2018年4月24日 (火)

祈りは必ず成就する

 生長の家創始者・谷口雅春先生には沢山のご著書がありますが、その一冊に『新版 光明法語 【道の巻】』(日本教文社刊)があります。
  1月1日から12月31日まで、珠玉の真理のお言葉が綴られた366日の箴言集です。(2月29日もあります)

 「四月の法語」は「信仰の本質」です。

1.祈りは必ず成就する

 「四月十二日の法語 祈りは必ず成就する」には、次の様にあります。

『吾々(われわれ)の祈りは必ず成就(じょうじゅ)するのである。それは間違いなきことである。併(しか)しながらその祈りとは、数分間、神社または祭壇(さいだん)でとなえることのみが祈りではないのである。祈りと云うのは生命(いのち)の宣言(のりごと)である。生命(いのち)の底深くで、念(ねん)じていること、唱(とな)えていること、呟(つぶや)いていることは悉(ことごと)くいのりである。だから、不幸を呟(つぶや)いている者は不幸が来るように祈っているのである。病気を呟いている者や、常に人に苦痛を訴(うった)えている者は病気や苦痛の来るように訴えているのと同じことである。』(pp.110-111)

 ここに「正しい祈り方」と、間違った「祈り方」の違いが、明らかにしめされていますね。

『吾々(われわれ)の祈りは必ず成就(じょうじゅ)するのである。それは間違いなきことである。』

 実は、「祈り」はすべて成就しているのです。叶わない「祈り」はありませんし、成就していない「祈り」もありません。「祈り」は、すべて成就しています。
 問題は、その成就している「祈り」の中味、「祈り方」に上手下手があるだけです。

 では、正しい「祈り」、正しい「祈り方」とはどういう事でしょう。
 それには、「祈り」とは何かの正しい理解がまず第一です。

『祈りとは、数分間、神社または祭壇(さいだん)でとなえることのみが祈りではないのである。』

 たいていの方は、神社等で「神様、○○の成就をお願いいたします」と祈っている瞬間だけを「いのり」と思っていませんでしょうか。

『祈りと云うのは生命(いのち)の宣言(のりごと)である。生命(いのち)の底深くで、念(ねん)じていること、唱(とな)えていること、呟(つぶや)いていることは悉(ことごと)くいのりである。』

 実は「いのり」とは、「生命(いのち)」の「宣言(のりごと)」、「いのち」の「のりごと」、「生命」の「宣言」そのものですから、別に神社等で手を合わせている間の「祈り」だけが、「いのり」のすべてではありません。

『生命(いのち)の底深くで、念(ねん)じていること、唱(とな)えていること、呟(つぶや)いていることは悉(ことごと)く』が「いのり」である、というわけです。

 このように、むしろ、日常、自分が心の中で思っていること、唱えていること、呟いているのことのすべてが「いのり」です。神社で手を合わせている時間より、日常の心の状態の方が同じ事を長く考えているのですから、日常の心の持ち方の方が、物事の成就と深く関わります。

『だから、不幸を呟(つぶや)いている者は不幸が来るように祈っているのである。病気を呟いている者や、常に人に苦痛を訴(うった)えている者は病気や苦痛の来るように訴えているのと同じことである。』

 ここにどう「心」を持つべきか、どう正しく「祈る」べきか、その「いのり」の秘訣が示されています。

 たとえば、良い仕事につきたいと願う人は、
「神様、どうか良い仕事につけますように、よろしくお願いいたします。」と祈るよりも、
「神様、既に良い仕事につけました、ありがとうございます。」と祈った方が速やかに祈りが成就することとなります。

 つまり、「いのり」とは「生命(いのち)」がいつも何を「宣言」しているかが「いのり」ですから、「良い仕事につけますように」と祈り時には、心の中では「私はまだ良い仕事についていない」と、深く強く宣言しているわけですので、それが「心の法則」で実現していて、いつまでたっても良い仕事につけないと言う状態が続きます。

 一方、「神様、既に良い仕事につけました、ありがとうございます。」と感謝の思いを持ち続け、心の中で祈り続ける時には、「既に良い仕事につけた」という思いが「心の法則」どおりに成就して、速やかに良い仕事が見つかる、ということになります。

 「既に」神様の実相世界に成就しているからこそ、自分の夢や理想、希望としてそれが心の中から湧いてきているのですから、それが人や自然を傷つける事や神様のご意志に反する願い出ない限り、必ず成就することとなります。

 「既に」成就しました、「神様」ありがとうございます、との「感謝の祈り」。これこそが万物成就の祈りで、「既に」と祈るのが「祈り」の大事なキーワードですね。

2.常に感謝する祈り

 「四月十三日の法語 常に感謝する祈り」には、次の様にあります。

『常に間断(かんだん)なく善(よ)き事を考えている者のみが善き事を来る様(よう)に祈っている事になる。常に間断なく善き事を考えている者とは、常に今ある状態を不平に思わず、既(すで)に「実相(じっそう)の完全なる相(すがた)」があるとして感謝している者の事である。常に感謝している者は、常に善き事を祈っている事になる。併(しか)し、単に今ある状態に甘(あま)んじている者は、それ以上の状態を祈っているのではないから、其(そ)れ以上の結構(けっこう)な事物(じぶつ)は現れて来ないだろう。「実相無限の善」を今ありとして感謝する者のみが無限に改善し生長する善き事を得るのである。』(pp.111-112)

  神様の創造された、「神・自然・人間の大調和」している実相世界は、既に「完全円満」であり、「永遠不滅」であり、「無限生長」「無限創造」の素晴らしい世界であり、それのみが「今」「ここに」「独在」する、との「生長の家」の「唯神実相」の真理を、そのまま受け入れる所から善きことのすべてが出発いたします。 「生長の家」って、本当に素晴らしいですね!

 私事ですが、数日前、次女が結婚いたしました。無事、「花嫁の父親」の役目を遂行し、感動的な楽しい結婚式でした。百名を越える大勢の方々の祝福をいただいて、本当に素晴らしい結婚式でした。これもひとえに、「祈り」による神様からいただいた素晴らしい賜であり、神様に、ご先祖様に、そして双方の親族、双方のご友人の皆様、結婚式と披露宴を運営いただいたスタッフの皆様に、ただただ感謝あるのみです。

3.神の愛は放つ愛である

 「四月二十日の法語 神の愛は放つ愛である」には、次の様にあります。

『神の愛はそのままである。人間に完全なる自由を与(あた)えたまうているのである。決して善へとのみ強制し給(たま)わないのである。愛とは相手を自由に解放することである。解放が愛である。愛は朝顔(あさがお)に朝顔の花を開かしめ、牡丹(ぼたん)に牡丹の花を開かしめ、薔薇(ばら)に薔薇の花を開かしめる。それ自身の本性(ほんせい)をのびのびと解放するのである。相手を自分につなぎとめて置(お)くのは飼犬(かいいぬ)を鎖(くさり)で縛(しば)りつけ、愛鳥(あいちょう)を籠(かご)の中に入れて置く愛である。愛は相手の生命を自由に解放して、その生命の本然(ほんねん)のところに行かしめるのである。』(pp.116-117)

  私は、次女を叱った記憶がありません。長女と両親のやりとりを見ていて、ここまでなら親は叱らない、ここを越えるとアブナイ・・・と、次女は要領よく観察していたのかと思ったりしましたが、どうやら彼女は、人の心を逆なでするようなことをしない、なかなか出来た娘だったようです。結婚式での彼女の友人達、あるいは、新郎の友人達を見ていて、本当に善き人々に恵まれていると感心しました。
 二人の末永い幸せを祈りました。

 さて「愛」を、仏教的には「四無量心(しむりょうしん)」と言います。
 「慈(じ)」「悲(ひ)」「喜(き)」「捨(しゃ)」の4つの心ですね。

 谷口雅春先生著『希望を叶える365章(新版)』(日本教文社刊)には、次のようにあります。

『常に、あらゆる人たちの幸福を祈らなければならない。人の幸福を祈れば、類は類を招(よ)ぶ法則によって幸福が自己にも訪れて来るのである。人の不幸を祈れば、不幸は反転(はんてん)して自分に帰って来るであろう。』(p.149)

  私たちは、不断に人の幸せを、自然の調和を、世界の平和を願い、祈り続ける必要がありますね。

『人の幸福を祈るのは、不幸な有様(ありさま)を見て可哀相(かわいそう)だと思うだけでは、可哀相な有様を、心の世界に描(えが)くだけであるから、「心に描くものが現れる」と云う法則に随(したが)って幸福な状態があらわれて来ることはむつかしいのである。一度は、相手の不幸な有様を見て「可哀相だな、あの不幸をとってやりたい」と思う。それが「慈心(じしん)」である。そして「あの人を幸福にしてやりたい」と思う。それが悲心(ひしん)である。』(p.149)

 「慈」は「抜苦」、「悲」は「与楽」ですね。

『しかしそれだけでは相手を幸福にすることは出来ない。次には「喜心(きしん)」が必要である。彼の中(なか)にやどる実相の完全な神性「既(すで)に幸福なる彼」を見て、それを喜(よろこ)ぶのである。その時「見るものはあらわれる」と云(い)う法則と「想(おも)うものに類するものが集って来る」と云う法則とが作用するのであって、その観(かん)と想(そう)とが徹底(てってい)すれば、彼には本当に幸福が訪れて来るのである。』(pp.149-150)

 神の世界は「歓喜」そのものですから、「祈る」時も、日常生活を送る時も、常に「歓喜」の心が神様の世界(実相)と波長の合う心です。

『しかし、その幸福は、既(すで)に実相の世界にあるのであるが、今までは観(かん)じなかったから現れなかったのである。しかし実相の完全な相(すがた)が現象界(げんしょうかい)にあらわれて来るには、現象界は、時間を通じて展開して来るから、或る時間的経過を必要とするのである。それを待ち切れないで、「やっぱり駄目(だめ)だ」と幸福招来(しょうらい)の祈りの効果(こうか)を否定してしまう否定的想念を起せば、想う通りに今までの祈りの効果が駄目になる惧(おそ)れがあるから、彼の実相の完全円満な幸福な相(すがた)を心に描いて祈った限りは、幸福の種子(たね)を蒔(ま)いてしまったようなものであって、「果(はた)してその種子が発芽(はつが)するかどうか」と疑いの心を起して種子をたびたび掘り起して見るような事をしてはならないのである。』(p.150)

 「既に成就している」と祈った後には、「神への全択(ぜんたく)」が大切です。いつ成就するだろうと心配する必要はありません。もっとも良い時、良い形で神様が成就してくださいますので、安心して神様に全択いたしましょう。

『そのために慈心・悲心・喜心の次に捨心(しゃしん)が必要なのである。創造の大地に祈りの種子を蒔いた後(あと)は、必ず発芽する事を信じて、疑いの心を去って、大地の創化作用(そうかさよう)にまかせて心からその念を放(はな)ち「捨(す)て」去(さ)る事である。これが捨徳(しゃとく)である。これによって慈悲喜捨(じひきしゃ)の四無量心(しむりょうしん)が完成するのである。』(p.150)

 「疑心」を「捨て去る」こと、これが四無量心の完成です。
 実相世界を既に完全円満に、永遠不滅のものとして無限生長・無限創造の世界として創造されました絶対善なる神様に、ただ安心して、全托して、自ずから展開する素晴らしい神の世界の展開を享受いたしましょう。

 神様に、生長の家創始者・谷口雅春先生に、生長の家前総裁・谷口清超先生に、生長の家総裁・谷口雅宣先生に、深甚の感謝を捧げます。

                      (牧野尚一:H30.04.24)

谷口輝子聖姉三十年祭

 4月24日午前10時から、長崎県西海市にある生長の家総本山で「谷口輝子聖姉三十年祭」が執り行われました。私も“森の中のオフィス”で、総本山からの生長の家総裁・谷口雅宣先生の素晴らしいお言葉を拝聴し、深く感銘いたしました。ありがとうございました。

 谷口輝子聖姉は生長の家白鳩会の初代総裁でいらっしゃいました。
 日本教文社掲載の谷口輝子先生のプロフィールには、次のようにあります。

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谷口 輝子(たにぐち てるこ、1896年 - 1988年)生長の家創始者夫人。

「生長の家白鳩会」初代総裁。明治29年(1896)3月7日、富山県高岡市に生まれる。大正8年(1919)「生長の家」創始者谷口雅春氏と出会い、翌年結婚。谷口雅春氏と共に「人間・神の子」善一元の世界、万教帰一の真理を万人に伝えるべく邁進。昭和11年(1936)2月2日「生長の家白鳩会」結成し、昭和26年(1951)3月、白鳩会初代総裁就任。昭和63年(1988)4月24日、ご逝去(満92歳)。

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 青年時代に直接、谷口輝子先生と親しくお話をさせていただく機会を得た小生からしますと、谷口輝子先生はまさに先生ご自身のお歌のとおり“なべての人の母”そのものでいらっしゃいました。

