宇宙創造の大神様の展開が、実相大宇宙の天地一切の存在そのものですから、すべては神の御心のままに渾然として融和し、おのおの所を得て大調和しています。一切の対立はなく、神と自然と人間が互いに生かし合い、愛し合う、美しい世界がそこに展開しています。天地一切が我を生かし、我もまた天地一切の栄えのために貢献しています。

『すべての人と事とものとは、今ここに渾然と調和しており、たがいに争い立つということはないのである。現象の世界に、如何なる対立の関係があろうとも、如何なる闘争の関係があろうとも、それは妄想の顕すところであり、妄想はやがて消える運命にあるのであるから、私はそれを恐れることもないし、それに驚くこともないのである。妖雲羃々(よううんべきべき)と空を覆うことがあっても、その上には常に青空があるのと同じように、如何に暗澹(あんたん)たる状態が現象的に現れてこようとも、その状態に対して心を動ずることはないのである。心を動ずることがないから、何らの対策をも講じないのかというと、決してそうではないのである。心を動ずるこがないから、最も適切なる智慧が泉の如く涌き出で暗(やみ)を消してしまう処置ができるのである。』(pp.5-9)

 宇宙創造の大神様の創造された神の世界(実相世界)は、永遠不滅、完全円満、無限創造、無限生長の世界ですから、一切の不調和、不完全はありません。
 ただ、その神の世界を表現しようと「神の子・人間」が造りだしている世界、これを現象世界といいます。人間の五官(目、耳、鼻、皮膚、口)で認識している世界を現象世界といいますが、人間の心で創造したこの現象世界には、一見、対立や闘争があるかのように現れて見えます。

 映画のスクリーン(現象世界)でも、撮影されたフィルムの画像(実相世界)が完全でも、投影するレンズ(心)が曇っていたらスクリーンには綺麗に映りません。このように「実相」というフィルムが完全でも、「心」というレンズが曇っていますと、「現象」というスクリーンに不完全や不調和が映し出されてしまいます。

 しかし、心の曇りを除けば、綺麗に実相の姿が投影されますから、失望する必要はありません。あなたの心の曇りを消すと、あなたの周囲には、たちまち実相世界さながらの真・善・美の世界が展開します。そういう人々が増えて行くにつれて、この世界に、地上天国・極楽浄土・仏国土が顕現してまいります。

 心を神に合わせ、神の御心に従う時、もっとも速やかに調和した世界を実現できる叡智を授かることができます。

『光の進軍に対しては暗は逆らうことも、抵抗することもできないのである。事に応じてわが為すところの行為は、神の子として大神の智慧の炬火をとぼして進軍するのであるから、誰もそれを遮(さえぎ)ることはできないのである。神は「暗(やみ)に対しては光を以って相対せよ」と仰せられているのである。光は進む、暗は消える。神はわれに「常に心を明るくもて」と仰せられているのである。一時といえども私は心を曇らすことをしないのである。神は勇気の本源であり、神の子たる私は、勇気そのものである。神の智慧にわれに来たりて、迅速果敢に適当なる決意と断行をなさしめ給うのである。
 ああ、感謝すべきかな、天地万物は、ことごとく神の子として兄弟姉妹であり、われを常に祝福し、われを常に援助し、わが希望を必ず成就せしめ給うのである。』(pp.9-14)

 暗(やみ)というのは、確固として実在するものではありません。何千万年前からの洞窟でも、小さなロウソクの光をともしたら、暗は一瞬にして消えます。
 そのごとく、不完全、不調和等々の神ならざる暗の姿は、単に光の不在を意味していますので、神が顕れたら、そこにあると見えた暗は忽ち消えることとなります。

 神は、無限の智慧、無限の愛、無限の生命、無限の供給、無限の歓喜、無限の調和、そして無限の「光」ですから、一切の不調和・不完全は忽ちに消え、神の大調和の世界が実現いたします。

 『神はわれに「常に心を明るくもて」と仰せられているのである。』

 「常に」が大事ですね。常住、日々、心を明るくして過ごしましょう。
 「生長の家」では、この生活法を「日時計主義の生活」と言っています。
 日時計が、明るい時だけ時刻を刻むように、明るい心で、明るいことだけを常に心にえがく生き方、これが、「日時計主義の生活」です。

『天地万物は、ことごとく神の子として兄弟姉妹であり、われを常に祝福し、われを常に援助し、わが希望を必ず成就せしめ給うのである。』

 「天地万物」ですから、「自然を除く」ではありません。大自然も、あらゆる人種・民族、全人類が皆、兄弟姉妹であり、常に私を生かし、援助し、わが希望を成就させてくださるというのですから、まったく神様のお働きは素晴らしいですね、ありがたいですね!

 生長の家創始者・谷口雅春先生と生長の家総裁・谷口雅宣先生の略歴は、以下をご覧ください。

 ○ 生長の家創始者・谷口雅春先生

 ○ 生長の家 総 裁 ・谷口雅宣先生

                  (牧野尚一:H30.06.04)

2018年6月 2日 (土)

生長の家講習会のご案内(6月)

 「生長の家」の教えとはどのようなものなのか知りたい、学びたいとお考えの方は、是非「生長の家講習会」にご参加ください。全国59会場で2年に1度開催される講習会では、生長の家総裁・谷口雅宣先生、生長の家白鳩会総裁・谷口純子先生のご講話を直接聴くことができます。また、信徒の体験談や聖歌の合唱なども行われて、1日ゆったりと教えを学ぶことができます。

 開催教区以外の方、信徒でない方も自由に参加できます。日時と会場をご確認の上、ぜひご参加ください。

◆講習会日程◆

◎2018年6月の予定

 10日(日)長崎南部・長崎北部

      長崎市 メイン会場 長崎ブリックホール 
      島原市 島原会場 島原文化会館 
      佐世保市 佐世保会場 アルカスSASEBO 
      西海市 総本山会場 生長の家総本山
 

  ※上段2会場については長崎教化部へ、下段2会場については佐世保教化部
   お問い合わせください。

 24日(日)富山・石川

      富山市 メイン会場 オーバード・ホール(富山市芸術文化ホール) 
      金沢市 金沢会場 金沢歌劇座(大集会室) 
      小松市 小松会場 小松市民センター 
      七尾市 七尾会場 和倉温泉観光会館
 

  ※上段1会場については、富山県教化部へ、下段3会場については、石川県教化部
   お問い合わせください。

※時間はいずれも午前10時〜午後2時です。

※詳細は、最寄りの生長の家教化部へお問い合わせください。

◆講習会テキスト◆

谷口雅春先生『新版 光明法語〈道の巻〉』

谷口雅宣先生『凡庸の唄』

                  (牧野尚一:H30.06.02)

2018年5月25日 (金)

今こそ自然から学ぼう

1.地球温暖化による生態系への深刻な影響

 インターネットに『<英国研究チーム>0.5度差で生息域半減の昆虫が3倍に』《5/24(木) 19:34配信 毎日新聞【伊藤奈々恵】》とありました。

 それによりますと、産業革命前から今世紀末までの気温上昇が2度だった場合、1.5度の場合と比較すると生息域が半減する昆虫が3倍に、哺乳類は2倍になるとのことで、その分析結果を英国などの研究チームが米科学誌サイエンスに発表したとのことでした。
 ミツバチなど農作物の受粉を担う昆虫も温暖化の影響を大きく受けるといい、研究チームは「昆虫の生息域の減少は人の活動にも大きな影響を与える」と指摘しています。

 2016年11月に発効した温暖化対策の国際ルール「パリ協定」は、世界の平均気温の上昇を産業革命前に比べ2度未満に抑えることを目標とし、1.5度未満を努力目標に掲げています。

 研究チームは、陸上に生息する
  昆虫   31,000種
  哺乳類 17,000種
  植物    7,3000種
 --など115,000種以上の生物を対象に、

 気温上昇が1.5度
         2度
         3.2度
         4.5度
 --だった場合の生息域を、近年の生息域の温度を基にシミュレーションしました。
 その結果、生息域が半減する昆虫は1・5度の場合は6%だったが、2度では18%になり、ミツバチの仲間は特に影響を受け、2度になると20%超の種類で生息域が半減するということです。哺乳類は4%から8%に、植物は8%から16%になりました。

 気温上昇に伴う生物の移動も想定していますが、研究チームは「2度上昇すると多くの生物は変化に適応できず、生息域の大部分を失う」と指摘。「多様性の観点からも、1.5度の目標を達成するメリットは非常に大きい」としていました。

 研究チームは、現在の各国の二酸化炭素削減目標では3.2度まで気温が上昇し、対策を取らない場合、4.5度まで上昇すると想定して分析。3.2度の場合は生息域が半減する昆虫は49%、4.5度では67%に上ったとのことでした。

2.生命の多様性

 エドワード・オズボーン・ウィルソン(Edward Osborne Wilson, 1929年6月10日 - )博士の『生命の多様性Ⅰ・Ⅱ』(岩波書店)も、早くからこの生物多様性の重要性と、その喪失の危険性を指摘した名著です。生長の家総裁・谷口雅宣先生は、ご著書『今こそ自然から学ぼう』(生長の家刊)の中で、この書について次のように紹介されています。

『ウィルソン博士は、人類がこれまで他の生物からどれほど恩恵を受けて生きてきたかを忘れていると指摘し、それを「健忘症」と批判しているのだった。博士はこう続ける:

