2017年9月15日 (金)

かみをたたえて

 前生長の家総裁・谷口清超先生には沢山のご著書がありますが、聖歌も沢山お創りくださいました。 『生長の家 聖歌歌詞』(日本教文社刊)に収録されていますのでご覧ください。
 今日は、その中の「かみをたたえて」をご紹介します。

  「かみをたたえて」は、3番から構成されています。

一、いのちある すべてのものは
  うつくしく きよくただしく
  えいえんに いきんとおもい
  おたがいに たすけあいつつ
  あたえあう ちえとあいとに
  つつまれて かみのみくには
  やすらかにあり
  まことなるかな ありがたきかな

 生命(いのち)ある全てのものは神様の創造になるものですから、それはもうすべて、美しく、清く、聖く、浄く、正しい存在ですね。

 美しからざるもの、清らかでないもの、正しくないものなどは、神の創造されたものではありませんから、それは、無いもの、という事になります。
 神の創造された良きもののみが実在する、これが「生長の家」の根本的な考え方です。

 その存在は、完全円満であり、永遠不滅、無限生長、無限創造の生命的存在ですから、互いに助けあい、互いに与えあう存在です。
 神の無限の智慧と、無限の愛とに包まれて、神の御国(実相世界)は、まさに、今、ここに、無限の平安とともにある、というわけです。

二、いのちなる あたらいのちを
  ことさらに きずつけあいて
  うばいあい いつわりをいう
  ひともあり ちえとあいとを
  みうしなう このよのすがた
  いかにしも かみのみくにに
  ありえざるなり
  かみのつくりし ことにしあらず

 人間の五官(目、耳、鼻、皮膚)では、認識に限度がありますので、完全に神の世界(実相世界)を認識できません。
 争う人があるように見えたり、傷つけあい、奪いあい、偽りをいう人があるように見えたりするかもしれませんが、そのような神の智慧と愛とが見失われた世界が実在するように見えることがあるかもしれませんが、実はそのような姿は“本物”ではありません。

 神が「不完全」を創りましたら、それは変えようもありませんが、神は、完全円満、永遠不滅、無限生長、無限創造の完璧な世界のみを創られたのであって、仮に不完全な世界があるように見えたとしても、それは、人が白昼夢を見ていると同様で、神様の創られた世界ではありません。

 これが、 「生長の家」の唯神実相論です。唯、神様の創造された世界のみが独在する、という教えです。

三、かみしらず かみつくらざる
  げんしようは すべてむなしき
  かりのもの いつしかきゆる
  さだめなり かみつくりたる
  ちえとあい いのちよろこび
  しんじつの よきもののみの
  みちあふるるは
  じつざいにして ありとおすなり

 人間の五官(目、耳、鼻、皮膚)で認識する世界、これを「現象」といいます。「神の子」は、神から全能の権能(ちから)を継承していますので、心の力で仮の姿、表現の世界を作り出すことができます。それが、「三界唯心の所現」といわれる「現象世界」です。

 争う心のある人には争う世界が、奪う心のある人には奪いあう世界があるかのように見えるのですが、それは夢の世界と同じで、本当にある世界ではありません。神様の識らない、神様の創られた世界ではありませんので、「実在」でない以上、夢が醒めれば消えてしまうと同じく、いずれ消えゆく架空の世界に過ぎません。

 神様の創られた、無限智慧、無限愛の世界は、生命(いのち)あふれ、歓喜に満ち、無限供給、無限調和の、真・善・美の満ちあふれる世界で、それは今、ここに活気凜々として存在し、そして不滅の実在として永遠に無限生長し、無限創造してあり通すとお教えいただいています。

 この宇宙創造の唯一絶対神なる神は、同時に私たちの内に宿り、私たちの内なる声(良心ともいいます)となって私たちを導いてくれます。与えあい、助けあう神のみ声を一人一人が実践する時、そこにたちまち智慧と愛とに満ちた「神の国」、天国・極楽浄土、仏国土が現成いたします。