 時代が進むにつれまして、ますますその思いを持つ人々が全世界へと広がって行くことでしょう。

 『新版 生長の家 聖歌歌詞』(日本教文社刊)に収録されている谷口輝子先生の歌詞の内、今日は以下の二首をご紹介します。

◎ 慈母愛育譜  谷口輝子・作詞

 大いなるみ手に
 ひかれて今日も明日も
 光を行くか
 いとし我が子よ

 ◎ をみなこそ  谷口輝子・作詞

  をみなこそ
 生けるかいあり天地(あめつち)の
 なべての人の
 母にしあれば
 (くり返す)

 生長の家創始者・谷口雅春先生に、生長の家白鳩会初代総裁・谷口輝子先生に、心から深く感謝御礼申し上げます。

                         (牧野尚一:H30.04.24)

2018年4月 3日 (火)

神は愛なり

 生長の家創始者・谷口雅春先生には沢山のご著書がありますが、その一冊に『新版 光明法語 【道の巻】』(日本教文社刊)があります。
  1月1日から12月31日まで、珠玉の真理のお言葉が綴られた366日の箴言集です。(2月29日もあります)

 「四月の法語」は「信仰の本質」です。

1.神は愛なり

 「四月一日の法語 神は慈悲(じひ)の神、愛の神」には、次の様にあります。

『先ず神を愛の神と知ることである。次の如く思念せよ。「神は怒りの神、嫉妬の神、復讐の神、神罰の神ではないのである。神は赦しの神、慈悲の神、やさしさの神、包容の神、じっと愛の瞳をもって慈悲深く吾をみつめ給う神である。その慈愛の前にすべてのわが悲しみも、怒りも憎みも、すべての心の塊が溶けてしまうのである。われは神の慈悲の前にすべての心の塊は溶けて消え、わが魂は悉く浄まったのである。神がわれを赦し給うたごとく、すべての人々の過ちを自分もゆるしたのである……」』(p.103)

 『先ず神を愛の神と知ることである。』
 これが、「信仰の本質」ですね。
 「神」を正しく理解すること、これが「信仰」のすべてです。

 「神は愛なり」
 仏教的には「四無量心」ともいいます。惟神(かんながら)の道では“ムスビ”といいます。

 「生長の家」は「万教帰一」の教えですので、歴史的な各宗教の礼拝の対象を本来「一」なる存在と捉え、各宗教宗派の礼拝する神仏の名称をすべて尊重いたします。

 谷口雅春先生著『善と福との実現(新版)』(日本教文社刊)の元々の初版は、昭和23年12月20日でした。
 『第十章 生長の家の神は「根本中」也』の本文は、次のように書き出されています。

『戦後吾等が得た恵福は、国民が信教の自由と言論の自由とを恢復(かいふく)し得た事である。されば私は今後方便に偏せず、真実を説くことが出来る事になり、愈々真理開顕のときが来たのである。』(p.223)

 言論の自由が阻まれていた戦時体制下の制約を解かれ、誰に憚ることなく自由に真理を説ける時期が来たことのお喜びの中で、谷口雅春先生は続いてこう書かれています。

『今まで吾等は天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)と阿弥陀とゴットと天地の創造主とを、同一の本源唯一神(ゆいいつしん)なる生長の家大神(うちゅうぜんたいのおおかみ)の別名であることを『生命の實相』で説いて来たのであり、老子の説く如く「道」(コトバ即ち神)は本来無名であり、神名又は仏名にとらわれて、他宗排撃の固陋(ころう)に陥ってはならない、万教は互に手を繋いで、唯一の神を信じ讃えようではないかと説いて来たのである。』(p.223-224)

 唯一絶対の存在(根源神・大生命)を「生長の家」では、「生長の家大神」と呼称していますが、

 天之御中主神 = 阿弥陀 = ゴット = 天地の創造主 = 同一の本源唯一神 = 生長の家大神

と、すべてが同一であることがここに明確に示されてあります。まさに「生長の家」が万教帰一である由縁ですね。名称に差違はあっても同一のご存在である、というわけです。これが理解できれば、すぐにも世界の人々は互いに互いを“神の子”同士として讃え合い、手を結び合い、たちまちにして今、此処に、天国・極楽浄土が現出いたします。

 絶対が二つも三つもあるはずはなく、それぞれの宗教宗派が尊崇する対象は、実はすべて「一」なる存在であることは、論理的に考えてもこれ以外にはあり得ませんね。
 それぞれの方々が尊崇する名称や、真心を顕しやすい礼拝の形式等、それは皆それぞれに尊いのですから、その名称、礼拝の形式等はそれぞれ大切にしてゆけば良いのです。そして、相互にそれを尊重し合いながら、「一」なるご存在に感謝してゆけば良いわけですね。

 そしてその「一」なるご存在が、無限の「大愛」そのものであられること、仏教的には「四無量心」、惟神(かんながら)の道では“ムスビ”のお働きそのものである、という点が信仰の要諦です。

 これが分かれば、一切の対立が解消され、忽ちに国際平和が実現いたします。
 「生長の家」では、特にこの“ムスビ”の心を大切にしています。

2.“ムスビ”の心

 『古事記』の冒頭は次のようにあります。

『天地(あめつち)の初發(はじめ)の時、高天原(たかあまはら)に成りませる神の名(みな)は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、次に高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、次に神産巣日神(かむむすびのかみ)、この三柱(みはしら)の神は、みな獨神(ひとりがみ)成りまして、身(みみ)を隱したまひき。』

 ご神名に“むすび”とありますね。

 さて、天之御中主大神、高御産巣日神、神産巣日神がみな獨神(ひとりがみ)で「身(みみ)を隱したまひき」とありますが、 谷口雅春先生著『限りなく日本を愛す』(日本教文社刊)には、次のように書かれてあります。(原文は旧漢字旧仮名遣い)

『さて、この高御産巣日神と神産巣日神とは天之御中主神と一体なのであります。だから『この三柱の神は並独神成りまして、身(みみ)を隠したまいき』とあります。「身を隠す」とは姿形が見えないと云う意味で幽之幽(ゆうのゆう)なる神であります。所がこの三柱の神様は「独り神」だというのは、決して「独身の神様」と云うような意味ではないのであって、絶対唯一の神様であるという意味であります。決して相対的な神様じゃないのであって、絶対唯一の神様、独一真神(どくいつしんしん)であります。たった一つしかないから絶対の神様なのであります。』(p.166)

 神は五感、六感を超越していますので、姿形はみえません。
 しかも、一即多、多即一で、唯一絶対神が陰陽に分化して働きますが、唯一絶対神であることには変わりないので、別々の神様ではありませんので「独り神」と書かれています。

 そのお働きについては、谷口雅春先生著『限りなく日本を愛す』に次のようにあります。

『天之御中主なる「主(しゅ)」にして「中(ちゅう)」、「中」にして「主」なる神は、そのままでは創造が完成しないのである。それは「陽の原理」(タカミムスビ)と、「陰の原理」(カミムスビ)とに剖判(ぼうはん)し出でたのである。「タカ」は高く、タクましく、タケ高(たか)く、猛(たけ)しく聳(そび)ゆる原理であり、男性原理を象徴するのである。「カカ」は「幽之(かすかの)又幽(またかすか)」である。カカミムスビとカが重複するので、一字を約して、単にカミムスビとしたのであると私は解釈しているのである。「カ」の字は、カスカ、カゼ、カスミ、カクレル、カゲなどの語字によって明かなるが如く、内に幽玄にカクれている原理であり、それは陰(かげ)であり、陰(いん)である。中心の「一」は剖判(ぼうはん)して陰陽と分れ、再び、陰陽が交流して、創造がいとなまれるのである。陰陽は別個の如くであるけれども、本来一体であるのである。本来一体でありながら、その職能や働きの分担を異にするのである。』(91p)

 このように、神の創造は、陰陽分化して営まれるのであり、「ムスビ」の原理、「愛(四無量心)」の原理こそが神のご本質ですね。
 まさに、「神は無限の智恵」そのものであると同時に「神は愛なり」ですので、“ムスビ”の原理そのものです。従ってそこから無限の生命、無限の供給、そして無限の歓喜、無限の調和が自ずから成就するというわけです。

 私たちの「ムスビの心」「愛(四無量心)」の歓喜は、天之御中主神及び陰陽分化しての高御産巣日神、神産巣日神のお働きの反映と申せましょう。

 この三神を「造化の三神」とも申し上げますが、宇宙創造の唯一絶対神なる、天之御中主大神様、高御産巣日神様、神産巣日神様に、あらためて深甚の感謝を捧げさせていただきます。

 この宇宙創造の唯一絶対神(天之御中主大神様、高御産巣日神様、神産巣日神様)について、 『新版 光明法語 【道の巻】』のご文章をもう一度、拝誦いたしましょう。

『神は赦しの神、慈悲の神、やさしさの神、包容の神、じっと愛の瞳をもって慈悲深く吾をみつめ給う神である。』(p.103)

 この真理を、十分に十分に、繰り返し繰り返し、深く心に刻みましょう。
 「神は愛なり」
 これほど、分かりやすく、そして最も重要な真理はないと言ってもよいほど、大事な、根本的な真理です。

                      (牧野尚一:H30.04.03)

2018年4月 2日 (月)

生長の家講習会のご案内(4月)

 「生長の家」の教えとはどのようなものなのか知りたい、学びたいとお考えの方は、是非「生長の家講習会」にご参加ください。全国59会場で2年に1度開催される講習会では、生長の家総裁・谷口雅宣先生、生長の家白鳩会総裁・谷口純子先生のご講話を直接聴くことができます。また、信徒の体験談や聖歌の合唱なども行われて、1日ゆったりと教えを学ぶことができます。

 開催教区以外の方、信徒でない方も自由に参加できます。日時と会場をご確認の上、ぜひご参加ください。

◆講習会日程◆

 ◎2018年4月の予定

  4月8日(日)大阪・和歌山

      大阪市 メイン会場 ATCホール
      大阪市 なんば会場 大阪府立体育会館
      岸和田市 岸和田会場 浪切ホール
      枚方市 枚方会場 枚方市市民会館
      大阪市 上本町①会場 生長の家大阪教化部
      大阪市 上本町②会場 大阪国際交流センター
      堺市 堺会場 堺市産業振興センター
      富田林市 富田林会場 富田林すばるホール
      河内長野市 河内長野会場 河内長野市立文化会館

      和歌山市 和歌山会場 和歌山ビッグウエーブ
      伊都郡 かつらぎ会場 かつらぎ総合文化会館
      田辺市 田辺会場 紀南文化会館
      東牟婁郡 那智勝浦会場 那智勝浦町体育文化会館

※上段9会場については、大阪教化部へ、下段4会場については、和歌山県教化部へお問い合わせください。

※時間はいずれも午前10時〜午後2時です。

※詳細は、最寄りの生長の家教化へお問い合わせください。

◆講習会テキスト◆

谷口雅春先生『如意自在の生活365章』

谷口雅宣先生『宗教はなぜ都会を離れるか?——世界平和実現のために』

                    (牧野尚一:H30.04.02)

2018年3月28日 (水)

夢は実現する

 前生長の家総裁・谷口清超先生には沢山のご著書がありますが、その一冊に『伸びゆく日々の言葉』(日本教文社刊)があります。
  1月1日から12月31日まで、珠玉の真理のお言葉が綴られた366日の箴言集です。(2月29日もあります)

 三月の章は「あなたが主人公」です。

1.人は全て「生長の家」

 「三月二十九日 人間の本来相」には、次の様にあります。

『人の目を気にしていては、何事もできない。人が目くばせをし合ったと言ってヒカンする者は、人の目に支配されている愚か者である。人間は、自主独立の存在だ。それを釈尊は「唯我独尊(ゆいがどくそん)」と示された。人は小さな肉体個我でなく、狭い会社の一員でもなく、地球人や世界人でもない。それを超え、さらに超越しているところの“大宇宙人” である。この霊的大宇宙の実相を「生長の家」と言うのだ。それ故 人は全て「生長の家」である。そこから逃れることもなく、そこから脱落することもない。これが人間の本来の相(すがた)である。』(p.83)

 「神の子・人間」の「実相」は“大宇宙人”!
 まったくですね。 「生長の家」では、五官(目・耳・鼻・皮膚・口)で認識する「現象」の世界は仮の姿で、神によって創造された「実相世界」こそ本当の実在する世界と説いています。(唯神実相論)

 そしてその「実相世界」を「生長の家」ともいいます。

 「生」は無限に伸びる「時間」を象徴し、「長」は無限に伸びる「空間」を、そしてその時間・空間が交差する「中(みなか)」の実相世界、「家」とは「実相宇宙」全体を指しますので、 「生長の家」は「実相宇宙」の別名です。

 一方、現象宇宙は仮の姿で、その奥に本当の「実相大宇宙」がありますので、「神の子・人間」は、「実相宇宙」の「神の子」、 「生長の家」の「神の子」ということになります。

  『人は全て「生長の家」である。』
  『人は全て「生長の家」である。』
  『人は全て「生長の家」である。』

 これは、もう最高の真理ですね! あなたも「生長の家」、私も「生長の家」、全人類ことごとく「生長の家」! 素晴らしいですね!