 こうした健忘症気味の空想の中では、生態系が人間に提供してきた恩恵(サービス)もえてして見逃されがちである。だが生態系は土地を肥やし、私たちがこうして今呼吸している大気をも作り出しているのだ。こうした恩恵なしには、これから先に残された人類の生活は、さぞかし短く険悪なものとなろう。そもそも生命を維持する基盤は緑色植物とともに、微生物や、ほとんどが小さな無名な生きもの、言い換えれば雑草や虫けらの大集団から成り立っているのだ。非常に多様であるため地表くまなく覆いつくし、分業して働くことができるこのような生きものたちは、世界を実に効率的に維持している。彼らは人類がかくあって欲しいと思うとおりのやり方で世界を管理しているが、それはなぜかというと、人類自体この生きた群集の中に混じって進化してきた動物であり、かつ人間の体の機能は人類以前にすでにできあがっていた特定の環境に合うよう、念入りに調整されているからである。
 (大貫昌子・牧野俊一訳『生命の多様性Ⅱ』岩波書店刊、五四〇頁)』

 この紹介の後、谷口雅宣先生は、次の様に書かれています。

『宗教的な言葉は一切使われていないが、これは「すべては神において一体である」という思想を生物学の言葉で表現している、と私は思った。また、「自然界においてはすでに生物間の大調和が実現している」という考え方が背後にあると感じた。そして博士は、「我々人類自体が生物多様性の産物であるから、生物多様性を破壊することは自殺行為に等しい」と言っているのである。』(p.ⅱ)

 私も、ウィルソン博士の『生命の多様性』を読ませていただきましたが、いかに生物の多様性が豊かで重要であるか、また人類そのものがその生態系の中にあって、生物の多様性があってはじめて生存し得ていることが大変よく分かります。

 私たちの身体そのものが地球と一体不可分のものであり、人類は生物多様性の中で生かされ、そのシステムの一部となっているのですから、むしろ積極的に生物多様性の維持発展に貢献すべき立場にありますね。
 地球温暖化防止とは、生物の多様性の尊重であると同時に、人類の生存を左右する問題であることが本当によく分かります。

 ウィルソン博士は、『生命の多様性Ⅱ』の中でこう書いています。

『最近ではガイアと呼ばれている母なる地球とは、生物の共同体のことであるとともに、刻々過ぎてゆく時間に合わせてこれら生物たちが維持している物理的環境のことに他ならない。』(p.540)

 まさに、「地球は生きている」ということですね。

 エドワード・オズボーン・ウィルソン博士の『生命の多様性』(全2巻)、ぜひご一読ください。

 エドワード・オズボーン・ウィルソン著
 『生命の多様性』Ⅰ・Ⅱ(大貫昌子・牧野俊一訳)岩波書店刊

 なお、文庫本も出版されています。
 エドワード・オズボーン・ウィルソン著
 『生命の多様性』上・下(大貫昌子・牧野俊一訳)岩波現代文庫

3.今こそ自然から学ぼう

 生長の家総裁・谷口雅宣先生は、早くから地球温暖化の弊害について指摘されご指導くださっています。その一冊が『今こそ自然から学ぼう』(生長の家刊) ですが、 「はじめに」の中で次のように書かれています。

『ウィルソン博士の洞察にもかかわらず、しかし人類は長い間、「自然は人間にとって不都合にできている」と考えてきたようである。だから、地面に重機で穴を開け、ブルドーザーで山を崩し、森林を切り払い、凸凹道をアスファルトで覆い、鉄塔や電柱を立てて電線を引き、川を堰き止め、地中に管を埋めて水道や下水を通した。

 しかしその反面、「自然は人間の母である」との実感を人類はまだ失っていない。その証拠に、日本では「ガーデニング」や「田舎暮らし」が一種のブームであり、世界中の大都市周辺では、“母なる自然”の懐へ近づこうとする行楽客で毎週、交通渋滞が起こっている。この二つの矛盾した考え方を内にもちながら、人類の数はどんどん増え、今や六十三億もの人々が地球上にひしめいている。「矛盾した考え」は「矛盾した行動」を生み、それは人口増加とともに地球全体にとって危険な状態に達しつつあるのだ。

 前掲の文章のすぐあとで、ウィルソン博士は「人類は地球というこの特定の惑星上で他の生きものといっしょに進化してきた。私たちの遺伝子の中には、これより他の世界はない」(五四一頁) と言っている。この言葉を、私は生物の遺伝子操作によって世界が改善すると考えているすべての人々に読んでほしい。そして味わってほしい。ここで「他の生きもの」と博士が言っているのは、千や二千の種類ではない。何十万種、何百万種の生物を指しており、そのなかのほとんどは、どのような生き方をし、どのような機能を自然界で果たしているのか、人類はまだまったく知らないのである。

  が、我々はその生物種を急速に絶滅に追い込んでいる。自分の目先の利益と快適さのために、自然界の調和と安定を支えてきた無数の生物種を犠牲にし、少数の生物種だけを殖やし、新種を開発し、あまつさえ別種の生物との間で遺伝子を入れ替えたり、つけ加えたり、機能を止めたり、混ぜ合わせたりする作業に血眼になっている。これらはすべて、「自然は人間に不都合にできている」という考え方の産物だ。』(pp.ⅲ-ⅳ)

 地球温暖化防止の課題は、21世紀の最重要課題の中の喫緊の一つです。

 『今こそ自然から学ぼう』の巻末には、 『宗教法人「生長の家」環境方針』 も掲載されています。ぜひ、 『今こそ自然から学ぼう』の全文を熟読・味読ください。

                  (牧野尚一:H30.05.25)

2018年5月21日 (月)

森羅万象すべてのものを神として愛し敬する


1.人生の目的


 人生の目的とは何でしょう。

 人は一般的にまず自己中心に物事を考え、富の拡大もあくまで自己中心的になりがちです。が、やがて利己主義であることに魂の不満足を感じ始め、何か人類に貢献しなければならないと思うようになります。そして、自然や人類への貢献を始めた時・・・

 生長の家創始者・谷口雅春先生のご著書『生命の謎』(日本教文社刊)には、人間が何のために生まれたかについて次の様に書かれています。

『今迄の如き「自分」にのみ凡ゆる富をかき集めようとしたその想いが決して幸福をもたらさないことを悟り、自分が本当に幸福になるためには、他の人が幸福にならなければならないということを知り始めるのである。』(p.311)

 魂の目覚めですね。肉体的な満足よりも、もっと高次な魂の喜び、霊的な喜びこそが、真の喜びだと気づきます。自分だけが楽しいだけでは真に喜べず、人に喜んでもらえた時、真の魂の喜びが湧いてきます。

『そこで彼は二つのことを悟るのである。(一)物質は無である事、それは掻き集めることによっては、決して自分を幸福にするものでないこと、それは与えることによって自己の愛を表現する場合に価値のあること。(二)人間は孤立したものでないこと。すべての人間は互に兄弟であり一つの生命であること。「彼」が「自分」であり、「自分」が彼であること。すべての人間を幸福にする迄は自分は本当に幸福になれないこと。この二つの真理を悟るのである。』(p.311)

 このあと、次のように続いています。

『人間が地上にいくたびも生をうけて生れ更って来る所の必要がある所以は上記の二つの真理を悟らんがためであるということができるのである。内部神性の自覚をまとめあげれば実にこの二つにすぎないのである。』(pp.311-312)

 この二つが人生の目的そのものですが、それを一語で集約しますと、

『その二つを更に一つに要約すれば、それは「愛」ということである。物質には力がなくただ愛のみに力があるのである。物質と見えるものも本当は愛を媒介する為のものにすぎないのである。』(p.312)

 このご文章の見出しは、
 『人間は「愛」を実現せんがために生れた』
 です。

 『人間は「愛」を実現せんがために生れた』
 『人間は「愛」を実現せんがために生れた』
 『人間は「愛」を実現せんがために生れた』

 これが、人生の「目的」ですね。

『即ちキリストの云った第一にして最大の誡(いまし)めである所の「汝、心をつくし、魂をつくし、精神をつくし、汝の凡(すべ)ての力をつくして主なる神を愛せよ。第二の誡も亦(また)同じ、汝自身の如く汝の隣人を愛すべし」と云う誡め--吾々はこれを悟るために地上に生れて来たのであるということができるのである。吾々は神を愛しなければならない。これが第一にして最大の誡めである。しかるに神はすべてのすべてであるから、神を愛するものはすべてのものを愛しなければならないのである。だから汝の如く隣人を愛しなければならないのである。』(p.312)

 私も、青年時代、このご文章を拝読して、「人生の目的」が明確に分かり、私の新しい人生がここに始まりました。

 そしてそれに続く、次のご文章がまた大切です。

『更に神はすべてのすべてであるから森羅万象(しんらばんしょう)すべてのものを神として愛し敬(けい)さなければならないのである。「天地一切のものに感謝せよ」の教えはそこから生れて来るのである。』(p.312)

 人類のみならず、 『森羅万象(しんらばんしょう)すべてのものを神として愛し敬(けい)さなければならないのである。』というわけです。

 「生長の家」が人類光明化運動といい、国際平和信仰運動といい、そして地球環境問題に積極的に対処しているのは、まさに「天地一切のものに感謝せよ」の教えから生れて来ているからに他なりません。