 このお歌を歌う時、神様の無限の大愛をしみじみと感じさせていただいています。

 さて、ここで歌われている宇宙創造の唯一絶対神、 「生長の家」の信仰するこの無限智、無限愛、無限生命、無限供給、無限歓喜、無限大調和の大神様につきまして、生長の家創始者・谷口雅春先生は、そのご著著『善と福との実現(新版)』(日本教文社刊) で、次の様に讃えておられます。(初版は、昭和23年12月20日。)

 『第十章 生長の家の神は「根本中」也』の本文は、次のように書き出されています。

『戦後吾等が得た恵福は、国民が信教の自由と言論の自由とを恢復(かいふく)し得た事である。されば私は今後方便に偏せず、真実を説くことが出来る事になり、愈々真理開顕のときが来たのである。』(p.223)

 言論の自由が阻まれていた戦時体制下の制約を解かれ、誰に憚ることなく自由に真理を説ける時期が来たことのお喜びの中で、谷口雅春先生は続いてこう書かれています。

『今まで吾等は天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)と阿弥陀とゴットと天地の創造主とを、同一の本源唯一神(ゆいいつしん)なる生長の家大神(うちゅうぜんたいのおおかみ)の別名であることを『生命の實相』で説いて来たのであり、老子の説く如く「道」(コトバ即ち神)は本来無名であり、神名又は仏名にとらわれて、他宗排撃の固陋(ころう)に陥ってはならない、万教は互に手を繋いで、唯一の神を信じ讃えようではないかと説いて来たのである。』(p.223-224)

 唯一絶対の存在(根源神・大生命)を「生長の家」では、 「生長の家大神」と呼称していますが、

 天之御中主神 = 阿弥陀 = ゴット = 天地の創造主 = 同一の本源唯一神 = 生長の家大神

と、すべてが同一であることがここに明確に示されてあります。

『天地の創造主とを、同一の本源唯一神(ゆいいつしん)なる生長の家大神(うちゅうぜんたいのおおかみ)』と書かれて、生長の家大神とは「うちゅうぜんたいのおおかみ」で、天地の本源唯一神であるとご教示いただいています。

 まさに「生長の家」が万教帰一である由縁ですね。名称に差違はあっても、すべては同一のご存在である、というわけです。これが理解できれば、たちまち世界の人々は互いに互いを“神の子”同士として讃え合い、手を結び合い、忽ちにして今、此処に、天国・極楽浄土が現出いたします。

 絶対が二つも三つもあるはずはなく、それぞれの宗教宗派が尊崇する対象は、実はすべて「一」なる存在であることは、論理的に考えてもこれ以外にはあり得ませんね。
 それぞれの方々が尊崇する名称や、真心を顕しやすい礼拝の形式等、それは皆それぞれに尊いのですから、その名称、礼拝の形式等はそれぞれ大切にしてゆけば良いのです。そして、相互にそれを尊重し合いながら、「一」なるご存在に感謝してゆけば良いわけです。

 「天之御中主神」につきましては、 『善と福との実現(新版)』に次のようなご説明があります。

『「天(あま)」は至大天球なる大宇宙を指し、御中(みなか)の「御(み)」は美称、「中(なか)」は「中庸(ちゅうよう)」に「喜怒哀楽(きどあいらく)の未(いま)だ発せざるは之を『中(ちゅう)』と謂う」とあるところの「中」である。喜怒哀楽とは一切の「気指(きざ)し」(萌シ)を四語にて代表せしめたのである。一切の萌(きざ)シの現れいでる本源を『中(ちゅう)』と云うのである。されば中庸には「中なる者は天下の大本(たいほん)也」とある。即ち|-(たてよこ)十字に交叉して一切の時間空間の発現する中心の一点が「中」であるのである。』(p.225-226)

 「天之御中主大神」は、このようにまさに宇宙創造の大神様そのもののご神名でいらっしゃいます。

 さて、 『古事記』の冒頭は次のようにあります。

『天地(あめつち)の初發(はじめ)の時、高天原(たかあまはら)に成りませる神の名(みな)は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、次に高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、次に神産巣日神(かむむすびのかみ)、この三柱(みはしら)の神は、みな獨神(ひとりがみ)成りまして、身(みみ)を隱したまひき。』

 天之御中主大神、高御産巣日神、神産巣日神がみな獨神(ひとりがみ)で「身(みみ)を隱したまひき」とありますが、 谷口雅春先生著『限りなく日本を愛す』(日本教文社刊) には、次のように書かれてあります。(原文は旧漢字旧仮名遣い)