2.夢は実現する

 「三月三十一日 夢は実現する」には、次の様にあります。

『いよいよ春たけなわとなった。明るい日射しが人々の心をわき立たせる。まさに一年中での“青春時代”である。あなたの心も希望で大きくふくらんでいるだろう。希望は現実ではない。それは未来への夢だ。しかしその夢は実現しうるのである。何故なら、実相において既に実現しているからだ。あなたは必ず幸せになれるのであり、夢は実現する。たとい一時挫折(ざせつ)するように見えても、人生を放棄しない限り、必ず実現する。それ故、現象にふりまわされ、失望落胆するな。今年がだめなら来年がある。三月に達成できなくても、輝く四月が、窓先からのぞきこんでいるではないか。あなたは、無限に生き続ける神の子である。』(pp.84-85)

 私たち(神の子)の内から湧いてくる夢や、希望、理想は、すべて「神の世界(実相世界)」に既に実現しているのです。それが既に、「実相世界」に実現しているが故に、私たち(神の子)の夢や、希望、理想として内から湧いてくるのです。私たちが勝手に思い描いているようですが、既に完成成就しているからこそ、私たち(神の子)の夢や、希望、理想として心に湧き上がってきているのです。即ち、それは、完全円満・永遠不滅・無限生長・無限創造の「神の世界=実相世界=生長の家」で成就しているものだというわけです。

 一遍に成就しなくても、必ず時間の経過とともに成就いたします。
 あわてたり、焦る必要はありません。全ては成就し終わっています。
 その展開を、ゆっくりと楽しみましょう。

『今年がだめなら来年がある。三月に達成できなくても、輝く四月が、窓先からのぞきこんでいるではないか。あなたは、無限に生き続ける神の子である。』

 人が荒波に逆らって舟を漕ごうとしたら大変です。鳥も強風に逆らって飛ぼうとしたら大変です。このように「神の御心」に逆らう利己的な自我の祈りは成就しませんが、あなたは「神の子」ですから、 「神の世界=実相世界=生長の家」から流れてくる大波に乗り、 「神の世界=実相世界=生長の家」から吹いてくる暖かな春風に乗る時、あなたの夢や希望、理想は必ず成就・実現いたしますね。

                      (牧野尚一:H30.03.28)

2018年3月26日 (月)

生長の家講習会のご案内(4月)

 「生長の家」の教えとはどのようなものなのか知りたい、学びたいとお考えの方は、是非「生長の家講習会」にご参加ください。全国59会場で2年に1度開催される講習会では、 生長の家総裁・谷口雅宣先生、生長の家白鳩会総裁・谷口純子先生のご講話を直接聴くことができます。また、信徒の体験談や聖歌の合唱なども行われて、1日ゆったりと教えを学ぶことができます。

 開催教区以外の方、信徒でない方も自由に参加できます。日時と会場をご確認の上、ぜひご参加ください。

◆講習会日程◆

◎2018年4月の予定

 4月8日(日)大阪・和歌山

      大阪市 メイン会場 ATCホール
      大阪市 なんば会場 大阪府立体育会館
      岸和田市 岸和田会場 浪切ホール
      枚方市 枚方会場 枚方市市民会館
      大阪市 上本町①会場 生長の家大阪教化部
      大阪市 上本町②会場 大阪国際交流センター
      堺市 堺会場 堺市産業振興センター
      富田林市 富田林会場 富田林すばるホール
      河内長野市 河内長野会場 河内長野市立文化会館

      和歌山市 和歌山会場 和歌山ビッグウエーブ
      伊都郡 かつらぎ会場 かつらぎ総合文化会館
      田辺市 田辺会場 紀南文化会館
      東牟婁郡 那智勝浦会場 那智勝浦町体育文化会館

※上段9会場については大阪教化部へ、下段4会場については和歌山県教化部 へお問い合わせください。

※時間はいずれも午前10時〜午後2時です。

※詳細は、最寄りの生長の家教化部へお問い合わせください。

◆講習会テキスト◆

谷口雅春先生『如意自在の生活365章』

谷口雅宣先生『宗教はなぜ都会を離れるか?——世界平和実現のために』

                    (牧野尚一:H30.03.26)

2018年3月24日 (土)

皇太子殿下ブラジルで「水」講演 三分一湧水をご紹介

 『山梨日日新聞』平成30年3月21日朝刊(第30面)に、「皇太子さまブラジルで「水」講演 三分一湧水を紹介」(共同・植松利仁)とありました。

  「三分一湧水(さんぶいちゆうすい)」は、山梨県北杜市に住んでいる私たちには親しい所ですが、5年前に北杜市長坂町へ越してきた時には、「三分一湧水? 何だろう?」と思ったことでした。

 三分一湧水は、北杜市長坂町小荒間から湧き出る豊かな湧水で、農業用水として利用されています。この湧水の利用を巡っては、下流の村々で長年続いた争いをおさめるため、江戸時代に湧水を三方向の村落に三分一の量ずつ平等に分配できるようにしたので、三分一湧水の名の由来となったそうです。

 平成28年10月14日にこの地をご視察された皇太子殿下のお写真が、宮内庁のホームページに掲載されています。
      ↓

http://www.kunaicho.go.jp/page/gonittei/photo/13330

 『山梨日日新聞』平成30年3月21日朝刊(第30面)によりますと、ブラジルを訪問中であった皇太子殿下は、3月19日午後(日本時間20日午前)、首都ブラジリアで開催中の「第8回世界水フォーラム」で「水と災害」をテ一マにした会合で英語で講演されたそうです。
 そして、地球温暖化などによる水害に触れ「自然の脅威に対抗するため、国際社会は結束して対処していく必要がある」と強調されました。

 皇太子殿下はその講演で水を分かち合う大切さに言及し、北杜市長坂町小荒間の三分一湧水を例示され、江戸時代から分水施設として八ヶ岳南麓の農業を支えてきた経緯や伝承を古文書や写真を示して説明されました。
 地域住民が議論を重ねて分水方式を決めた経緯を踏まえて、「潤いを感じさせる美しい三分一湧水は、水を分かち合うことのシンボルといえる」と評価されたとのこと。

 講演後には、記者団に「水問題を解決することが平和につながるという最新の世界の動きを肌で感じた」と振り返られたとのことでした。

 これからの時代は、何事も分かち合う愛の心、四無量心、すなわち“ムスビ”の働きが大切ですね。

                      (牧野尚一:H30.03.24)

2018年3月20日 (火)

自然と人間の大調和を観ずる祈り

 2011年(平成23年)3月11日に東日本大震災があり、生長の家総裁・谷口雅宣先生 は二つのお祈りを発表されました。

 同年3月17日に、まず「自然と人間の大調和を観ずる祈り」を発表されました。
 次に同年4月11日には、 「新生日本の実現に邁進する祈り」を発表されました。

 「自然と人間の大調和を観ずる祈り」は、谷口雅宣先生の長編詩『大自然讃歌』(生長の家刊・平成24年8月出版) に収録されています。また、谷口雅宣先生の長編詩「大自然讃歌」と「観世音菩薩讃歌」を収録した『合本 讃歌』(日本教文社刊・平成27年10月出版) にも収録されています。

 「新生日本の実現に邁進する祈り」は、 『合本 讃歌』(日本教文社刊・平成27年10月出版)に収録されています。

 最初に、 「新生日本の実現に邁進する祈り」を紹介します。

1.新生日本の実現に邁進する祈り

 このお祈りの冒頭は、次のように始まっています。

『国土再建の槌音が響いている。
 現象の無秩序が消えて、秩序が現れつつある。それが生命本然の営みであるから、私たちは喜びを感じるのである。冬の枯れ野が眼前に広がるように見えても、土の中、樹木の幹の中、氷原の下層では、新たな息吹が始まっている。そのように、生命は常に無秩序を乗り越えて秩序を生み出し続けるのである。破壊と思われるものの背後で、建設が行われている。また、建設されたものの背後から破壊が始まるのである。表面の「現象」を見れば、世界は常に変化する。しかし、その変化の原因である生命は、常に活動し、生み出し、拡大している。それが生命の実相である。』

 生命は、常に生長し、発展し、創造し続けます。
 ちょうど今は3月の半ばを過ぎ、あちこちに春の兆しが表れています。
 いかなる厳冬の冬も終わり、必ず暖かな、光あふれる春がやってきます。
 では、私たち「神の子」は、どのような姿勢で人生をいきるべきでしょうか。
 先生は、次のように書かれています。

『日本はこれから新生するのである。物質的繁栄が人間と国家の目的であり、幸福の源泉だとする考えとは別の方向へ、人生と国とを進展させる時期が来たのである。物質が悪いのではない。物質の過剰が悪いのである。物品の山、食品の山の中に埋まって、そのどこかに“宝”があると探しているのでは“本当の価値”を見出すことはできない。“本当の価値”とは、物品や食品になる前のアイディアであり、さらにそれらアイディアの背後にある“与える心”“愛でる心”“慈しむ心”である。物質は、それらを表現するための手段に過ぎない。しかるにそれが手段であることを忘れ、物品や食品を至上目的とするところから“奪う心”“妬む心”“憎む心”が生じるのである。』

 “物質”は、目的ではなく手段です。「生命」が伸びゆくための手段であって、“物質”の蓄積が目的ではなく、それをどう上手に生かして、多くの人々に愛を実践し、幸福を実現するかが大切です。目的と手段を間違えますと、人と人の対立、国と国の対立を生んでしまいます。

 先生は、さらに次のように書かれています。

『助け合いの中から、新たな富が生み出されている。
 富は、他者(ひと)のためになる物や事があるところに生まれる。それが人間の心に認められたときに、金銭的な値段がつくのである。金銭的な価値は富の本質ではなく、人間の心が認めた度合いを示しているに過ぎない。その証拠に、自然界はそこに生きる生物にとってなくてならぬものだから、どの地点もそのままで価値がある。したがって、それら無数の地点が集まった全体は、無限価値を有している。山にある森は酸素を生み出し、生物を養い、川を流し、水を清め、海を豊かにしているが、人間がその価値をあまり認めないから、「山林」や「原野」は「宅地」より値段が低いのである。だから私たちは、もっと人や物や自然の価値を認めよう。認めて誉めることで、実相の豊かさを引きだそう。』

 多くの人々は、自分たちが生かされている空気や食物が、すべて「自然」の恵みであることを忘れがちです。
 酸素がなくては呼吸ができません。その酸素は、99%森や植物のお蔭で供給されています。
 食物は、すべて大地の産物です。「自然」なくして私たちは1分1秒といえども生きていけません。
 もっともっと、私たちは人や物や自然の価値を再確認する必要がありますね。

 先生は、最後に次のように書かれています。

『神は無限の富を私たちの前にすでに与え給う。高い山、深い森、豊かな水、複雑な地形、変化に富んだ気候、そして多様な生物。人間社会は、それらに支えられて存在してきた。だから、それらを破壊することで、人間社会が豊かになるはずがないのである。人間社会は助け合いによって成立しており、個人一人で生きることができないように、人間は他の生物と助け合うことで豊かな生活を初めて実現できるのである。新たな富は「奪う」ことではなく、「与える」ことによって実現する。私たちはそれを人間社会の中だけでなく、自然界においても実践し、「本当の価値」を引き出し、豊かな自然と豊かな人の心とが共存する新生日本の建設に邁進するのである。
 
 その機会を与えてくださった神様に、心から感謝申し上げます。』

 2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災は、まことに痛ましい災害でした。そして、あの災害から多くのことを学んでこそはじめて、あの災害で命を失い、家族を失い、家財を失い、故郷を失った方々に報いる唯一の道でありましょう。

2.自然と人間の大調和を観ずる祈り

 谷口雅宣先生がお創りいただいた、 「自然と人間の大調和を観ずる祈り」には、次のようにあります。

『神の創造(つく)り給いし世界の実相は、自然と人間とが一体のものとして常に調和しているのである。自然は人間を支え、人間に表現手段を与え、人間に喜びを与えている。それに感謝し、人間は自然を愛で、自然を養い、豊かならしめているのである。両者のあいだに断絶はなく、両者のあいだに争いはなく、両者のあいだには区別さえもないのである。』

 森や植物が酸素を供給し、人や動物が炭酸ガスを森や植物に提供していることに象徴されますように、自然と人間とは一体のものとして常に大調和しています。

『人間に表現手段を与えている肉体は、その周囲を構成する自然界と物質的成分は同一である。だから、人間は自然界から酸素を得て動力とし、水を飲んで潤滑油とし、食物を摂取して肉体を維持・成長させることができるのである。これらの物質の流れ、分子や原子の循環の奥に、神の知恵と愛と生命を観ずるものは幸いである。物質は結果であり、神が原因である。すべての存在が渾然と調和し、支え合っているその実相を、神は「はなはだ良し」と宣言せられたのである。』

 「生長の家」では、神の創造された世界を「実相」と言っています。その「実相」の世界では、すべての存在が渾然と調和し、支え合っているのです。これが「唯神実相」の真理で、 「生長の家」では「縦の真理」とも言っています。