 自分さえ良ければ良い、自分の家庭さえ幸せであればそれで良い、日本の国さえ素晴らしくなれば良い、人類さえ繁栄すれば自然なんてどうなっても良い・・・というのでは「生長の家」の教えではありません。森羅万象すべてのものを神として愛し敬した時、そこに神は顕れることになります。

 谷口雅春先生著『御守護 神示集』(日本教文社刊)の『大調和の神示』には、神様が明確に次のようにお示しくださっています。

『汝ら天地一切のものと和解(わかい)せよ。天地一切のものとの和解が成立するとき、天地一切のものは汝の味方である。天地一切のものが汝の味方となるとき、天地の万物何物も汝を害することは出来ぬ。(中略)われ嘗(かつ)て神の祭壇の前に供物(そなえもの)を献ぐるとき、先づ汝の兄弟と和せよと教えたのはこの意味である。汝らの兄弟のうち最も大なる者は汝らの父母である。神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ。天地万物と和解せよとは、天地万物に感謝せよとの意味である。』(pp.6-7)

 「生長の家」の教えは、 『天地一切のものと和解せよ。』です。
 『天地万物と和解せよとは、天地万物に感謝せよとの意味である。』
 そして、和解すべき生命の兄弟の内、
 『汝らの兄弟のうち最も大なる者は汝らの父母である。神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ。』
 とあります。
 両親への感謝、ご先祖への感謝は、天地万物と和解する根本です。

『われ(神)を招ばんとすれば天地すべてのものと和解してわれを招べ。われは愛であるから、汝が天地すべてのものと和解したとき其処にわれは顕れる。』(p.8)

 神は愛そのものでいらっしゃいますので、私たちが『天地すべてのものと和解したとき其処にわれは顕れる。』即ち、そこに愛と調和の世界が顕現する、というわけです。


2.神の子・無限力で「愛」の実践を


 「人間は神の子」ですから、神様同様に無限の力を有しています。
 その無限の能力を、文明・文化の発展のために開発するのも神の子の使命です。科学や経済、芸術や学問、スポーツ等々、あらゆる方面で神の子・人間の無限の能力が発揮されなければなりません。

 人は自己の能力の無限性を発揮することに喜びを感じます。そしてそれは、人類の文明・文化の発展にも貢献することですから大変よい事です。
 但し、それのみに走ってしまい、他の人々や自然に対する配慮がないといびつな文明・文化しか発展しません。

 このような自己の能力の開発・向上を仮に縦の志向性と名付けますと、もう一つ、横の志向性とも言うべき、横に広がり行く「愛」の実践においても、「神の子・人間」の無限力が発揮されなければなりません。
 その横の志向性としての「愛」の無限力の発揮がある時、縦と横の調和した美しい文明・文化が華開きます。

 このたび、生長の家総裁・谷口雅宣先生の新刊書『凡庸の唄』(日本教文社刊) が出版されましたが、縦の志向性にあわせて、まさにこの「神の子・人間」の横の志向性の大切さをもご教示いただいています。ぜひ、熟読・味読ください。

 縦の志向性と、横の志向性とが美しくバランスをとる時、そこに地上天国、極楽浄土、仏国土が顕現いたします。

 谷口雅春先生は、『生命の謎』の中でこう述べておられます。

『此の教えはすべての人間にとって必ず学ばなければならない所の真理であるのである。これを本当に魂の奥底から知る所の過程が即ち霊魂の進化ということであるのである。吾々自身は何であるか、汝自らを知ること即ち自分が肉体ではなく、神であり霊であるということを知る事と同時に、彼自身の如くすべての人間が神であり霊であるということを知ること。自分を愛し敬する事と同時に凡ての人間を、万物を愛し敬すること、此れが吾々がこの「地上生活」という学校に入学して来た所の目的なのである。すべての魂の苦しみ、悩み、悲しみ、それらは自分が苦しむためにあるのではなく、万人を、そして万物を愛すべきことの真理を悟らしめんがために自分の心の姿の映し鏡として現われて来るのである。もし吾々がこの真理を完全に知ることができるならば、すべての魂の苦しみ、悩み、悲しみは消えてしまうのである。
 しからば「愛する」とは如何にすべきであろうか。それはすこぶる簡単である。「深切であれ。敬せよ。感謝せよ。然して深切を実現するために働け。」これだけに要約することができるのである。それは誠にすこぶる簡単である。然しすべての魂の進歩の一番捷径(ちかみち)がそれに含まれているのである。』(pp.312-313)

  『自分を愛し敬する事と同時に凡ての人間を、万物を愛し敬すること、此れが吾々がこの「地上生活」という学校に入学して来た所の目的なのである。』

  『自分を愛し敬する事と同時に凡ての人間を、万物を愛し敬すること』

  『凡ての人間を、万物を愛し敬すること』

 これが、私たち「神の子」誕生の意義と目的ですね。

 「神は愛なり」
 「人間は神の子」
 従って「神の子は“愛”そのもの」
 「愛」の実践こそ、「神」を生きることになりますね。

 私たちの日常生活において、一方において今以上の能力開発に日々努めるとともに、生命の多様性の展開する大自然とすべての人類が大調和する素晴らしい世界実現のために、「愛」の実践にも心懸けてゆきましょう。

                  (牧野尚一:H30.05.21)

2018年5月19日 (土)

緑の季節

 爽やかな緑の風吹く良い季節になりました。

18051901

18051902

18051903

18051904

                  (牧野尚一:H30.05.19)

2018年5月18日 (金)

あなたは「神の子」「無限者」だ

 前生長の家総裁・谷口清超先生には沢山のご著書がありますが、その一冊に『伸びゆく日々の言葉』(日本教文社刊)があります。
  1月1日から12月31日まで、珠玉の真理のお言葉が綴られた366日の箴言集です。(2月29日もあります)

 五月の章は「無限に向上する」です。

1.道具は使いよう

 「五月十八日 道具は使いよう」には、次の様にあります。

『ピアノには八十八の鍵盤があるが、その左右の端の部分は、ほとんど使われない。人によると、買ったままで、ほとんど使わず応接間に眠らせている。コンピューターでも自動車でも、殆んどその全能力を使う人はいない。言いかえると、吾々の道具は、吾々の使用する以上の能力を持っているのである。人間の肉体も、脳髄も、人間の使う道具であるから、その人の使い方が足らないと、応接間のピアノの如く“眠って”いる。決して頭が悪いのでもなく、身体が弱いのでもない。ただ使い方が足らないだけである。』(p.121)

『人間の肉体も、脳髄も、人間の使う道具である』という点が、まず大切ですね。

「人間=肉体」でもなければ、「人間=脳髄」でもありません。「人間」は、肉体や脳髄を道具として使う“主体的生命”「神の子・人間」である、ということが大事な真理です。

 肉体や脳髄は、道具ではありますが、これがまた素晴らしい道具であることは驚嘆に値します。

 地上に人類が誕生して以来の、文明文化の発展の歴史を見る時、「神の子・人間」は何と素晴らしい存在かと驚かされます。
 もちろん、残念ながら「神の子」らしからざる失敗や争いもありました。これらは過去の教訓として、二度と同じ過ちを繰り返さないよう、神様の創造された「実相」、神と自然と人間の大調和した世界に習って、地上にも天国・極楽浄土・仏国土を顕現してゆく必要があります。

 まず、自然も人間も、すべて「神」の生命の展開であることを自覚し、そして、道具としての肉体や頭脳を大切に使ってゆきたいものです。この精妙なる肉体や脳髄の能力たるや、ほとんど無限といって良い可能性を秘めているのですから、常にその開発・向上に努めてゆきたいものです。

 なお、人類の錯覚で、「自然」も人間の道具であると考えた時期や人々もいたようですが、これは前近代的な、前世紀の発想であり、新しい文明は「自然」と「人間」の大調和の中から生み出されてまいりますね。

2.無限をあらわし出せ

 「五月三十一日 無限をあらわし出せ」には、次の様にあります。

『もっと雄大な心であれ。物的、金銭的、地位的目標にひっかかって、ウロチョロするな。あなたは「神の子」だ。あなたはすでに全てを得ている「無限者」なのだ。そのあなたが、何をアクセクし、何をクヨクヨするのか。もっと勇気と寛大さと、明朗さと、そして知性と、愛とを発揮することだ。あなたにとって残された仕事は、「神の子の中味をさらけ出す」ことであって、人を押しのけて前に進むことではない。相対的な姿勢ではなく、内なる絶対者との直接対面だ。ひたすら前進あるのみ、内部開発あるのみだ。自己自身に内在する神の子の目標をあらわし出し、自己自身の内部宇宙に肉迫するのだ。そのときあなたの目標は完全に達成されるであろう。』(p.130)

『あなたは「神の子」だ。あなたはすでに全てを得ている「無限者」なのだ。』

 これが「生長の家」の根本的真理です。 「人間神の子・無限力」という真理です。この自覚が深まれば深まるほど、無限の能力を発揮し、それを自然に対して、人類に対して奉仕・貢献しようという働きとなります。

『もっと勇気と寛大さと、明朗さと、そして知性と、愛とを発揮することだ。』

 21世紀の素晴らしい自然と人類の調和した世界実現のために、私たちの使命は誠に大きなものがありますね。

                  (牧野尚一:H30.05.18)

携帯に「日訓」が配信されています(無料)

 日本教文社では、 「生長の家」の「日訓」(明るい真理の言葉)を毎日、携帯向けに配信しています。(無料)

 私も、毎日、明るい「生長の家」の真理の言葉を楽しみに読ませていただいています。

 あなたも、ぜひ、どうぞ。

                  (牧野尚一:H30.05.18)

2018年5月15日 (火)

全てを神の手に托(たく)す

 生長の家創始者・谷口雅春先生には沢山のご著書がありますが、その一冊に『新版 光明法語 【道の巻】』(日本教文社刊)があります。
  1月1日から12月31日まで、珠玉の真理のお言葉が綴られた366日の箴言集です。(2月29日もあります)

 「五月の法語」は「神に全托する」です。

1.人生の目的とは?

 私たちが、今、地上に誕生した、その人生の目的とは何でしょう?

 「五月一日の法語 人生の目的は魂(たましい)の向上にある」には、次の様にあります。

『人生は魂(たましい)の向上の過程である。魂の向上とは「内在の完全なる実相」がより多く次第に開舒(かいじょ)することである。魂の向上にはあらゆる人生の面に触れることが必要であるのは、歯を磨くにもあるゆる角度から磨かなければならないのと同様である。従って吾々の触れる人生の面は時々変化するのは別の角度から磨かれる必要があると云うことである。新しい人生の展開、新しい境遇の展開は、今ある境遇の行き詰まりから生ずる。だから今ある境遇が行き詰まるのは新しい善き運命の先触(さきぶ)れだと信じて感謝すべきである。』(p.127)

 「人間は神の子である」
 これがまず「生長の家」の根本的真理です。
 猫の子も、親猫と同じ能力を持って生まれてきています。
 犬の子も、親の犬と同じ能力を持って生まれてきています。
 猫の子はやがて親猫になり、犬の子もやがて成犬になります。

 人間も同様で、「神の子」とは「神」とまったく同じ能力(ちから)を持って生まれている、ということです。
 その「神の子」としての全能性を生涯をかけて開発してゆくことが人生の目的であり、そのための魂(たましい)の向上こそが人生の喜びであり、「神の子」の最高の喜びですね。

 MLBで活躍している大谷翔平選手は、高校時代、3年生の最後の夏は県大会決勝で投げ負けて敗戦して甲子園に行けなかったりと、注目を浴びながらもなかなか栄光を手にすることは出来ませんでした。しかし、その挫折をバネに、持っている力をどう生かせば良いかを常に研究し、実践し、その試行錯誤の中からついに日本のプロ野球でも“二刀流”に成功し、MLBでも投げても、打っても、走っても(“三刀流”?!)と、超一流の選手として大活躍していますね。

 すべての人には、その人でなければ出来ない素晴らしい能力(ちから)があります。その神様から与えられた天性の能力(ちから)を発揮するには、様々な角度から磨き、様々な体験の積み重ねが必要です。

2.祈りは必ず成就する

 私たちは「神の子」ですから、私たちの「魂」からの願い、夢、希望、理想は、「神様」の御心の世界(実相)で既に成就しています。成就しているからこそ、「神の子」として私たちの「魂」からの願い、夢、希望、理想が湧いてきているのです。

 「五月二十一日の法語」は「全てを神の手に托せよ」です。
 神に「全托」する、これが信仰の極地です。

『如何(いか)なる問題にせよ、如何なる希望にせよ、それを祈りによって神にまかせよ。それが真に魂の底から希望するものである限り、またその成就が他の人に不幸を与えたり、他の人を犠牲にしたり、また他から奪うことにならないものである限りそれは成就するのである。それが成就しないかも知れないと云う恐怖を去れ。又他に対する怒りや憎みや恨みや争いの念を去れ。すでに全てのものは与えられているのである。それに波長を合わせさえすれば好いのである。神は必ず応(こた)えたまう。神は時期を知り給う。神の時期に委(まか)せよ。』(pp.141-142)

 では、「祈り」とは何でしょう? そして正しい「祈り方」とは?

 生長の家総裁・谷口雅宣先生は、その自由詩『観世音菩薩讃歌』(生長の家刊)「祈り」(pp.49-62)の項で、次のようにお書きいただいています。

『汝ら祈るとき
 四苦を心に想うべからず。
 非実在を想うべからず。
 実在を祈るべし。
 神の造り給いし世界の実相を祈れ。
 神の世界に四苦なしと宣言せよ。(中略)』

  生老病死の四つを合わせて四苦と言いますが、生きる上での苦しみ、老いの苦しみ、病と死の苦しみ、これらはあるように見えて、実は「ない」のです。

 なるほど、肉体だけ見ますと、人間にはこの四苦があるように見えますが、本当の「神の子・人間」は肉体ではありません。「私」の頭、「私」の腕、「私」の体と、所有格になっていて、「私」イコール頭でも、腕でも、体でもありません。「私」そのものは、「神」の「実相世界」にあり、完全円満、永遠不滅、無限生長、無限創造の「神の子」そのものです。

 その実相世界にある本当の私、即ち「神の子・人間」を自覚した時、百事如意、万事好都合の世界が現象界にも展開いたします。

 その「神」の「実相世界」、神と自然と人間とが大調和している「実相世界」から自己の内に湧いてくる夢、希望、理想は、「神」のご意志に他なりません。

『神の創造の世界には
 すべての善きもの既に在るなり。
 それ以外に「ねばならぬ」もの不要なり。

 神の創造の世界には
 すべての義(ただし)きもの既に在るなり。
 そのほかに「ねばならぬ」もの不要なり。

 神の創造の世界には
 すべての美(よろ)しきもの既に在るなり。
 そのほかに「ねばならぬ」もの不要なり。』

 神の世界は、真(義)、善、美の世界で、これが必要、あれが必要と人間心で執着すべき必要はありません。すべてが調い、すべてが与えられ、すべてに満たされています。

『汝ら執着を捨ててなお
 「吾が希望神の御心に合致す」との想い消えざれば、
 その希望実現の相(すがた)を念じ、
 「すでに受けたり」と神に感謝を捧ぐべし。
 「ねばならぬ」の心を放ち、
 結果のすべてを神に委(ゆだ)ねるべし。』

 (1) 希望実現の相(すがた)を念じ、
 (2) 「すでに受けたり」と神に感謝を捧げ
 (3) 結果のすべてを神に全托する

 これが「祈り」が成就する秘訣です。

 「祈る」とき、「すでに受けたり」と祈ること。「既に」が大切なキーワードですね。

 神様のためにお役に立ち、自然界にお役に立ち、そして全人類にお役に立つあなたの祈りは、必ず成就いたします。

 本ブログの「祈りは必ず成就する」もご参照ください。

                  (牧野尚一:H30.05.15)

2018年5月 6日 (日)

生長の家講習会のご案内(5月・6月)

 「生長の家」の教えとはどのようなものなのか知りたい、学びたいとお考えの方は、是非「生長の家講習会」にご参加ください。全国59会場で2年に1度開催される講習会では、生長の家総裁・谷口雅宣先生、生長の家白鳩会総裁・谷口純子先生のご講話を直接聴くことができます。また、信徒の体験談や聖歌の合唱なども行われて、1日ゆったりと教えを学ぶことができます。

 開催教区以外の方、信徒でない方も自由に参加できます。日時と会場をご確認の上、ぜひご参加ください。

◆講習会日程◆

 ◎2018年5月の予定

  5月20日(日)京都第二・福井

      舞鶴市 メイン会場 舞鶴市総合文化会館 
      綾部市 綾部会場 京都府中丹文化会館 
      福井市 福井会場 フェニックスプラザ 大ホール 
      越前市 越前会場 越前市文化センター 大ホール 
      敦賀市 敦賀会場 きらめきみなと館 

※上段2会場については両丹道場へ、下段3会場については福井県教化部 へお問い合わせください。

◎2018年6月の予定

  6月10日(日)長崎南部・長崎北部

      長崎市 メイン会場 長崎ブリックホール 
      島原市 島原会場 島原文化会館 
      佐世保市 佐世保会場 アルカスSASEBO 
      西海市 総本山会場 生長の家総本山 

※上段2会場については長崎教化部へ、下段2会場については佐世保教化部 へお問い合わせください。

 6月24日(日)富山・石川

      富山市 メイン会場 オーバード・ホール(富山市芸術文化ホール) 
      金沢市 金沢会場 金沢歌劇座(大集会室) 
      小松市 小松会場 小松市民センター 
      七尾市 七尾会場 和倉温泉観光会館 

※上段1会場については、富山県教化部へ、 下段3会場については、石川県教化部へお問い合わせください。

※時間はいずれも午前10時〜午後2時です。

※詳細は、最寄りの生長の家教化部へお問い合わせください。

◆講習会テキスト◆

谷口雅春先生『如意自在の生活365章』

谷口雅宣先生『宗教はなぜ都会を離れるか?——世界平和実現のために』

                  (牧野尚一:H30.05.06)

幹部研鑽会&全国大会

 2018年(平成30年)4月28日(土)から4月30日(月)まで、 「生長の家」の幹部研鑽会と全国大会が開催されました。

 4月28日は、白鳩会全国幹部研鑽会が本部練成道場(飛田給)をメイン会場として、全国15会場のサブ会場を衛星放送で結んで開催。

 4月29日は、相愛会・栄える会合同全国幹部研鑽会が本部練成道場(飛田給)をメイン会場として、全国12会場のサブ会場を衛星放送で結んで開催。

 そして4月30日は、青年会全国大会が本部練成道場(飛田給)をメイン会場として、全国6会場のサブ会場を衛星放送で結んで開催されました。

 3日間とも、生長の家総裁・谷口雅宣先生、生長の家白鳩会総裁・谷口純子先生から素晴らしいご指導を賜りました。深く感銘いたしました。ありがとうございます。

 青年会全国大会では、休み時間に一人の青年が近づいてきて、「覚えていますか?」と聞かれました。
 顔を見ると、面影というのは十数年経っても変わらないものですね。
 「おお、A君! お久しぶり!」
 とすぐに分かりました。

 私が教化部長をしていた時に小学生練成会に参加していて、その後私は本部に勤務が変わりましたし、A君は、中学・高校の時には活動から離れていたそうで、青年になってまた活動を開始して今回の大会に参加したとのこと。現在25歳。誠に嬉しい再会でした!