 その「実相」の姿が、 「現象」においてもそのまま投影している状態を「真象」といいます。 「現象」とは、私たちが肉体の五官(目・耳・鼻・皮膚・口)で認識している世界です。

 「神の子・人間」の私たちの心が澄んでいましたら、「神の世界」そのままを地上でも見る事が出来ますが、私たちの心に曇りがありますと、「神の世界」そのままが歪んで見えたり、曇って見えることになります。これを「偽象」といいます。

『その実相を見ず、「個」が実在であり、世界の中心であると見るのは迷妄である。「個人の損得」を中心にすえるとき、人間は自然との大調和を見失うのである。自然界に不足を見出し、自然界を障害と見なし、自然界を自己の支配下に置こうとして、自然界の機構を自己目的に改変し、利用することは、愚かなことである。自然の一部を敵視して破壊することは、恥ずべきことである。それによって、人間は自然との一体感を失い、自然治癒力を含めた自然の恩恵を自ら減衰させ、生き甲斐さえも失うのである。』

 神と、自然と、人間が一体で大調和していると見れば良いのですが、人間の利益、個人の損得を中心に考えると、自然界を破壊することに違和感を持たなくなってしまいます。それはしかし、本来自然と人間は一体の不即不離の関係ありますから、実は人間を破壊していることに他ならないのです。

『人間が自然を敵視すれば、その迷い心の反映として、自然の側から“敵”として扱われるような事態が現れてくるのである。人間が山を削り、森を切り倒し、川を堰き止め、湖や海を埋め立てて、人間だけの繁栄を画策しても、それは神の御心ではない。それは神が「はなはだ良い」と宣言された実相世界とは似ても似つかない“失敗作品”である。実相でないものは、必ず破壊と滅亡を迎える時が来る。それは偽象の崩壊であり、業の自壊である。』

 「生長の家」では、「環境は心の影」と言っています。 「唯心所現」とも言い、これが「生長の家」の「横の真理」です。

 「唯神実相」=縦の真理:神の創造された世界は完全円満・永遠不滅・無限生長・無限創造の世界

 「唯心所現」=横の真理:肉体の五官(目・耳・鼻・皮膚・口)で認識している世界)
 心が澄んで、神の世界そのままの投影された世界をみていると、その世界は「真象」の世界
 心が曇って、神の世界の投影を歪んだり曇って見ている世界は「偽象」の世界

 従って、如何なる姿が「現象」に現れても、それがそのまま「神の世界」、もしくは「神の御心」と見る事は間違いです。
 大災害があったからといって、それは、神のご意志でしょうか?

『しかし、これを“神の怒り”ととらえてはならない。広大な農地を破壊しながら猛スピードで突き進む津波を見て、神が怒りに燃えて破壊を進めていると考えてはならない。神は山を崩して海を埋め立て給わず。海岸に農地を作り給わず。工場を造り給わず。空港も、原子力発電所も造り給わず。それらすべては、人間が自己利益を考えて、動植物の絶滅を顧みずに行った行為である。日本列島やニュージーランド周辺で地震が起こるのは、太古から繰り返されている地殻変動の一部であり、決して異常事態ではない。それが異常事態に見えるのは、人間の視野が狭く、考える時間軸が短く、自己中心的だからである。』

 自然界で地震が発生し、それに伴って津波が発生するのは自然現象の一部であって、それは地球誕生から今日まで、そしてこれからも続く当たり前の現象であって、それを想定して人間が生活する必要がありますね。人間中心主義に陥って、自然を支配しようと考えるのは間違いです。

『多くの生物を絶滅させ、自然の与え合い、支え合いの仕組みを破壊しておいて、人間だけが永遠に繁栄することはありえない。生物種は互いに助け合い、補い合い、与え合っていて初めて繁栄するのが、大調和の世界の構図である。それを認めず、他の生物種を“道具”と見、あるいは“敵”と見、さらには“邪魔者”と見てきた人間が、本来安定的な世界を不安定に改変しているのである。その“失敗作品”から学ぶことが必要である。

 大地震は“神の怒り”にあらず、“観世音菩薩の教え”である。我々がいかに自然の与え合いの構図から恩恵を得てきたかが、それを失うことで実感させられる。我々がいかに人工の構築物を、田畑を、港を、道路を、送電線を、インターネットを築き上げても、自然界の精妙かつ膨大な仕組みとエネルギーを軽視し、蹂躙する愚を犯せば、文明生活は一瞬にして崩壊することを教えている。我々の本性である観世音菩薩は、「人間よもっと謙虚であれ」「自然の一部であることを自覚せよ」「自然と一体の自己を回復せよ」と教えているのである。』

 「唯神実相」の「生長の家」の真理のとおり、神の創造された世界は完全円満・永遠不滅・無限生長・無限創造の世界です。従って、自然と人間は大調和しており、自然が人間を破壊することも、人間が自然を破壊することもありません。

 「現象界」においてもそれを実現するには、人間が自然との調和を考える必要があり、人間が勝手に自然を改変しようしてもそれは無理なことです。
 東日本大震災や、さまざまな自然災害を受けた時、私たちはもっと謙虚に自身のあり方を顧みる必要がありますね。

『現象において不幸にして災害の犠牲となった人々を、“神の怒り”に触れたなどと考えてはならない。神は完全なる実相極楽浄土の創造者であるから、「怒る」必要はどこにもない。人類が深い迷妄から覚醒できず、自然界を破壊し続けることで地球温暖化や気候変動を止められないとき、何かが契機となって人々を眠りから醒ます必要がある。麻薬の陶酔に頼って作品をつくり続ける芸術家には、自分の作品の欠陥が自覚されない。そんなとき、「この作品は間違っている!」と強く訴える人が現れるのである。そんな“内なる神の声”を1人や2人が叫び続けてもなお、多くの人々に伝わらないとき、それを集団による合唱で訴える役割が必要になる--「この作品は描き直し、造り直す必要がある!」と。現象の不幸を表した人々は、そんな尊い役割を果たしている。これらの人々こそ、我々の良心であり、“神の子”の本性の代弁者であり、観世音菩薩である。』

 「生長の家宇治別格本山」には、「自然災害物故者慰霊塔」があります。
 「生長の家宇治別格本山」のホームページには、次のように説明があります。

『自然災害物故者慰霊塔は、平成二十三年三月の東日本大震災を契機に、自然災害による物故者を悼み、自然と人間が大調和する世界実現の誓いを新たにするため、平成二十五八月に建立されました。兵庫県産の生野丹波石を用いた石碑の文字は、生長の家の谷口雅宣総裁の揮毫によるものです。
 毎月の11日の10時から、月次祭をとりおこない、生長の家大神様に感謝の真心をささげ、さらに慰霊塔にしずまります、自然災害にて昇天された御霊様のさらなる解脱向上を願い、神・自然・人間の大調和せる世界実現のため、人類光明化運動・国際平和信仰運動へ邁進されますよう祈念いたしております。』

 谷口雅宣先生は「自然と人間の大調和を観ずる祈り」の最後を、このように結ばれています。

『我らは今、この尊き観世音菩薩の教えを謙虚に聴き、心から感謝申し上げるとともに、神の創造(つく)り給いし世界の実相の表現に向かって、新たな決意をもって前進するのである。神さま、ありがとうございます。』

3.温暖化がもたらす厳冬

 地球温暖化は、気候変動をもたらすといわれていますが、2018年3月18日「朝日新聞」朝刊31面「科学の扉」に、「温暖化がもたらす厳冬」(神田明美記者)という記事がありました。

 そのメカニズムを要約しますと、

(1)地球温暖化で北極の海氷面積が夏(9月)少なくなると

(2)大気が冷えてくる晩秋に水温と大気の温度差が大きくなります

(3)すると、北極海のヨーロッパ側のバレンツ海・カラ海上に高気圧が発生し、地表のシベリア高気圧を強めます

(4)その寒気が南下します

(5)対流圏(地表から10数㎞以内)から成層圏(10数㎞~50㎞)にその波が伝わります

(6)北極上空の極渦(きょくうず)を弱めます。極渦は通常の低気圧と異なって一年中持続しますが、季節による強さの変化が大きく、冬の時期に最も強まるのですが、これが弱められてしまいます。

(7)極渦のゆがみが、大気のゆらぎとなって下へと伝わります

(8)これによってヨーロッパからアジアを経て日本へと流れる偏西風の蛇行を強めます

(9)北極の寒気が南下しやすくなり、日本に寒波が押し寄せます

 というメカニズムだそうで、最初に指摘したのは、本田明治・新潟大准教授らのグループが2009年に発表した論文。そして、本田さんらの論文を元に、中村哲・北海道大地球環境科学研究院博士研究員らのグループが、海氷の面積が広いときと狭いときを条件に、60年分をコンピューターで試算した結果は、本田さんらが観測を元に得た傾向と同様だったとのことです。

 ちなみに海氷面積は、
 1978~95年には 100万平方㎞ありましたが、
 2015年には 57万平方㎞
   16年には 26万平方㎞
   17年には 74万平方㎞ だったそうです。

 地球温暖化への対策は、待ったなしに必要ですね。

                    (牧野尚一:H30.03.20)

2018年3月14日 (水)

神・自然・人間の大調和する世界

 3月11日(日)午前10時から、山梨県北杜市にある生長の家“森の中のオフィス”で「神・自然・人間の大調和祈年祭」が行われました。

 御祭りの最後に生長の家総裁・谷口雅宣先生からお言葉をいただき、深く感銘いたしました。ありがとうございます。

 祈年祭では、最初に聖歌「水と森の歌」が斉唱されました。
 続いて、谷口雅宣先生のご先導による「四無量心を行ずる神想観(ニューバージョン)」の実修がありました。
 そして、生長の家白鳩会総裁・谷口純子先生による「自然と人間の大調和を観ずる祈り」の奉唱がありました。
  その後、全員で『大自然讃歌』の一斉読誦を行いました。


  前生長の家総裁・谷口清超先生作詞「水と森の歌」の歌詞(『新版 生長の家聖歌歌詞』日本教文社刊 所収)は、以下のとおりです。

一、風が吹き  雨が降り  山の奥より  岩はだにそい

  流れ出る  清き水  森を養い  田をうるおして

  人や虫  かえる、鳥  いのちあるもの  すべてを生かし

  川となり  海に入(い)り  くじらや魚に  力をあたえ

  大いなる  日(ひ)のちから  限りなく照り  むら雲となり

  台風や  ハリケーン  大雨(おおあめ)となり  大河(たいが)となりて

  果てしなく  どこまでも  水は流れて  やむことなきか

  ありがたきかな


二、雨が降り  樹はしげり  豊かに実り  けものを養い

  清らかな  空と水  豊かに与え  葉は枯れ落ちて

  肥えた地を  年を経て  つくり続けて  すべてを生かし

  伐られても  もの言わず  人やけものに  力を与え

  大いなる  日のちから  限りなく照り  森はしげり

  台風や  モンスーン  大雨に堪え  暴風にたえ

  果てしなく  どこまでも  緑の風は  やむことなきか

  ありがたきかな

 私はこの歌が大好きで、車を運転する時はCDをリピート状態にして聞き続けながら運転しています。

 「神」の愛、「自然」の恵みの中で私たち「神の子・人間」が生かされている、本当にありがたいことです。まさに神・自然・人間の大調和の世界です。


 「四無量心を行ずる神想観(ニューバージョン)」は、生長の家総裁・谷口雅宣先生、生長の家白鳩会・谷口純子先生共著『“森の中”へ行く』(生長の家刊)の『第六章 講演録「自然界に“四無量心”を行じる』(pp.180-221)で、谷口雅宣先生
がご紹介いただいています。ぜひ熟読・味読されて実修され、神想観の妙味をご堪能ください。


 2011年(平成23年)3月11日に東日本大震災があり、生長の家総裁・谷口雅宣先生は同年3月17日に「自然と人間の大調和を観ずる祈り」を発表されました。


 谷口雅宣先生の長編詩『大自然讃歌』(生長の家刊)は2012年(平成24年)8月に出版され、 「自然と人間の大調和を観ずる祈り」や「水と森の歌」も収録されています。ぜひ讃歌と祈りの全文を熟読・味読され、神・自然・人間の大調和した生活を実践してまいりましょう。


               (牧野尚一:H30.03.14)

2018年3月13日 (火)

あなたが主人公

 前生長の家総裁・谷口清超先生には沢山のご著書がありますが、その一冊に『伸びゆく日々の言葉』(日本教文社刊)があります。
  1月1日から12月31日まで、珠玉の真理のお言葉が綴られた366日の箴言集です。(2月29日もあります)