 現在の教区委員長もやはり同じ時期の小学生練成会から参加していた同世代の仲間達で、次世代の後継者がこうしてスクスクと伸びていることを目の当たりにできて、改めて喜びいっぱいの大会でした。

                  (牧野尚一:H30.05.06)

2018年4月27日 (金)

実相を観ずる歌

 生長の家創始者・谷口雅春先生には沢山のご著書がありますが、聖歌も沢山創られました。
 『新版 生長の家聖歌歌詞』(生長の家本部編・日本教文社刊)の冒頭に収録されています「実相を観ずる歌」(pp.6-8)をご紹介します。


1.万(よろ)ず円満大調和 光明遍照(へんじょう) 実相世界

 「実相を観ずる歌」の一番は、次のとおりです。

 実相を観ずる歌      谷口雅春・作詞

一、神はすべてのすべて、
  神は完(また)き生命(いのち)、
  神は完き叡智(みちえ)、
  神は完き聖愛(みあい)。

  すべてものものの内に、
  神の生命は生(い)くる、
  神の叡智は生くる、
  神の聖愛は生くる。

  神はすべてにして、
  すべて一体(ひとつ)なれば、
  よろずもの皆共通(ひとつ)の
  ちから是(これ)を生かせり。

  天地(あめつち)の創造主(つくりぬし)は、
  唯一つの神にませば、
  天地はただ一つに、
  いと妙(たえ)に調和満(み)つる。

  吾れ坐す妙々実相世界
  吾身は金剛実相神の子
  万(よろ)ず円満大調和
  光明遍照(こうみょうへんじょう)実相世界(じっそうせかい)。


『天地(あめつち)の創造主(つくりぬし)は、
 唯一つの神にませば、
 天地はただ一つに、
 いと妙(たえ)に調和満(み)つる。』

 ここが「生長の家」の唯神実相論の核心です。

 実相宇宙創造の神は、ただ一つの神である。
 それゆえ一切の対立がなく、実相世界は大調和の妙なる世界である。
 というわけです。

 従って、その実相世界に存在する神・自然・人間は大調和しており、

『吾れ坐す妙々実相世界
 吾身は金剛実相神の子
 万(よろ)ず円満大調和
 光明遍照(こうみょうへんじょう)実相世界(じっそうせかい)。』

 というわけです。
 この『光明遍照(こうみょうへんじょう)』の『実相世界(じっそうせかい)』が「今」「ここに」在る! ということが大事です。
 これからその実相世界が建設されるのでも、完成するのでもありません。

 「今」「ここに」、光明一元の、光が全宇宙を遍(あまねく)照らすところの輝く天国・極楽浄土・仏国土が、「今」「ここに」、光り輝いて独在している、というわけです。

 「現象」という五官(目・耳・鼻・皮膚・口)といった感覚器官では認識できない、「実相世界」という神の創造された世界が、「今」「ここに」、独在している。完全円満、永遠不滅、無限生長、無限創造の「実相世界」が「今」「ここに」在る!
 本当に「生長の家」の真理は素晴らしいですね!


2.吾れ動けば宇宙動く

 「実相を観ずる歌」の二番は、次のとおりです。

 実相を観ずる歌      谷口雅春・作詞

二、神は生命(いのち)にして、
  吾れは神の子なれば、
  吾れはすべてを生かし、
  すべては吾れを生かす。

  神は愛にして、
  吾れは神の子なれば、
  吾れはすべてを愛し、
  すべては吾れを愛す。

  神は智慧(ちえ)にして、
  吾れは神の子なれば、
  吾れはすべてを知り、
  全てのもの吾れを知れり。

  神はすべてにして、
  吾れは神の子なれば、
  吾れ祈れば天地(てんち)応(こた)え、
  吾れ動けば宇宙動く。

  吾れ坐す妙々実相世界
  吾身は金剛実相神の子
  万(よろ)ず円満大調和
  光明遍照実相世界。


『神はすべてにして、
 吾れは神の子なれば、
 吾れ祈れば天地(てんち)応(こた)え、
 吾れ動けば宇宙動く。』

 これは大変なことですね。
 吾れ祈れば、天地が応え、
 吾れ動けば宇宙動く。

 実は、そういう力が全ての人に備わっているのです。ですから、一人一人の生命が尊く、一人一人の行動が世界を変えるというわけです。
 「生長の家」が今、国際社会が一つとなって取り組むべき「地球環境問題」に積極的なのも、一人一人が自覚を持って行動することによってのみ宇宙は動くことを識っているからです。

 「実相世界」は、神の創造によって完全円満、永遠不滅、無限生長、無限創造の世界ですが、その表現の世界としての「現象世界」は「唯心所現の世界」で、私たちの心が表現し、創り出す世界です。
 私たち「神の子・人間」が、「神の子・人間」の自覚を深めて行動する時、この「現象世界」に神の世界を投影することが可能です。


3.神想観中にも『実相を観ずる歌』を祈りましょう

 生長の家創始者・谷口雅春先生は、神想観中にもこの『実相を観ずる歌』を祈ることをお勧めいただいています。

 谷口雅春先生著『新版 詳説 神想観』(日本教文社刊)の「神を愛する神想観」(pp.146-148)のご説明に次のようにあります。

『まず平常の神想観の通り正坐瞑目合掌して、「実相を観ずる歌」の
『神は全ての渾(すべ)て
 神は完(また)き生命(いのち)
 神は完き叡智(みちえ)
 神は完き聖愛(みあい)』
 という文句を、静かに悠(ゆっ)くり心の中で繰返し繰返し唱えまして、神の生命、神の智慧が、愛が自分の周囲に充ち満ちている有様を心に描いて、全く神の中に包まれている気持になるのです。そして、
 『神は愛にして、
 吾れは神の子なれば
 吾れはすべてを愛し、
 すべては吾れを愛す』
 の句を心の中で唱え、心の底深く、神は愛である、神は完き聖愛である、その神の愛が今自分の周囲の中に充ち満ちて自分を愛し生かしていられるのだということを深く思い出し念じまして、
 『神は私を愛し、私は神を愛している』
 と何回でも何回でも神の愛が、父子(おやこ)の愛が本当に自分の心の奥底まで感じられるまで繰返し繰返し念ずるのです。(以下略)』


 『神は私を愛し、私は神を愛している』
 『神は私を愛し、私は神を愛している』
 『神は私を愛し、私は神を愛している』

 これが信仰の中核です。

 神様が私を愛してくださっていること、そして
 私は神様を愛していること

 これだけが、信仰の全てであり、信仰の要諦です。

 谷口雅春先生著『新版 詳説 神想観』(日本教文社刊)には、 「特に癒さねばならぬ病いのある時――肉体の実相化」(pp.208-210)にも、神想観中に『実相を観ずる歌』を祈ることをお勧めいただいています。

『特に癒さねばならぬ病いのある時は、静かに坐して、瞑目し、招神歌(かみよびうた)をとなえ、「実相を観ずる歌」を黙誦し、心に人の実相なる「完全人」を描いて、人の全存在--頭上より足の爪先にいたるまで、全細胞--がことごとくこれ水晶のごとく清浄玲瓏(しょうじょうれいろう)たる霊的実在であり、最高純化の極致に到達せる宇宙霊の精髄のごとき純浄透徹(じゅんじょうとうてつ)せる実在であると観ぜよ。かくの如くして、身体(からだ)のどこにでもあれ病める局所を霊化するのです。かくのごとくすれば忽(たちま)ちその不完全な局所は癒えはじめるのであります。(以下略)』

                      (牧野尚一:H30.04.27)

2018年4月24日 (火)

祈りは必ず成就する

 生長の家創始者・谷口雅春先生には沢山のご著書がありますが、その一冊に『新版 光明法語 【道の巻】』(日本教文社刊)があります。
  1月1日から12月31日まで、珠玉の真理のお言葉が綴られた366日の箴言集です。(2月29日もあります)