 三月の章は「あなたが主人公」です。

1.あなたが主人公

 「三月十三日 あなたが開く」には、次の様にあります。

『あなたの中にある才能は、まずあなたが見出し、あなたが発掘しなければならない。それはあなたの財布の中の金は、あなたが使い、あなたが保管するのが当り前であるのと同じである。ところが多くの人々の中には、物好きにも、それらを全て他人にゆだね、自分は何もしない人がいる。何でも出来る力がありながら、あえて、何もしないでいる。それは冷蔵庫の中に食料が一杯つまっていても、「誰かが開けてくれるまで開くまい」と思っている人か、「私には冷蔵庫を開く力がない」と思っている人のようだ。しかし本当は、いつでも出来るのであり、あなたはその力を出すことが出来る「主人公」なのである。』(p.72)

 自分一人で勝手に「自己限定」して、これは出来ない、あれも出来ないと嘆いているのはもったいない事ですね。 「生長の家」では、「人間神の子・無限力」と教えられています。

 オリンピックやパラリンピック、あるいは各種スポーツ番組で私たちが感動するのは、人知れずに重ねた努力がついに花開いたその瞬間に私たちも遭遇して、ともにその喜びを共有するからですね。まさに「人間神の子・無限力」が実現した、その瞬間に立ち会っている感動なのですね。

2.天上天下唯我独尊

 「三月十四日 唯我独尊」には、次の様にあります。

『「天上天下唯我独尊(てんじょうてんがゆいがどくそん)」という言葉は、釈尊の御悟(おさと)りと言われているが、自分だけが一番尊いというのではなく、「われ仏なり」の自覚である。“独(ひと)り”とはたった一人と言う意味ではなく、「全世界はわが心の影」吾の中に全てがあるという絶対者の自覚である。従って、「わが運命」は「わが手中に」あるのであり、他人の評価や、他人の噂や、他人の意地悪でグラグラ変るものではない。ところがそれに気付かず、自分の運命を、自分以外の人のセイだと思い込むと、唯我独尊の自覚が崩(くず)れ、自己本来の独自性を失い、ひとの思惑に左右されるみじめな人間に成り下るのである。』(pp.72-73)

 生長の家創始者・谷口雅春先生には、33の神示が天降りましたが、その中の一つに「至上者の自覚の神示」(昭和八年三月十六日神示)があります。

 その神示の冒頭は次のようにあります。

『人即ち神であると言う真理を知らぬ者が多いのは気の毒である。『生長の家』が此世に出現したのはすべての人々に此の至上の真理を知らさんが為である。自己が神だと悟ったら人間が傲慢になるように誤解したり、自己の本性が神だと悟ったものを謙遜が足りぬと思う者は大変な思い違いである。斯(か)くの如き想像をする者は自己が神だと言う真理をまだ一度も悟って見たことがないからである。自己が神だと悟れたら人間は本当に謙遜になれるのである。キリストが弟子の足を洗うことが出来たのも、自己が神だと悟っていたからである。(以下略)』

 谷口雅春先生は、そのご著書『到彼岸の神示』(日本教文社刊) で、この神示を次のように解説されています。

『これは昭和八年五月号『生長の家』誌に掲載された昭和八年三月十六日の神示の冒頭であります。「人即ち神である」という教えが生長の家の教えの根本を成しているのでありますが、この場合、注意しなければならないのは、用語の定義をハッキリさせて置かないと誤解を生ずることであります。先ずこの場合の「人」というのは「人の本性」又は「実相」のことであって、「肉体人間」のことではないのであります。乃ち「人即ち神である」というのは「人間の本性又は実相は神である」ということです。『涅槃経』にある「一切衆生悉く仏性あり」に一致するのであります。この人間に“内在する仏性”こそが人間の実相であり、「本当の人間」であり、肉体と見えるのは「人間の仮相」に過ぎないのであります。仮相は如何にそれがアルかの如く見えても、「無い」のでありますから、「実相」のみがアルのであります。仏教で「仏性」と言うところを、キリスト教では「内在のキリスト」とか「内在の神性」とか称するのであります。その「内在の神性」のみが「本当の人間」なのであります。だから仮相に非る「本当の人間」は「神」そのものだと言うのであります。』(pp.6-7)

 釈迦が自覚し、キリストが自覚し、 「生長の家」が説いている「人即ち神」とは、その「本性」が神、仏である、ということです。それは、まだ発掘されていない「金鉱」と同じで、あるのですが開発しなければ埋もれたまま、という事になります。現状のままではなくて、神想観をして、努力し、発掘したとき、その「神の子」の神性が顕れるというわけです。

 谷口雅春先生著『到彼岸の神示』(日本教文社刊)中には、 「至上者の自覚の神示」をはじめ12の神示全文とその解説が詳しく掲載されてありますので、ぜひ全文をお読みください。

3.すべては観世音菩薩の展開

 さて、谷口清超先生著『伸びゆく日々の言葉』(日本教文社刊)の「三月十五日 環境は自心の鏡」には、次の様にあります。

『この人生は、自分の心で作るものであるから、心中の想いが大切である。物質的な条件をとやかく言いふらし、物質条件にのみこだわっていると、「その心」が実現して、「物質条件が整わないとどうにもならない世界」があらわれる。「あの社長は物分りが悪い」と思いつつ、その社長に交渉しても、こっちの想い通りの社長が出て来て手古摺(てこず)るのだ。「うちの家内は愚かである」と思いつついくら叱咤激励(しったげきれい)しても、心でそう思い込んだ彼女は一向に変らない。まず自分の心を変化させ、相手を「観世音菩薩」と思うがよい。』(p.73)

 「環境は心の影」と「生長の家」では説きます。仏教的な用語を使えば、「三界唯心所現」ということになります。
 これは本当に分かりやすい真理ですね。

 何か自分の人生は他動的な要因で動かされていると、最初は思いがちですが、実はすべて自分の心の反映です。ボールを壁に投げれば、ボールがはね返ってきます。山に向かって叫べば、コダマが返ってきます。

 人に親切をすれば、巡り巡って人から愛念が戻ってきます。「あたたは素晴らしい!」と讃嘆すれば、「君も素晴らしい!」と善いコトバが返ってきます。

 反対のことをすれば、反対の事象や声が戻ってきます。

 この簡単な原理こそ、人生を喜びに満ちた光り輝く毎日とするか否かのポイントです。

 でも、目の前のあの人はとてもとても「神の子」とは思えない、と言いがちですが、
『人即ち神であると』
という真理が「生長の家」の根本真理なのです。

 そう見えなくても、大丈夫、その人の「実相」「ほんとうのすがた」は「神の子」で、その「実相」を礼拝し、讃嘆し、感謝していますと、やがてその「本性」たる「神性」が顕れてくるのです。

 そこで、 「生長の家」では「環境は心の影」、すべては「観世音菩薩」の働きと感謝・合掌・礼拝するのです。

 これを実践しますと、面白いように世界が変わり、望むこと願うことが「百事如意」、すべてが調って参ります。

 常に、真・善・美のみを見つめる心の習慣性を養うために、 「生長の家」では毎日『日時計日記』(谷口純子先生監修・生長の家刊)をつける事をお勧めしています。希望すること、願うことが次々と成就する『日時計日記』を、あなたも是非!

 なお「観世音菩薩」につきましては、 生長の家総裁・谷口雅宣先生 『観世音菩薩讃歌』(生長の家刊)という素晴らしい長編詩があり、また谷口雅宣先生著『宗教はなぜ都会を離れるか? --世界平和実現のために--』(生長の家刊)の「第二部 新しい文明の実現を目指して」の「第一章 偏りのない文明の構築へ」(pp.113-179)では、「観世音菩薩」とは「生長の家」ではどのように解釈するかを詳しくご説明いただいていますので、ぜひ熟読・味読ください。

               (牧野尚一:H30.03.13)

2018年3月10日 (土)

神・自然・人間の大調和祈年祭

 3月11日(日)午前10時から、山梨県北杜市にある生長の家“森の中のオフィス”で
「神・自然・人間の大調和祈年祭」が行われます。

 生長の家公式サイトでライブ配信されますので、ぜひご視聴ください。

 生長の家総裁・谷口雅宣先生のお言葉が拝聴できます。

         ↓

 神・自然・人間の大調和祈念祭 ライブ配信

   2018年3月11日(日) 10:00開式
  於:生長の家“森の中のオフィス”

                    (牧野尚一:H30.03.10)

2018年3月 6日 (火)

生長の家講習会のご案内(3月)

 「生長の家」の教えとはどのようなものなのか知りたい、学びたいとお考えの方は、是非「生長の家講習会」にご参加ください。全国59会場で2年に1度開催される講習会では、生長の家総裁・谷口雅宣先生、生長の家白鳩会総裁・谷口純子先生のご講話を直接聴くことができます。また、信徒の体験談や聖歌の合唱なども行われて、1日ゆったりと教えを学ぶことができます。

 開催教区以外の方、信徒でない方も自由に参加できます。日時と会場をご確認の上、ぜひご参加ください。

◆講習会日程◆

◎2018年3月18日(日) 栃木・福島

 宇都宮市   メイン会場  栃木県総合文化センター
 那須塩原市 那須会場  那須塩原市三島ホール
 真岡市    真岡会場  スパリゾートリブマックス
 佐野市    佐野会場  佐野市文化会館 小ホール
 須賀川市   福島会場  須賀川市文化センター

※上段4会場については栃木県教化部へ、 下段1会場については福島県教化部へお問い合わせください。

※時間はいずれも午前10時〜午後2時です。

※詳細は、最寄りの生長の家教化部へお問い合わせください。

◆講習会テキスト◆

 ■谷口雅春先生『如意自在の生活365章』

 ■谷口雅宣先生『宗教はなぜ都会を離れるか?——世界平和実現のために』

            (牧野尚一:H30.03.06)

2018年3月 1日 (木)

立教89年 生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典

 本日3月1日は、生長の家立教89年に当たり、生長の家総本山で「生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典」が挙行されました。
 日本はもとより、ブラジル等の南米、アメリカ合衆国やカナダ等の北米、中華民国、韓国、インドネシア等の東南アジア、オーストラリア、そしてドイツを始めとするヨーロッパ諸国、アフリカ等、世界各地の「生長の家」の信徒の方々がこの日を言祝ぎました。

 式典の中で生長の家総裁・谷口雅宣先生から素晴らしいお言葉を賜り、深く感銘いたしました。

 さて、3月1日がなぜ「生長の家」の立教記念日かということにつきましては、昨年の今日のwebにも書きましたが、加筆して掲載させていただきます。

1.「久遠の昔」からあった「生長の家」

 生長の家創始者・谷口雅春先生はご著書『到彼岸の神示』(日本教文社刊) に次の様に書かれています。

『生長の家はそれが地上に発祥したのは昭和四年十二月三十一日に『生長の家』という雑誌が製本完成したときであり、その所は唯今、神戸市内に編入されていますが、当時は兵庫県武庫郡住吉村八甲田と称された処で其処にささやかな家の門柱に“生長の家出版部”という竪看板のような大きな桧の門標がその翌年掲げられたのであります。その雑誌の創刊号の奥附に昭和五年三月一日発行としてありまして、創刊号がひろまるのに、次の第二号発行までの間隔を三ヶ月間とってあったのであります。第三号から第三種郵便物の認可がおりました。奥附の三月一日発行を、公式的な生長の家の発祥の春の記念日としてあるのは、時候が人々の集り易い陽春を選んだのであります。』(p.70)

 谷口雅春先生が「今起て!」という神啓を受けられて執筆を始められたのが、昭和四年の十二月十三日。同年十二月三十一日には『生長の家』誌は製本完成していましたが、創刊号の奥附を昭和五年三月一日発行とされたので、 「生長の家」の立教記念日は三月一日となったわけです。

『しかし、生長の家は地上に発祥したときに始まったのではなく、「久遠の昔」からあるとこの神示に示されている通り、久遠の昔から実在の世界にあって、時期が熟して、地上人類救済の瞬刻限に地上に出現したのであります。』(p.70)

 これが大事ですね。 「生長の家」は、神と偕に久遠の昔からあったのです!
  神の「実相世界」、その別名が「生長の家」なのです。

  この神示とは、 「無限供給の神示」(昭和七年五月五日神示)で、 『到彼岸の神示』『御守護 神示集』に収録されています。 (いずれも日本教文社刊)

『この神示には「わが霊身は『生命の實相』そのものである」とあります。「わが」と言われるのは無量寿の普遍的な本源神であられます。その生命が、すべての人間に宿って、すべての人間の生命となり、吾々は生かされているのでありまして、それが吾々の『生命の實相』なのであります。だから吾々自身の生命の実相は、無量寿普遍の本源神の生命と一体であり、『生命の實相』が読まれ、説かれ、それが明かにされるところ、そこに宇宙の本源神が「幽之幽」なる世界から「顕」の世界にあらわれ、無量寿の完全生命が顕われるので、自然に病いは消え、一切の不幸も災いも滅することになるのであります。そのことを、
「『生命の實相』が説かれるところ、読まれる所、披(ひら)かれるところに吾れは顕われざるを得ないのである。」
と示されているのであります。』(p.72)

『吾々自身の生命の実相は、無量寿普遍の本源神の生命と一体であり』とありますように、唯一絶対の本源神と私たちの生命の実相は一体であるのですから、ありがたいことですね、素晴らしいことですね!
 これが「生長の家」の教えの中核たる「唯神実相論」です。