 「四月の法語」は「信仰の本質」です。

1.祈りは必ず成就する

 「四月十二日の法語 祈りは必ず成就する」には、次の様にあります。

『吾々(われわれ)の祈りは必ず成就(じょうじゅ)するのである。それは間違いなきことである。併(しか)しながらその祈りとは、数分間、神社または祭壇(さいだん)でとなえることのみが祈りではないのである。祈りと云うのは生命(いのち)の宣言(のりごと)である。生命(いのち)の底深くで、念(ねん)じていること、唱(とな)えていること、呟(つぶや)いていることは悉(ことごと)くいのりである。だから、不幸を呟(つぶや)いている者は不幸が来るように祈っているのである。病気を呟いている者や、常に人に苦痛を訴(うった)えている者は病気や苦痛の来るように訴えているのと同じことである。』(pp.110-111)

 ここに「正しい祈り方」と、間違った「祈り方」の違いが、明らかにしめされていますね。

『吾々(われわれ)の祈りは必ず成就(じょうじゅ)するのである。それは間違いなきことである。』

 実は、「祈り」はすべて成就しているのです。叶わない「祈り」はありませんし、成就していない「祈り」もありません。「祈り」は、すべて成就しています。
 問題は、その成就している「祈り」の中味、「祈り方」に上手下手があるだけです。

 では、正しい「祈り」、正しい「祈り方」とはどういう事でしょう。
 それには、「祈り」とは何かの正しい理解がまず第一です。

『祈りとは、数分間、神社または祭壇(さいだん)でとなえることのみが祈りではないのである。』

 たいていの方は、神社等で「神様、○○の成就をお願いいたします」と祈っている瞬間だけを「いのり」と思っていませんでしょうか。

『祈りと云うのは生命(いのち)の宣言(のりごと)である。生命(いのち)の底深くで、念(ねん)じていること、唱(とな)えていること、呟(つぶや)いていることは悉(ことごと)くいのりである。』

 実は「いのり」とは、「生命(いのち)」の「宣言(のりごと)」、「いのち」の「のりごと」、「生命」の「宣言」そのものですから、別に神社等で手を合わせている間の「祈り」だけが、「いのり」のすべてではありません。

『生命(いのち)の底深くで、念(ねん)じていること、唱(とな)えていること、呟(つぶや)いていることは悉(ことごと)く』が「いのり」である、というわけです。

 このように、むしろ、日常、自分が心の中で思っていること、唱えていること、呟いているのことのすべてが「いのり」です。神社で手を合わせている時間より、日常の心の状態の方が同じ事を長く考えているのですから、日常の心の持ち方の方が、物事の成就と深く関わります。

『だから、不幸を呟(つぶや)いている者は不幸が来るように祈っているのである。病気を呟いている者や、常に人に苦痛を訴(うった)えている者は病気や苦痛の来るように訴えているのと同じことである。』

 ここにどう「心」を持つべきか、どう正しく「祈る」べきか、その「いのり」の秘訣が示されています。

 たとえば、良い仕事につきたいと願う人は、
「神様、どうか良い仕事につけますように、よろしくお願いいたします。」と祈るよりも、
「神様、既に良い仕事につけました、ありがとうございます。」と祈った方が速やかに祈りが成就することとなります。

 つまり、「いのり」とは「生命(いのち)」がいつも何を「宣言」しているかが「いのり」ですから、「良い仕事につけますように」と祈り時には、心の中では「私はまだ良い仕事についていない」と、深く強く宣言しているわけですので、それが「心の法則」で実現していて、いつまでたっても良い仕事につけないと言う状態が続きます。

 一方、「神様、既に良い仕事につけました、ありがとうございます。」と感謝の思いを持ち続け、心の中で祈り続ける時には、「既に良い仕事につけた」という思いが「心の法則」どおりに成就して、速やかに良い仕事が見つかる、ということになります。

 「既に」神様の実相世界に成就しているからこそ、自分の夢や理想、希望としてそれが心の中から湧いてきているのですから、それが人や自然を傷つける事や神様のご意志に反する願い出ない限り、必ず成就することとなります。

 「既に」成就しました、「神様」ありがとうございます、との「感謝の祈り」。これこそが万物成就の祈りで、「既に」と祈るのが「祈り」の大事なキーワードですね。

2.常に感謝する祈り

 「四月十三日の法語 常に感謝する祈り」には、次の様にあります。

『常に間断(かんだん)なく善(よ)き事を考えている者のみが善き事を来る様(よう)に祈っている事になる。常に間断なく善き事を考えている者とは、常に今ある状態を不平に思わず、既(すで)に「実相(じっそう)の完全なる相(すがた)」があるとして感謝している者の事である。常に感謝している者は、常に善き事を祈っている事になる。併(しか)し、単に今ある状態に甘(あま)んじている者は、それ以上の状態を祈っているのではないから、其(そ)れ以上の結構(けっこう)な事物(じぶつ)は現れて来ないだろう。「実相無限の善」を今ありとして感謝する者のみが無限に改善し生長する善き事を得るのである。』(pp.111-112)

  神様の創造された、「神・自然・人間の大調和」している実相世界は、既に「完全円満」であり、「永遠不滅」であり、「無限生長」「無限創造」の素晴らしい世界であり、それのみが「今」「ここに」「独在」する、との「生長の家」の「唯神実相」の真理を、そのまま受け入れる所から善きことのすべてが出発いたします。 「生長の家」って、本当に素晴らしいですね!

 私事ですが、数日前、次女が結婚いたしました。無事、「花嫁の父親」の役目を遂行し、感動的な楽しい結婚式でした。百名を越える大勢の方々の祝福をいただいて、本当に素晴らしい結婚式でした。これもひとえに、「祈り」による神様からいただいた素晴らしい賜であり、神様に、ご先祖様に、そして双方の親族、双方のご友人の皆様、結婚式と披露宴を運営いただいたスタッフの皆様に、ただただ感謝あるのみです。

3.神の愛は放つ愛である

 「四月二十日の法語 神の愛は放つ愛である」には、次の様にあります。

『神の愛はそのままである。人間に完全なる自由を与(あた)えたまうているのである。決して善へとのみ強制し給(たま)わないのである。愛とは相手を自由に解放することである。解放が愛である。愛は朝顔(あさがお)に朝顔の花を開かしめ、牡丹(ぼたん)に牡丹の花を開かしめ、薔薇(ばら)に薔薇の花を開かしめる。それ自身の本性(ほんせい)をのびのびと解放するのである。相手を自分につなぎとめて置(お)くのは飼犬(かいいぬ)を鎖(くさり)で縛(しば)りつけ、愛鳥(あいちょう)を籠(かご)の中に入れて置く愛である。愛は相手の生命を自由に解放して、その生命の本然(ほんねん)のところに行かしめるのである。』(pp.116-117)

  私は、次女を叱った記憶がありません。長女と両親のやりとりを見ていて、ここまでなら親は叱らない、ここを越えるとアブナイ・・・と、次女は要領よく観察していたのかと思ったりしましたが、どうやら彼女は、人の心を逆なでするようなことをしない、なかなか出来た娘だったようです。結婚式での彼女の友人達、あるいは、新郎の友人達を見ていて、本当に善き人々に恵まれていると感心しました。
 二人の末永い幸せを祈りました。

 さて「愛」を、仏教的には「四無量心(しむりょうしん)」と言います。
 「慈(じ)」「悲(ひ)」「喜(き)」「捨(しゃ)」の4つの心ですね。

 谷口雅春先生著『希望を叶える365章(新版)』(日本教文社刊)には、次のようにあります。

『常に、あらゆる人たちの幸福を祈らなければならない。人の幸福を祈れば、類は類を招(よ)ぶ法則によって幸福が自己にも訪れて来るのである。人の不幸を祈れば、不幸は反転(はんてん)して自分に帰って来るであろう。』(p.149)

  私たちは、不断に人の幸せを、自然の調和を、世界の平和を願い、祈り続ける必要がありますね。

『人の幸福を祈るのは、不幸な有様(ありさま)を見て可哀相(かわいそう)だと思うだけでは、可哀相な有様を、心の世界に描(えが)くだけであるから、「心に描くものが現れる」と云う法則に随(したが)って幸福な状態があらわれて来ることはむつかしいのである。一度は、相手の不幸な有様を見て「可哀相だな、あの不幸をとってやりたい」と思う。それが「慈心(じしん)」である。そして「あの人を幸福にしてやりたい」と思う。それが悲心(ひしん)である。』(p.149)

 「慈」は「抜苦」、「悲」は「与楽」ですね。

『しかしそれだけでは相手を幸福にすることは出来ない。次には「喜心(きしん)」が必要である。彼の中(なか)にやどる実相の完全な神性「既(すで)に幸福なる彼」を見て、それを喜(よろこ)ぶのである。その時「見るものはあらわれる」と云(い)う法則と「想(おも)うものに類するものが集って来る」と云う法則とが作用するのであって、その観(かん)と想(そう)とが徹底(てってい)すれば、彼には本当に幸福が訪れて来るのである。』(pp.149-150)

 神の世界は「歓喜」そのものですから、「祈る」時も、日常生活を送る時も、常に「歓喜」の心が神様の世界(実相)と波長の合う心です。

『しかし、その幸福は、既(すで)に実相の世界にあるのであるが、今までは観(かん)じなかったから現れなかったのである。しかし実相の完全な相(すがた)が現象界(げんしょうかい)にあらわれて来るには、現象界は、時間を通じて展開して来るから、或る時間的経過を必要とするのである。それを待ち切れないで、「やっぱり駄目(だめ)だ」と幸福招来(しょうらい)の祈りの効果(こうか)を否定してしまう否定的想念を起せば、想う通りに今までの祈りの効果が駄目になる惧(おそ)れがあるから、彼の実相の完全円満な幸福な相(すがた)を心に描いて祈った限りは、幸福の種子(たね)を蒔(ま)いてしまったようなものであって、「果(はた)してその種子が発芽(はつが)するかどうか」と疑いの心を起して種子をたびたび掘り起して見るような事をしてはならないのである。』(p.150)