『かく示したまう生長の家の本尊神は、一宗一派の神様ではなく、どの宗派にも異る名称で姿をあらわしてい給うところの宇宙の本源たる“唯一の神”であられますから、 
「吾れは光明遍照世界の主宰者大日如来であり千万億阿僧祇久遠の昔より成仏せる釈迦であり、アブラハムの生れざる以前より既に世の救い主なりしキリストである。吾れに汲むものは涸(かわ)かず、吾れは無限の光、無限の生命、無限の愛、無限供給の泉である。」 
と示されているのであります。』(p.72)

 『生長の家の本尊神とは・・・宇宙の本源たる“唯一の神”』ということがポイントです。多種多様な表現として、生長の家大神、住吉大神、綿津見大神、塩椎大神等々の名称で礼拝いたしますが、 『生長の家の本尊神とは・・・宇宙の本源たる“唯一の神”』ということが根本です。
 これが分かりますと、神名や仏様のお名前にとらわれることなく、世界の宗教宗派の礼拝の対象を偕に讃え合うことができます。

 「生長の家」が「万教帰一」を説きますのも、 「生長の家」を説かれる神も、世界の歴史的な数々の宗教を説く神も、ただ唯一絶対の本源神でいらっしゃるからです。
 唯一絶対の本源神が独在する事を世界の人々が理解した時、神・自然・人間の大調和した世界だけが独在する事が分かりますので、皆兄弟姉妹と分かり、忽ち相互に礼拝し合い地上にも天国・極楽浄土が実現いたします。
 まず、この真理を理解した人々の周囲には、忽ち天国・極楽浄土が実現いたします。

2.「生長の家」は「実相世界」の別名

 前生長の家総裁・谷口清超先生は、ご著書『伸びゆく日々の言葉』(日本教文社刊)で次の様に書かれています。

『 三月一日 記念すべきこの日

 生長の家は昭和五年三月一日をもって立教された。この日付けの『生長の家』誌を谷口雅春大聖師が発刊されたからである。それは今まで実相世界に宝蔵されていた「真理」が現実世界に浮かび上って来た最初の記念すべき日であった。それ故この日を全世界で祝賀する。まだその気持になる人々の数は少いかも知れないが、次第にその数は増加する。何故なら「生長の家」が「実在」であり、「実相世界」の別名であり、「高天原(たかあまはら)」であり、「竜宮城」であるからである。それのみが実在であるから、この真実が必ず現成するのである。』(p.64)

「生長の家」が地上にも出現し、 生長の家創始者・谷口雅春先生、前生長の家総裁・谷口清超先生、そして生長の家総裁・谷口雅宣先生と法燈が継承されて、この「生長の家」の真理が全世界に広がっております。誠に慶賀に堪えない、素晴らしい今日の日であります。

 ところで、「無限供給の神示」を解説された谷口雅春先生著『到彼岸の神示』 には、法華経の「見宝塔品」の一節が引用されています。以下は、その大要を分かりやすく私が意訳してみました。

 ある時、釈迦如来が真理を説いておりましたら、突然、空中に巨大な「七宝の塔」が出現したというのです。なぜこの様な輝かしい宝塔が出現したのでしょうかと聞かれましたので、釈迦如来は、
「此の宝塔の中には多宝如来がおられる」
とお教えくださいました。
「その仏は、真理が説かれるところに多宝塔と共に姿を顕し、その真理の素晴らしさを、『善い哉』と讃嘆されるのである。」と。

 すると、弟子達は、ぜひその宝塔の扉を開いて多宝如来を礼拝させてくださいと釈迦如来にお願いいたします。釈迦如来が七宝の塔の扉を開きますと、中におられた多宝如来が、宝塔の中から『善い哉、善い哉』と釈迦如来の説法を讃嘆され、坐っておられた台座の半座を分かち、
『釈迦牟尼仏、此の座に就きたまうべし。』とおっしゃられました。
 釈迦如来もその塔の中に入り、その半座に坐して結跏趺坐されたのでした。

 七宝の巨大な宝塔の中の、巨大な台座の上に、巨大な釈迦牟尼と巨大な多宝如来が並んでお座りになられたのですから、その荘厳極まりないことは計り知れません。
 谷口雅春先生は、ご著書『到彼岸の神示』(日本教文社刊)で、
『この一節を私は「一仏一切仏の顕示」と称んでいるのであります。』(p.67)
と書かれておられます。

 つまり、真理(釈迦如来)と無限供給(多宝如来)は、コインの裏表の様に一体で、 「生長の家」の真理(宇宙の大法)の説かれるところ、そこに自然に無限供給も成就する、というわけです。

 素晴らしい「生長の家」の真理に深く感謝し、 宇宙の本源神なる大神様に、そして生長の家創始者・谷口雅春先生に、前生長の家総裁・谷口清超先生に、生長の家総裁・谷口雅宣先生に深く感謝する一日といたしましょう。

                      (牧野尚一:H30.03.01)

2018年2月27日 (火)

「立教89年 生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典」のライブ配信

 3月1日(木)は、生長の家立教89年に当たり、生長の家総本山で「生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典」が挙行されます。
 生長の家公式サイトでライブ配信されますので、ぜひご視聴ください。
 生長の家総裁・谷口雅宣先生のお言葉が拝聴できます。

          ↓

 立教89年 生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典

   2018年3月1日(木) 10:00開式
  於:生長の家総本山 出龍宮顕斎殿

               (牧野尚一:H30.02.27)

心の空はいつも青空に

 今朝の澄んだ美しい青空を仰ぎながら、思わず「心の空はいつも青空に」とつぶやいてしまいました。

 自然界の空は、時に雨となり、雪も降り、台風の来ることもあり、それらは皆大切な働きがあり、ただただ感謝です。四季折々の風情もまた味わい深いものですね。

 とはいえ、やはり春の香りいっぱいの青空は、すべての人の感性に合っていて、殊に冬から春にかけてのこの季節は、一番心楽しい季節でしょうか。

 というわけで、自然界の四季の移ろいに関係なく、心の中はいつも春風のように温かく青空のように澄んで晴れ晴れとしているのが理想ですね。

 谷口雅春先生『新版 叡智の断片』(日本教文社刊)は、文字通り“神の叡智”が煌めいているご本です。アトランダムに少しご紹介しますと・・・

『祈(いの)りとは「生命(いのち)で宣(の)べる」事であって、心の底深くに念ずる想いが祈りである。かならずしも神仏の前に平身低頭する事ではないのである。』(p.150)

 神・自然・人間の大調和する実相世界には、良きものは全て成就していますので、愛なる神の御心に叶うことはすべて心で深く信じ宣言するとき、それは必ず地上にも成就しますね。

『心に太陽を有(も)つこと。光は光を招(よ)び、闇は闇を招ぶ。太陽は万物を育むが、闇は徽菌を育てる。』(p.182)

『人間は一日中の或る時間を、心から、笑って過すことが必要である。四六時中、四角四面な鹿爪(しかつめ)らしい気持ちでいるときは、心に余裕がなくなって、神経質になり、肉体も病弱になるものである。』(p.183)

『湯上がりの気持ち。これが本当の人間の心のありかたでなくてはならない。いきいきとした血潮が全身をかけめぐっている。その様に、人間の中に神のいのちがかけめぐっていなければ本当ではない。』(p.260)

 「湯上がりの気持ち」とは分かりやすいですね!
 いつも血潮が全身をかけめぐっているホットな気持ちで生きましょう!

『凡(あら)ゆる美徳のうち最大の美徳は「たのしい」ということである。あかるくたのしい気持ちこれが一番大切である。あらゆる失敗の最大の原因は、この「たのしい気持ち」を抑圧し、明るい気持ちを灰色一色にぬりつぶしたからである。』(p.260)

  神は無限の「歓喜」ですから、「たのしい」ことこそが最大の美徳とあります。
 たのしい気持ちで勉強し、たのしい気持ちで仕事をし、たのしい気持ちで人と接しましょう。

『神のつくりたまうた人間に罪があるなどと考える事は、神を冒潰するもはなはだしい。人間に誰一人悪い者とではない。自分も何一つわるいところがないのが実相である。』

 人も「神の子」、自分も「神の子」、すべてが「神様の展開」です。
 ただただありがたし。

『その人がたとい何一つ具体的な仕事をしていないとしても、ただその人が楽しく愉快にその日その日を暮らしたというその事だけで、その人は「善」をなしたのである。それは何物にも代え難き「善」である。彼の幸福は彼の周囲に幸福を呼び、彼の善は彼の周囲に善を呼ぶのである。彼の愉快の念波は宇宙のどこかに今も浮遊していて、それに触れる何人かを愉快にしているのである。』(p.325)

 今日も一日、明るい心、楽しい心、湯上がりのさっぱりした心で楽しい一日を過ごしましょう!

               (牧野尚一:H30.02.27)

2018年2月23日 (金)

祝 皇太子殿下御誕生日

 2月23日は、皇太子殿下満58歳の御誕生日でございます。心よりお祝い申し上げます。

 宮内庁のホームページ「皇太子殿下のお誕生日に際しての記者会見(会見年月日:平成30年2月21日)」が紹介されてあり、深く感銘いたしました。

記者の
「天皇陛下が来年4月30日に退位され,殿下は同年5月1日に即位されることが決まりました。率直な受け止めとともに,皇太子としての残りの期間,どのようなことに重きを置いて過ごされたいとお考えかお聞かせください。退位日が決まった陛下とはどのようなお話をされましたか。」
という質問には、次のように回答されておられました。

『昨年の誕生日会見でもお話ししたとおり,陛下のビデオメッセージを厳粛な思いで拝見いたしましたし,陛下のお考えを真摯に重く受け止めております。また,長きにわたり,両陛下が一つ一つの行事を大切に思われ,真摯に取り組まれるお姿を間近に拝見してまいりましたので,「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」の施行日が決まったことを受け,改めて,両陛下のこれまでの歩みに思いを致すとともに,深い感慨と敬意の念を覚えております。

今後とも,両陛下の御公務に取り組まれる御姿勢やお心構え,なさりようを含め,そのお姿をしっかりと心に刻み,今後私自身が活動していくのに当たって,常に心にとどめ,自己の研鑽に励みつつ,務めに取り組んでまいりたいと思います。

また,昨年は,三條天皇,伏見天皇,後陽成天皇の三方の歴代天皇が崩御されてから,それぞれ,1000年,700年,400年という年に当たり,式年祭が行われた関係で,各天皇の御事蹟を伺う機会があったほか,秋に訪れた醍醐寺では,後奈良天皇を始め,多くの宸翰を拝見することができました。私としては,こうした,過去の天皇が人々と社会を案じつつ歩まれてきた道を振り返る機会も大切にしていきたいと思います。

陛下とは,以前より折に触れ,お考えを伺ったり,あるいはお話し合いをさせていただいております。具体的な内容についてここで述べるのは控えますが,そうした機会は大変有意義なものであり,とても有り難いことと思っております。

昨年は,陛下の名代としてアジア冬季競技大会の開会式に出席しましたが,少しでもお役に立つことがあれば,喜んでできる限りのお手伝いをしてまいりたいと思います。両陛下には,今後とも,くれぐれもお体を大切になさり,末永くお元気でいらっしゃることを心よりお祈りしております。』

次に、
「次代の象徴天皇としての抱負についてお伺いします。殿下はこれまでも「時代に即した新しい公務」についての考えを語られてきましたが,新しい時代の天皇,皇后の在り方をどのようにお考えでしょうか。」
との質問については、次のように回答されておられました。

『象徴天皇,そして,公務の在り方については,これまでも陛下が繰り返し述べられていますように,また,私自身もこの場でお話ししていますように,過去の天皇が歩んでこられた道と,そしてまた,天皇は日本国,そして日本国民統合の象徴であるという憲法の規定に思いを致して,国民と苦楽を共にしながら,国民の幸せを願い,象徴とはどうあるべきか,その望ましい在り方を求め続けるということが大切であると思います。

そして,そのためには,普段の活動の中で,できるだけ多くの人々と接する機会を作ることが大切であると思います。そういう考え方は変わっておりません。陛下がおことばの中で述べられたように,「時として人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添うこと」が大切であり,私も雅子と共に行った被災地視察や地方訪問の折には,なるべく多くの国民の皆さんとお話しができればと思い,これらの機会を大切にしてまいりました。そして,今後とも,そのように心掛けていきたいと思います。

新しい時代の天皇,皇后の在り方ということについては,冒頭にも述べたとおり,両陛下も大事にされてきた皇室の長く続いた伝統を継承しながら,現行憲法で規定されている「象徴」としての天皇の役割をしっかりと果たしていくことが大切だと考えています。そして,象徴としての在り方を求めていく中で,社会の変化に応じた形でそれに対応した務めを考え,行動していくことも,その時代の皇室の役割だと思います。「時代に即した新しい公務」についても,この点を述べたものであり,将来にわたり生じる日本社会の変化に応じて公務に対する社会の要請も変わってくることになると思いますし,そういった社会の新しい要請に応えていくことは大切なことであると考えております。以前,私は,水の問題や環境問題,子どもや高齢者を取り巻く状況などに触れましたが,それらに限らず,今後も,新たな公務に対する社会の要請は出てくると思いますので,そうした公務に真摯に取り組んでまいりたいと思います。

同時に,世界各国との相互理解を深めていくことも大切であると思いますので,文化交流や国際親善の面でもお役に立てればと思います。

こうした考えについては,日頃から雅子とも話し合っており,将来の務めの在り方についても話し合ってきております。』

 新しい御代もまた素晴らしい時代となりますね。

 また、
「この1年を振り返り,印象に残った公務や社会,皇室の出来事についてお聞かせください。」
との質問へのご回答の中に、

『一方で,国際社会に目を向けると,引き続き,先進国,開発途上国を問わず,所得格差の問題や若年層の失業の問題といった課題に直面しています。また,依然として,世界の各地で武力紛争やテロ事件が発生しており,それらも背景に,不幸にして安住の地を離れざるを得なくなった難民・国内避難民等の数は,第二次世界大戦後最大となる約6,560万人に上っていると聞き,大変心が痛みます。すべての人が,民族や宗教といった相違を乗り越え,協力して国際社会の直面する諸課題に取り組み,持続可能な社会の実現を目指すことが,今まで以上に重要になっていると思います。こうした中,昨年,日本にもゆかりのあるカズオ・イシグロ氏がノーベル文学賞を受賞されました。受賞そのものもうれしい知らせでしたが,イシグロ氏が受賞スピーチの中で,民族対立が深まり,社会が敵対する集団に分かれつつある時代において,ノーベル賞は,文学同様,自分たちを分断している壁を越えて,人間として共に戦わねばならないことは何かを思い出させる,と述べた点は,とても示唆に富むものであり,感銘を受けました。』

 殿下の国際平和を願われる深い御心に、重ねて深く感銘いたしました。

 同じく宮内庁のホームページに紹介されています「皇太子殿下のお誕生日に際してのご近影」のビデオやお写真を拝見しますと、ご一家の仲睦まじいご様子、雅子妃殿下のますますお健やかなご様子、そしてこの春には高校2年となられます愛子様のますますお健やかなご成長のご様子をお伺いできまして、大変嬉しく拝見させていただきました。

 天皇皇后両陛下、皇太子殿下ご一家はじめ、ご皇室のますますの弥栄を心より祈念申し上げます。

               (牧野尚一:H30.02.23)

2018年2月21日 (水)

「平和」を築く道

1.目的と手段

 前生長の家総裁・谷口清超先生には沢山のご著書がありますが、その一冊に『伸びゆく日々の言葉』(日本教文社刊)があります。
  1月1日から12月31日まで、珠玉の真理のお言葉が綴られた366日の箴言集です。(2月29日もあります)

 二月の章は「くにの実相を観る」です。

 「二月十七日 目的と手段」には、次の様にあります。

『目的を達成するためには、大略二つの方法がある。一つは正当な手段で、正々堂々と合法的に努める行き方である。もう一つは目的のためには凡(あら)ゆる手段を使う方法である。彼らは目的が善であれば、途中に非合法や不正手段が行われでもかまわないと考える。しかし目的というものは、その終極に於いては「善」であるから、もし途中の手段が悪や非合法であると、この世には暴力やインチキが充満する。後者の方法を採用しているマルクス主義者や過激派が往々にしておかす過ちは、正しい手段を取らない点である。』(pp.52-53)

  正しい「目的」のために、正しい「手段」でそれを実現する、これが「生長の家」の生き方です。
 「平和」を目的にする場合には、「平和」の手段が必要です。
 「道義」の世界を実現するには、「道義」ある手段のみ、真に目的を達成できます。

 簡単なことのようですが、これが一番大切です。
 正しい「目的」実現のためには、正しい「手段」が不可欠です。
 悪いことは止めて、良いことを実践しましょう、というのが「宗教」であり、人としての当たり前の生き方でもあります。

 前生長の家総裁・谷口清超先生は、 『純粋に生きよう』(日本教文社刊) pp.170-172はじめ多数のご著書で、道林禅師の言葉を紹介しておられます。

 唐の白居易(白楽天)がある時、道林禅師のもとに参じて「仏法の大意とは何でしょうか」と問うたそうです。
 すると道林禅師は
「諸悪莫作、衆善奉行」
と答えました。

  「悪をなすな、善をなせ」というわけです。

 これを聞いて白居易は、「それが仏法の極意ですか? そんなことなら三歳の子供でも言えるでしょう」と言ったそうです。
 すると道林禅師は、「三歳の童子は言いえても、八十歳の老翁でも行うことは難しいのだ」と答えらました。
 それを聞いて白居易は礼拝・感謝して去ったということですが、これが仏法の極意ですね。

 正しい「目的」実現のためには、善い「手段」が不可欠です。「目的」達成のためにこそ善が大切で、「手段」を選ばすでは宗教生活ではありません。

2.「平和」を築く道

 では、人類の等しく悲願とするところの「平和」は、どのようにしたら実現することが出来るのでしょうか。

 生長の家創始者・谷口雅春先生は、そのご著書『心と食物と人相と(新版)』(日本教文社刊)の「はしがき」で、次の様にご教示いただいています。

『「平和・平和」と叫びながら、何故人類は、大量殺毅兵器を、競争して製造しつつあるのだろうか。何故、世界の到る所に戦争の叫びが絶えないのだろうか。この現象を、精神分析の大家カール・A・メニンジャー博士は「人類は自己処罰しつつあるのだ」と説明している。何のための自己処罰であるか。それは食用のために、人類は多くの獣類を殺しているからだ。殺した者は“殺し” によって報いられなければならない。現在意識は肉食をとることが習慣性になっているので、それを罪悪だとは思わないけれども、潜在意識の奥の奥には、“良心”という仏性があり、神性があり、審判官がある。その“良心”が立ちあがって、人類を審判し、人類みずからを自己処罰するために、いろいろの病気をつくったり、大量の自己処罰のためには、戦争という一掃的な死刑執行場をくり広げるのである。』(pp.3-4)

 神様の創造された「実相世界」には悪がない、善一元、善独在というのが「生長の家」の教えです。
 従って、不調和はなく、「神と自然と人間が大調和した世界」のみがある、というわけです。

 これを信じ、全ての人、全ての自然、全ての国々を礼拝するが「生長の家」なのです。
 現象、即ち、五官で認識する世界には悪があったり、不完全があるように見えるとおっしゃるかもしれませんが、「現象は(本来)ない」というのが「生長の家」の根本的な教えです。

 以上が「生長の家」の「唯神実相論」(縦の真理)ですが、では「現象」は何のためにあるかというと、「神の子」達の表現の舞台、それが「現象世界」です。
 この「現象世界」は、神の世界がそのまま投影している姿(真象)と、人の心が描き出した迷いの姿(偽象)とが混在しています。
 「生長の家」では、「唯心所現」(横の真理)といいまして、この世界は各自の「心」の現す所の世界と説いています。

 従って、その人の周囲に起こる事象は、実はその人の「心」の反映ということになります。明るい心の人の周囲には明るい世界が開け、暗い心の人の周囲は暗い、ということになります。

 この「心の法則」を、仏教的には「業」といいますね。
  因果報応といって、種をまいたら必ずその報いがある、というわけです。
 良いことをすれば良いことが返ってきて、悪いことをすれば悪いことが返ってくる、というわけです。善い業「善業」もあれば、悪い業「悪業」もあるわけです。

 谷口雅春先生は、
『殺した者は“殺し” によって報いられなければならない。現在意識は肉食をとることが習慣性になっているので、それを罪悪だとは思わないけれども、潜在意識の奥の奥には、“良心”という仏性があり、神性があり、審判官がある。その“良心”が立ちあがって、人類を審判し、人類みずからを自己処罰するために、いろいろの病気をつくったり、大量の自己処罰のためには、戦争という一掃的な死刑執行場をくり広げるのである。』(p.4)

 と、「平和」を妨げている人類の業とは何かを明確にご指摘されています。

 ぜひ、谷口雅春先生著『心と食物と人相と(新版)』(日本教文社刊)を熟読・味読いただいて、「平和」の実現を妨げているものは何か、そして、「平和」実現のために人類は何を選ぶべきかをしっかりと学びましょう。

 『心と食物と人相と(新版)』の一節には、次のようにあります。

『近頃はますます肉食が奨励せられ、肉食を高級食品だというような宣伝が政府筋からも、また民間のマスコミなどからも行われているのは悲しい事である。(中略)こんなことで、全世界に平和がおとずれるなどと考えるのは、途方もない幻想である。第一のものを第一にしなければならないのである。平和を欲するならば、まず自分の心の中に「殺生戒を犯して肉食するのは断じてやめよう」と決心してそれを断じて実行することである。』(pp.124-125)

 「平和」実現という目的のためには、肉食という「手段」はこれと逆行する以上、私たち人類は速やかにこれをやめる必要がありますね。

3.観世音菩薩の説法

  生長の家総裁・谷口雅宣先生は、「平和」実現のために、「肉食を減らす」ことを運動の形にされました。
 谷口雅宣先生著『生長の家ってどんな教え?』(生長の家刊) には、次のようにあります。

『昔から、仏教では「不殺生」ということが戒律の中にありまして、「生あるものは、できるだけ殺さないようにしよう」という態度が教えの基本になっていましたが、今はその戒律を守っている教派もあるし、守っていない教派もあるんです。生長の家でも、立教当初から肉食は勧められていませんでした。しかし、人の家などに行って肉料理を勧められた場合は、その人の愛念を無にしないために、「これは肉を食べるんじゃなくて愛情を頂くのだ」と考えて無下にお断りしない――そういう生き方がよいとされてきました。
 しかし、最近のように各国の経済が豊かになってくると、人々の食生活がどうしても野菜や穀類の消費から肉の消費に替わっていくのです。(中略)
 そういう地球規模の大きな変化が起こっている時に、宗教者として嬉々として肉食をしているのではあまりにもオカシイというので、生長の家では、昔から言っていることに新たな緊急性と意味を加えて、「肉食を減らす」ことをもっときちんと運動の形で展開していこうとしているのであります。』(pp.230-232)

  谷口雅宣先生は、生長の家創始者・谷口雅春先生著『新版 幸福生活論』(日本教文社刊)p.186の次の一節を引用されています。

『殺すと思い、殺されると思って食べるときには、そこに殺生の業も生み、(中略)その業は心がその存在を支えている限り流動し、輪転し、殺生は次の殺生を生み、ついに人類相互の一大殺生なども生むようになるのである。だから現象本来無しとわかるまでは殺生の業はつぎの殺生を生む。人類が肉食をして(換言すれば人類が殺生によって) 生を保つかぎり、人類相互の殺し合いも休むことがない。戦争の根本原因は爰(ここ)にあると考えざるを得ないのである。』

 谷口雅宣先生は、次のように提唱しておられます。

『現象世界の争いの中で最悪のものが戦争です。これにつながる危険性があることは、我々は絶対しないようにしなければならない。平和を実現しまた守るためには、いろいろな方法がありますが、ただ希望して祈っているだけではダメです。自らが何か実行することが必要です。地球環境問題や戦争などの大きな問題は、我々が今までのライフスタイルを変えないでいて、何かが変わると思うのは間違いなんです。なぜかと言えば、この世界は唯心所現の世界だからです。我々の心の総合的な表現として、地球温暖化が現れているのであり、戦争が起こっているのです。「自分は日本の片隅にいるから関係ない」と思っているかもしれないけれども、化石燃料を大量に消費する現在の文明を支えているのが我々です。家畜が食べる穀物を育てるために、石油を原料とする化学肥料が大量に使われます。「他人や他の生物を犠牲にして栄えよう」という我々の心が巡り巡って、こういう問題に結びついている。そういう反省の上から生長の家では肉食の削減に取り組んでいるのです。これ以上に悪業を積まず、むしろ積極的に善業を積んでいく生活の実践として、食生活の変化を考えていただければありがたいです。』(pp.236-237)

 生長の家総裁・谷口雅宣先生のご著書は、「唯神実相」(縦の真理)、「唯心所現」(横の真理)、「万教帰一」等の「生長の家」の真理を分かりやすくお説きいただき、更に「生長の家」の真理を今、生活にどう実践して行くべきかをご教示いただいています。21世紀の人類のあるべき姿を明確に指し示していただいている先生のご著書をぜひ熟読・味読いただいて、 「生長の家」の果たすべき使命に邁進してまいりましょう。以下は、谷口雅宣先生のご著書の一部です。

『今こそ自然から学ぼう――人間至上主義を超えて――』(生長の家刊)

『次世代への決断――宗教者が“脱原発”を決めた理由――』(生長の家刊)

『生長の家ってどんな教え?――問答有用、生長の家講習会』(生長の家刊)

『宗教はなぜ都会を離れるか?――世界平和実現のために――』(生長の家刊)