 「既に成就している」と祈った後には、「神への全択(ぜんたく)」が大切です。いつ成就するだろうと心配する必要はありません。もっとも良い時、良い形で神様が成就してくださいますので、安心して神様に全択いたしましょう。

『そのために慈心・悲心・喜心の次に捨心(しゃしん)が必要なのである。創造の大地に祈りの種子を蒔いた後(あと)は、必ず発芽する事を信じて、疑いの心を去って、大地の創化作用(そうかさよう)にまかせて心からその念を放(はな)ち「捨(す)て」去(さ)る事である。これが捨徳(しゃとく)である。これによって慈悲喜捨(じひきしゃ)の四無量心(しむりょうしん)が完成するのである。』(p.150)

 「疑心」を「捨て去る」こと、これが四無量心の完成です。
 実相世界を既に完全円満に、永遠不滅のものとして無限生長・無限創造の世界として創造されました絶対善なる神様に、ただ安心して、全托して、自ずから展開する素晴らしい神の世界の展開を享受いたしましょう。

 神様に、生長の家創始者・谷口雅春先生に、生長の家前総裁・谷口清超先生に、生長の家総裁・谷口雅宣先生に、深甚の感謝を捧げます。

                      (牧野尚一:H30.04.24)

谷口輝子聖姉三十年祭

 4月24日午前10時から、長崎県西海市にある生長の家総本山で「谷口輝子聖姉三十年祭」が執り行われました。私も“森の中のオフィス”で、総本山からの生長の家総裁・谷口雅宣先生の素晴らしいお言葉を拝聴し、深く感銘いたしました。ありがとうございました。

 谷口輝子聖姉は生長の家白鳩会の初代総裁でいらっしゃいました。
 日本教文社掲載の谷口輝子先生のプロフィールには、次のようにあります。

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谷口 輝子(たにぐち てるこ、1896年 - 1988年)生長の家創始者夫人。

「生長の家白鳩会」初代総裁。明治29年(1896)3月7日、富山県高岡市に生まれる。大正8年(1919)「生長の家」創始者谷口雅春氏と出会い、翌年結婚。谷口雅春氏と共に「人間・神の子」善一元の世界、万教帰一の真理を万人に伝えるべく邁進。昭和11年(1936)2月2日「生長の家白鳩会」結成し、昭和26年(1951)3月、白鳩会初代総裁就任。昭和63年(1988)4月24日、ご逝去(満92歳)。

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 青年時代に直接、谷口輝子先生と親しくお話をさせていただく機会を得た小生からしますと、谷口輝子先生はまさに先生ご自身のお歌のとおり“なべての人の母”そのものでいらっしゃいました。

 時代が進むにつれまして、ますますその思いを持つ人々が全世界へと広がって行くことでしょう。

 『新版 生長の家 聖歌歌詞』(日本教文社刊)に収録されている谷口輝子先生の歌詞の内、今日は以下の二首をご紹介します。

◎ 慈母愛育譜  谷口輝子・作詞

 大いなるみ手に
 ひかれて今日も明日も
 光を行くか
 いとし我が子よ

 ◎ をみなこそ  谷口輝子・作詞

  をみなこそ
 生けるかいあり天地(あめつち)の
 なべての人の
 母にしあれば
 (くり返す)

 生長の家創始者・谷口雅春先生に、生長の家白鳩会初代総裁・谷口輝子先生に、心から深く感謝御礼申し上げます。

                         (牧野尚一:H30.04.24)

2018年4月 3日 (火)

神は愛なり

 生長の家創始者・谷口雅春先生には沢山のご著書がありますが、その一冊に『新版 光明法語 【道の巻】』(日本教文社刊)があります。
  1月1日から12月31日まで、珠玉の真理のお言葉が綴られた366日の箴言集です。(2月29日もあります)

 「四月の法語」は「信仰の本質」です。

1.神は愛なり

 「四月一日の法語 神は慈悲(じひ)の神、愛の神」には、次の様にあります。

『先ず神を愛の神と知ることである。次の如く思念せよ。「神は怒りの神、嫉妬の神、復讐の神、神罰の神ではないのである。神は赦しの神、慈悲の神、やさしさの神、包容の神、じっと愛の瞳をもって慈悲深く吾をみつめ給う神である。その慈愛の前にすべてのわが悲しみも、怒りも憎みも、すべての心の塊が溶けてしまうのである。われは神の慈悲の前にすべての心の塊は溶けて消え、わが魂は悉く浄まったのである。神がわれを赦し給うたごとく、すべての人々の過ちを自分もゆるしたのである……」』(p.103)

 『先ず神を愛の神と知ることである。』
 これが、「信仰の本質」ですね。
 「神」を正しく理解すること、これが「信仰」のすべてです。

 「神は愛なり」
 仏教的には「四無量心」ともいいます。惟神(かんながら)の道では“ムスビ”といいます。

 「生長の家」は「万教帰一」の教えですので、歴史的な各宗教の礼拝の対象を本来「一」なる存在と捉え、各宗教宗派の礼拝する神仏の名称をすべて尊重いたします。

 谷口雅春先生著『善と福との実現(新版)』(日本教文社刊)の元々の初版は、昭和23年12月20日でした。
 『第十章 生長の家の神は「根本中」也』の本文は、次のように書き出されています。

『戦後吾等が得た恵福は、国民が信教の自由と言論の自由とを恢復(かいふく)し得た事である。されば私は今後方便に偏せず、真実を説くことが出来る事になり、愈々真理開顕のときが来たのである。』(p.223)

 言論の自由が阻まれていた戦時体制下の制約を解かれ、誰に憚ることなく自由に真理を説ける時期が来たことのお喜びの中で、谷口雅春先生は続いてこう書かれています。

『今まで吾等は天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)と阿弥陀とゴットと天地の創造主とを、同一の本源唯一神(ゆいいつしん)なる生長の家大神(うちゅうぜんたいのおおかみ)の別名であることを『生命の實相』で説いて来たのであり、老子の説く如く「道」(コトバ即ち神)は本来無名であり、神名又は仏名にとらわれて、他宗排撃の固陋(ころう)に陥ってはならない、万教は互に手を繋いで、唯一の神を信じ讃えようではないかと説いて来たのである。』(p.223-224)

 唯一絶対の存在(根源神・大生命)を「生長の家」では、「生長の家大神」と呼称していますが、

 天之御中主神 = 阿弥陀 = ゴット = 天地の創造主 = 同一の本源唯一神 = 生長の家大神

と、すべてが同一であることがここに明確に示されてあります。まさに「生長の家」が万教帰一である由縁ですね。名称に差違はあっても同一のご存在である、というわけです。これが理解できれば、すぐにも世界の人々は互いに互いを“神の子”同士として讃え合い、手を結び合い、たちまちにして今、此処に、天国・極楽浄土が現出いたします。

 絶対が二つも三つもあるはずはなく、それぞれの宗教宗派が尊崇する対象は、実はすべて「一」なる存在であることは、論理的に考えてもこれ以外にはあり得ませんね。
 それぞれの方々が尊崇する名称や、真心を顕しやすい礼拝の形式等、それは皆それぞれに尊いのですから、その名称、礼拝の形式等はそれぞれ大切にしてゆけば良いのです。そして、相互にそれを尊重し合いながら、「一」なるご存在に感謝してゆけば良いわけですね。

 そしてその「一」なるご存在が、無限の「大愛」そのものであられること、仏教的には「四無量心」、惟神(かんながら)の道では“ムスビ”のお働きそのものである、という点が信仰の要諦です。

 これが分かれば、一切の対立が解消され、忽ちに国際平和が実現いたします。
 「生長の家」では、特にこの“ムスビ”の心を大切にしています。

2.“ムスビ”の心

 『古事記』の冒頭は次のようにあります。

『天地(あめつち)の初發(はじめ)の時、高天原(たかあまはら)に成りませる神の名(みな)は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、次に高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、次に神産巣日神(かむむすびのかみ)、この三柱(みはしら)の神は、みな獨神(ひとりがみ)成りまして、身(みみ)を隱したまひき。』

 ご神名に“むすび”とありますね。

 さて、天之御中主大神、高御産巣日神、神産巣日神がみな獨神(ひとりがみ)で「身(みみ)を隱したまひき」とありますが、 谷口雅春先生著『限りなく日本を愛す』(日本教文社刊)には、次のように書かれてあります。(原文は旧漢字旧仮名遣い)

『さて、この高御産巣日神と神産巣日神とは天之御中主神と一体なのであります。だから『この三柱の神は並独神成りまして、身(みみ)を隠したまいき』とあります。「身を隠す」とは姿形が見えないと云う意味で幽之幽(ゆうのゆう)なる神であります。所がこの三柱の神様は「独り神」だというのは、決して「独身の神様」と云うような意味ではないのであって、絶対唯一の神様であるという意味であります。決して相対的な神様じゃないのであって、絶対唯一の神様、独一真神(どくいつしんしん)であります。たった一つしかないから絶対の神様なのであります。』(p.166)