 最後に、谷口雅宣先生著『今こそ自然から学ぼう――人間至上主義を超えて――』(生長の家刊) の一節をご紹介します。

『人間の一人一人の生き方の中に環境問題との重要な接点を見出し、人間の側の生き方の変革をも迫る考え方を「ディープ・エコロジー (deep ecology) 」と呼ぶことがある。エコロジー (ecology) とは、日本語では「生態学」とか「生態系」とか「環境保護」などと訳されている。(中略)
 一九八〇年代以降に登場したエコロジーでは、しかし人間と自然との関係をもっと深く見つめ直し、人間を自然の一部としてとらえ、自然を支配しようとする人間の態度そのものの中に環境問題の原因を見出したり、人間自身の生き方を変えることで自然との調和ある関係を回復することを目指すような動きが生まれてきた。これは、従来のエコロジーに比べ、より深く問題の本質に迫る考え方であるから、「深い環境保護思想」というような意味でディープ・エコロジーと呼ばれる。また、人間中心主義に対して「生態系中心主義 (ecocentrism) 」あるいは「生命中心主義 (biocentrism) 」などと呼ばれることもある。』(pp.28-29)

 谷口雅宣先生は、生長の家創始者・谷口雅春先生のご著書『聖経版 真理の吟唱』(日本教文社刊)の「観世音菩薩を称(たた)うる祈り」の冒頭部分を引用されています。

『この世界は観世音菩薩の妙智力を示現せる世界であるのである。観世音菩薩とは単なる一人の菩薩の固有名詞ではないのである。それは宇宙に満つる大慈悲であり妙智力であり“心の法則”であるのである。観世音とは世の中の一切衆生の心の音(ひびき)を観じ給いて、それを得度せんがために、衆生の心相応の姿を顕じたまう「観自在の原理」であり、「大慈悲」である。三十三身に身を変じてわれわれを救いたまうとはこの事である。“心の法則”として、衆生の心に従って、その姿をあらわしたまう事その事が大慈悲なのである。
 観世音菩薩は、あらゆる姿とあらわれて私たちに救いの説法を宣示したまうのである。山々のたたずまい、雲の行きかい、風の韻(ひび)き、水の流れ――ことごとく観世音菩薩の慈悲の説法である。心に耳ある者は聴け、心に眼ある者は見よ。(後略)』(pp.43-44)

 このように、自然界は観世音菩薩の慈悲の説法そのものであり、だからこそ、私たちは自然の動植物の姿に感銘し、山々の美しさに心打たれ、雄大な大空と雲の動きに感動してしまいます。

  このご文章の引用の後、谷口雅宣先生は、次の様に書かれています、

『自然界のもろもろの事象を「観世音菩薩の説法」として捉え、そこから教えを学ぼうとしてきた古来日本の宗教的感性は、だからディープ・エコロジーの考え方と軌を一にするのである。否、このような言い方は正確でない。我々は古来からの宗教的感性を犠牲にし、近代化の流れの中で盲目的に“自己拡大”に突き進んできたため、自然を荒廃させ、地球環境が撹乱し、ついにディープ・エコロジーのような考え方に立ち帰る必要性が生じてきたのである。そういう意味から考えると、地球環境問題は、自然界の背後に佇む観世音菩薩の教えの一つである。観世音菩薩は、自らを「暖まる地球」「飢餓に苦しむ人々」「絶滅する生物種」「激化する気候変動」「災害に苦しむ人々」の姿に身を変じて、我々人類に大切な教えを宣示していたまうのである。その教えを学び、実践することが宗教活動でないはずがないのである。』(pp.41-42)

 今、地球温暖化を原因とする自然災害や、原発等の不可逆的な自然への汚染や人々への深刻な被爆問題等は、速やかに「神・自然・人間の大調和」した本来の姿に戻りなさいと言う、観世音菩薩の説法に他なりません。

 「生長の家」が、国際平和実現を目指し、積極的に地球環境問題に取り組んでいるのは、そこに観世音菩薩の説法を読み取っているからに他なりません。

 自然を愛で、自然に感謝しつつ、自然の痛みを取り除くことこそが、21世紀に生きる私たちの喫緊の使命ですね。

               (牧野尚一:H30.02.21)

2018年2月16日 (金)

生長の家講習会のご案内(2月・3月)

 「生長の家」の教えとはどのようなものなのか知りたい、学びたいとお考えの方は、是非「生長の家講習会」にご参加ください。全国59会場で2年に1度開催される講習会では、生長の家総裁・谷口雅宣先生、生長の家白鳩会総裁・谷口純子先生のご講話を直接聴くことができます。また、信徒の体験談や聖歌の合唱なども行われて、1日ゆったりと教えを学ぶことができます。

 開催教区以外の方、信徒でない方も自由に参加できます。日時と会場をご確認の上、ぜひご参加ください。

◆講習会日程◆

◎2018年2月18日(日) 東京

 調布市 メイン会場  生長の家本部練成道場(飛田給)
 府中市 府中会場   生長の家東京第二教化部会館
 所沢市 所沢会場   くすのきホール
 渋谷区 原宿会場   明治神宮会館
 大田区 大田会場   大田区産業プラザPiO
 文京区 新大塚会場 生長の家東京第一教化部会館

※上段3会場については生長の家東京第二教化部へ、下段3会場については生長の家東京第一教化部へお問い合わせください。

◎2018年3月18日(日) 栃木・福島

 宇都宮市 メイン会場  栃木県総合文化センター
 那須塩原市 那須会場 那須塩原市三島ホール
 真岡市 真岡会場    スパリゾートリブマックス
 佐野市 佐野会場    佐野市文化会館 小ホール
 須賀川市 福島会場   須賀川市文化センター

※上段4会場については栃木県教化部へ、 下段1会場については福島県教化部へお問い合わせください。

※時間はいずれも午前10時〜午後2時です。

※詳細は、最寄りの生長の家教化部へお問い合わせください。

◆講習会テキスト◆

 ■谷口雅春先生『如意自在の生活365章』

 ■谷口雅宣先生『宗教はなぜ都会を離れるか?——世界平和実現のために』

            (牧野尚一:H30.02.16)

2018年2月10日 (土)

「生長の家」に入会するには

 「生長の家」に入会するには、以下の「生長の家ホームページ」に詳しく出ています。あなたも、ぜひ「生長の家」へ!

  ・生長の家に入会するには

                 (牧野尚一:H30.02.10)

2018年2月 7日 (水)

ただ善のみを為せ

1.ただ善のみを為せ

 前生長の家総裁・谷口清超先生には沢山のご著書がありますが、その一冊に『伸びゆく日々の言葉』(日本教文社刊)があります。
  1月1日から12月31日まで、珠玉の真理のお言葉が綴られた366日の箴言集です。(2月29日もあります)

 二月の章は「くにの実相を観る」です。

 「二月八日 ただ善のみを為せ」には、次の様にあります。

『神は悪を作り給わない。善のみが実在する。それ故、人を傷つけたり、奪ったり、恨んだり、呪(のろ)ったりするような思いは、全て神意に反するから、実在しない。実在しないものは無いのである。ただ仮に現実界にあるように見えているだけであるから、それに引っかかるな。人でも国家でも、ただ善のみを為せばよいのだ。それで必ず幸せになり、豊かになる。国家が繁栄するのも、これだけでよい。それ故、他国が悪いといって恨んだり、某々国を憎んだりする必要は全くないのである。』(pp.46-47)

  これが「生長の家」の唯神実相観です。
 神様の創造された「実相世界」には悪がない、善一元、善独在という教えです。
 従って、不調和がなく、「神と自然と人間が大調和した世界」のみがある、という訳です。

 これを信じ、全ての人、全ての自然、全ての国々を礼拝するが「生長の家」なのです。
 現象、即ち、五官で認識する世界には悪があったり、不完全があるように見えるとおっしゃるかもしれませんが、「現象はない」というのが「生長の家」の教えです。

 「夢」をご覧になるでしょうが、目が覚めれば消えてしまいます。現象は夢と同じで、人が勝手に描いているだけで、「実在」するものではありません。

 生長の家創始者・谷口雅春先生も、そのご著書『聖経版 真理の吟唱』(日本教文社刊)の「金剛不壊の真身を自覚する祈り」に、こう書かれています。

『神は唯一の実在であり給う。神は唯一の創造主にてあり給う。神は善にてありたまう。善なるものより、悪なるものは生ずることはあり得ないのである。それゆえに神の造りたまうた一切の存在は善なのである。一切は善であるから、悪なるものの存在はないのである。病いは悪であるから存在しないのである。罪は悪であるから存在しないのである。一切の悪因縁および悪業は存在しないのである。もし一切の悪因縁および悪業が存在するかのように見えるならば、それは夢にすぎないのである。もし病いや老衰や貧乏や不幸が存在するかのように見えるならば、それは幻にすぎないのである。夢よ覚めよ、幻よ消えよ。すでに真理の光はあなたの心に射し来って夢は覚め、幻は消えたのである。夢が覚め幻が消え、あとに残るものは神の造り給うた本当の完全にして善なる実在だけなのである。(以下略)』(pp.283-284)

  神様は、無限の智慧、無限の愛、無限の生命、無限の供給、無限の歓喜、無限の調和であり、「真」そのもの、「善」そのもの、「美」そのものです。

 それゆえに、これ以外のものは、本来“無い”という訳です。
 現象がある、不完全があると思い込んでいる“夢”から醒めたら、そこに真一元、善一元、美一元の世界のみ独在していることが分かります。

2.善一元の世界の独在

 谷口雅春先生『聖経版 真理の吟唱』(日本教文社刊)の「地上に天国を成就する祈り」にも、こう書かれています。

『(前略)進歩、向上、前進、発達……神の無限内容は自分を通して実現すべく約束されているのである。神は無限の善であり給う。神は普遍であり給う。それゆえに善は普遍であり、到る処(ところ)に善は充ち満ちているのである。到る処に善が充ち満ちているから、反対のもの二つは同時同処に存在することはできないのであるから“悪”は決して存在しないのである。神の“善”はわが内に在り、われを取り巻いて到る処に“善”は存在するのであるから、私たちは実際に“悪”に触れることはできないのである。すなわち“悪”は存在しないのであって、ただそれは観る人の錯覚にすぎないのである。“悪”と見えるものは、実は、自分の心の投影によって賦彩(ふさい)されたる影であって、あたかも地上から地球自身の影を見て月が蝕(しょく)していると見るようなものである。』(p.309)

  人は「神の子」であり、完全円満、永遠不滅、無限生長、無限創造の存在です。
 それは、「神様」が完全円満、永遠不滅、無限生長、無限創造のご存在だからに他なりません。

 従って、神様の創造された「実相世界」には悪がなく、善一元、善独在の世界です。不調和などありえず、「神と自然と人間が大調和した世界」のみがある、という訳です。

『宇宙全体は、“善”なる神の生命と愛と歓喜とに満たされているのである。神は私たちに歓びの生命を与え給うたのである。それゆえに私たちの心の内には、神を称える歓びの讃美の声が、大濤(おおなみ)のように湧き起ってくるのである。
  歓びの満つるところに不平はないのである。そこにはただ感謝のみがあるのである。感謝のあるところに、神と心の波長が合い、神があらわれるのである。神があらわるれば、すなわち“善”があらわれ、義があらわれ、調和おのずから実現し、地上に天国浄土が建立されるのである。この事を神に感謝いたします。』(pp.301-310)

 「宇宙全体が“善”なる神の生命と愛と歓喜とに満たされている」(!)
 これが「生長の家」の根本的真理です。ここに立つとき、すべてが明らかとなります。
 神は私たちに「愛」と「歓び」の生命を与え給うたのですから、私たちの心の内には、ただ「愛なる神」を称える「歓び」の讃美の声のみが、大濤(おおなみ)のように湧き起っています。

  「歓び」のあるところ不平はなく、そこにはただ「感謝」のみがあります。
 「感謝」のあるところに、神と心の波長が合い、神があらわれます。
 すなわち、神があらわるれば、「善」があらわれ、「義」があらわれ、「調和」おのずから実現し、《地上に天国浄土が建立される》のです。

 「悪はない」
 素晴らしい真理ですね!
 ただ、「善」のみを実行いたしましょう。
 ただただ、全ての人、全ての自然、全ての国々を礼拝いたしましょう。

 生長の家総裁・谷口雅宣先生のご著書は、この深遠な「生長の家」の真理を分かりやすくお説きいただき、更に「生長の家」の真理を生活に今どう実践して行くべきかをご教示いただいています。21世紀の人類のあるべき姿を明確に指し示していただいている先生のご著書をぜひ熟読・味読いただいて、 「生長の家」の果たすべき使命に邁進してまいりましょう。

『今こそ自然から学ぼう――人間至上主義を超えて――』(生長の家刊)

『次世代への決断――宗教者が“脱原発”を決めた理由――』(生長の家刊)

『生長の家ってどんな教え?――問答有用、生長の家講習会』(生長の家刊)

『宗教はなぜ都会を離れるか?――世界平和実現のために――』(生長の家刊)

               (牧野尚一:H30.02.07)

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