 神は五感、六感を超越していますので、姿形はみえません。
 しかも、一即多、多即一で、唯一絶対神が陰陽に分化して働きますが、唯一絶対神であることには変わりないので、別々の神様ではありませんので「独り神」と書かれています。

 そのお働きについては、谷口雅春先生著『限りなく日本を愛す』に次のようにあります。

『天之御中主なる「主(しゅ)」にして「中(ちゅう)」、「中」にして「主」なる神は、そのままでは創造が完成しないのである。それは「陽の原理」(タカミムスビ)と、「陰の原理」(カミムスビ)とに剖判(ぼうはん)し出でたのである。「タカ」は高く、タクましく、タケ高(たか)く、猛(たけ)しく聳(そび)ゆる原理であり、男性原理を象徴するのである。「カカ」は「幽之(かすかの)又幽(またかすか)」である。カカミムスビとカが重複するので、一字を約して、単にカミムスビとしたのであると私は解釈しているのである。「カ」の字は、カスカ、カゼ、カスミ、カクレル、カゲなどの語字によって明かなるが如く、内に幽玄にカクれている原理であり、それは陰(かげ)であり、陰(いん)である。中心の「一」は剖判(ぼうはん)して陰陽と分れ、再び、陰陽が交流して、創造がいとなまれるのである。陰陽は別個の如くであるけれども、本来一体であるのである。本来一体でありながら、その職能や働きの分担を異にするのである。』(91p)

 このように、神の創造は、陰陽分化して営まれるのであり、「ムスビ」の原理、「愛(四無量心)」の原理こそが神のご本質ですね。
 まさに、「神は無限の智恵」そのものであると同時に「神は愛なり」ですので、“ムスビ”の原理そのものです。従ってそこから無限の生命、無限の供給、そして無限の歓喜、無限の調和が自ずから成就するというわけです。

 私たちの「ムスビの心」「愛(四無量心)」の歓喜は、天之御中主神及び陰陽分化しての高御産巣日神、神産巣日神のお働きの反映と申せましょう。

 この三神を「造化の三神」とも申し上げますが、宇宙創造の唯一絶対神なる、天之御中主大神様、高御産巣日神様、神産巣日神様に、あらためて深甚の感謝を捧げさせていただきます。

 この宇宙創造の唯一絶対神(天之御中主大神様、高御産巣日神様、神産巣日神様)について、 『新版 光明法語 【道の巻】』のご文章をもう一度、拝誦いたしましょう。

『神は赦しの神、慈悲の神、やさしさの神、包容の神、じっと愛の瞳をもって慈悲深く吾をみつめ給う神である。』(p.103)

 この真理を、十分に十分に、繰り返し繰り返し、深く心に刻みましょう。
 「神は愛なり」
 これほど、分かりやすく、そして最も重要な真理はないと言ってもよいほど、大事な、根本的な真理です。

                      (牧野尚一:H30.04.03)

2018年4月 2日 (月)

生長の家講習会のご案内(4月)

 「生長の家」の教えとはどのようなものなのか知りたい、学びたいとお考えの方は、是非「生長の家講習会」にご参加ください。全国59会場で2年に1度開催される講習会では、生長の家総裁・谷口雅宣先生、生長の家白鳩会総裁・谷口純子先生のご講話を直接聴くことができます。また、信徒の体験談や聖歌の合唱なども行われて、1日ゆったりと教えを学ぶことができます。

 開催教区以外の方、信徒でない方も自由に参加できます。日時と会場をご確認の上、ぜひご参加ください。

◆講習会日程◆

 ◎2018年4月の予定

  4月8日(日)大阪・和歌山

      大阪市 メイン会場 ATCホール
      大阪市 なんば会場 大阪府立体育会館
      岸和田市 岸和田会場 浪切ホール
      枚方市 枚方会場 枚方市市民会館
      大阪市 上本町①会場 生長の家大阪教化部
      大阪市 上本町②会場 大阪国際交流センター
      堺市 堺会場 堺市産業振興センター
      富田林市 富田林会場 富田林すばるホール
      河内長野市 河内長野会場 河内長野市立文化会館

      和歌山市 和歌山会場 和歌山ビッグウエーブ
      伊都郡 かつらぎ会場 かつらぎ総合文化会館
      田辺市 田辺会場 紀南文化会館
      東牟婁郡 那智勝浦会場 那智勝浦町体育文化会館

※上段9会場については、大阪教化部へ、下段4会場については、和歌山県教化部へお問い合わせください。

※時間はいずれも午前10時〜午後2時です。

※詳細は、最寄りの生長の家教化へお問い合わせください。

◆講習会テキスト◆

谷口雅春先生『如意自在の生活365章』

谷口雅宣先生『宗教はなぜ都会を離れるか?——世界平和実現のために』

                    (牧野尚一:H30.04.02)

2018年3月28日 (水)

夢は実現する

 前生長の家総裁・谷口清超先生には沢山のご著書がありますが、その一冊に『伸びゆく日々の言葉』(日本教文社刊)があります。
  1月1日から12月31日まで、珠玉の真理のお言葉が綴られた366日の箴言集です。(2月29日もあります)

 三月の章は「あなたが主人公」です。

1.人は全て「生長の家」

 「三月二十九日 人間の本来相」には、次の様にあります。

『人の目を気にしていては、何事もできない。人が目くばせをし合ったと言ってヒカンする者は、人の目に支配されている愚か者である。人間は、自主独立の存在だ。それを釈尊は「唯我独尊(ゆいがどくそん)」と示された。人は小さな肉体個我でなく、狭い会社の一員でもなく、地球人や世界人でもない。それを超え、さらに超越しているところの“大宇宙人” である。この霊的大宇宙の実相を「生長の家」と言うのだ。それ故 人は全て「生長の家」である。そこから逃れることもなく、そこから脱落することもない。これが人間の本来の相(すがた)である。』(p.83)

 「神の子・人間」の「実相」は“大宇宙人”!
 まったくですね。 「生長の家」では、五官(目・耳・鼻・皮膚・口)で認識する「現象」の世界は仮の姿で、神によって創造された「実相世界」こそ本当の実在する世界と説いています。(唯神実相論)

 そしてその「実相世界」を「生長の家」ともいいます。

 「生」は無限に伸びる「時間」を象徴し、「長」は無限に伸びる「空間」を、そしてその時間・空間が交差する「中(みなか)」の実相世界、「家」とは「実相宇宙」全体を指しますので、 「生長の家」は「実相宇宙」の別名です。

 一方、現象宇宙は仮の姿で、その奥に本当の「実相大宇宙」がありますので、「神の子・人間」は、「実相宇宙」の「神の子」、 「生長の家」の「神の子」ということになります。

  『人は全て「生長の家」である。』
  『人は全て「生長の家」である。』
  『人は全て「生長の家」である。』

 これは、もう最高の真理ですね! あなたも「生長の家」、私も「生長の家」、全人類ことごとく「生長の家」! 素晴らしいですね!

2.夢は実現する

 「三月三十一日 夢は実現する」には、次の様にあります。

『いよいよ春たけなわとなった。明るい日射しが人々の心をわき立たせる。まさに一年中での“青春時代”である。あなたの心も希望で大きくふくらんでいるだろう。希望は現実ではない。それは未来への夢だ。しかしその夢は実現しうるのである。何故なら、実相において既に実現しているからだ。あなたは必ず幸せになれるのであり、夢は実現する。たとい一時挫折(ざせつ)するように見えても、人生を放棄しない限り、必ず実現する。それ故、現象にふりまわされ、失望落胆するな。今年がだめなら来年がある。三月に達成できなくても、輝く四月が、窓先からのぞきこんでいるではないか。あなたは、無限に生き続ける神の子である。』(pp.84-85)

 私たち(神の子)の内から湧いてくる夢や、希望、理想は、すべて「神の世界(実相世界)」に既に実現しているのです。それが既に、「実相世界」に実現しているが故に、私たち(神の子)の夢や、希望、理想として内から湧いてくるのです。私たちが勝手に思い描いているようですが、既に完成成就しているからこそ、私たち(神の子)の夢や、希望、理想として心に湧き上がってきているのです。即ち、それは、完全円満・永遠不滅・無限生長・無限創造の「神の世界=実相世界=生長の家」で成就しているものだというわけです。

 一遍に成就しなくても、必ず時間の経過とともに成就いたします。
 あわてたり、焦る必要はありません。全ては成就し終わっています。
 その展開を、ゆっくりと楽しみましょう。

『今年がだめなら来年がある。三月に達成できなくても、輝く四月が、窓先からのぞきこんでいるではないか。あなたは、無限に生き続ける神の子である。』

 人が荒波に逆らって舟を漕ごうとしたら大変です。鳥も強風に逆らって飛ぼうとしたら大変です。このように「神の御心」に逆らう利己的な自我の祈りは成就しませんが、あなたは「神の子」ですから、 「神の世界=実相世界=生長の家」から流れてくる大波に乗り、 「神の世界=実相世界=生長の家」から吹いてくる暖かな春風に乗る時、あなたの夢や希望、理想は必ず成就・実現いたしますね。

                      (牧野尚一:H30.03.28)

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