『さて、この高御産巣日神と神産巣日神とは天之御中主神と一体なのであります。だから『この三柱の神は並独神成りまして、身(みみ)を隠したまいき』とあります。「身を隠す」とは姿形が見えないと云う意味で幽之幽(ゆうのゆう)なる神であります。所がこの三柱の神様は「独り神」だというのは、決して「独身の神様」と云うような意味ではないのであって、絶対唯一の神様であるという意味であります。決して相対的な神様じゃないのであって、絶対唯一の神様、独一真神(どくいつしんしん)であります。たった一つしかないから絶対の神様なのであります。』(p.166)

 神は五感、六感を超越していますので、姿形はみえません。
 しかも、一即多、多即一で、唯一絶対神が陰陽に分化して働きますが、唯一絶対神であることには変わりないので、別々の神様ではありませんので「独り神」と書かれています。

 そのお働きについては、谷口雅春先生著『限りなく日本を愛す』に次のようにあります。

『天之御中主なる「主(しゅ)」にして「中(ちゅう)」、「中」にして「主」なる神は、そのままでは創造が完成しないのである。それは「陽の原理」(タカミムスビ)と、「陰の原理」(カミムスビ)とに剖判(ぼうはん)し出でたのである。「タカ」は高く、タクましく、タケ高(たか)く、猛(たけ)しく聳(そび)ゆる原理であり、男性原理を象徴するのである。「カカ」は「幽之(かすかの)又幽(またかすか)」である。カカミムスビとカが重複するので、一字を約して、単にカミムスビとしたのであると私は解釈しているのである。「カ」の字は、カスカ、カゼ、カスミ、カクレル、カゲなどの語字によって明かなるが如く、内に幽玄にカクれている原理であり、それは陰(かげ)であり、陰(いん)である。中心の「一」は剖判(ぼうはん)して陰陽と分れ、再び、陰陽が交流して、創造がいとなまれるのである。陰陽は別個の如くであるけれども、本来一体であるのである。本来一体でありながら、その職能や働きの分担を異にするのである。』(91p)

 神の創造は、陰陽分化して営まれ、「ムスビ」の原理、「愛(四無量心)」の原理そのものでありますね。
 「神は無限の智慧」であり「神は無限の大愛」ですので、そのムスビの原理に従って、そこから無限の生命、無限の供給、そして無限の歓喜、無限の調和が自ずから成就するというわけです。

 私たちの「愛(四無量心)」の感動・歓喜は、天之御中主神及び陰陽分化しての高御産巣日神、神産巣日神のお働きの反映と申せましょう。
 この三神を「造化の三神」とも申し上げますが、宇宙創造の唯一絶対神なる、天之御中主大神様、高御産巣日神様、神産巣日神様に、あらためて深甚の感謝を捧げさせていただきます。

 天之御中主大神様、高御産巣日神様、神産巣日神様の「ムスビ」のお働きにつきましては、生長の家総裁・谷口雅宣先生がそのご著書『宗教はなぜ都会を離れるか?――世界平和実現のために』(生長の家刊)で、 『「ムスビ」の働きで新価値を創造しよう』(pp.289-305)に詳しくご教示いただいていますので、ぜひ熟読・味読ください。

            (牧野尚一:H29.09.15)

徐々に秋・・・

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 以上は、まきば公園(北杜市大泉町西井出)と、公園から見えた雲の上の富士山です。


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 東沢大橋(北杜市大泉町西井出)です。

 徐々に秋・・・

            (牧野尚一:H29.09.15)

2017年9月13日 (水)

生長の家の歌

 生長の家創始者・谷口雅春先生には沢山のご著書がありますが、聖歌も沢山お創りくださいました。 『新版 生長の家聖歌歌詞』(日本教文社刊)に収録されていますのでご覧ください。
 今日は、その中の「生長の家の歌」をご紹介します。

「生長の家の歌」は、4番から構成されています。

(一)基教讃歌
(二)仏教讃歌
(三)古事記讃歌
(四)万教帰一讃歌

 キリスト教、仏教、神道の教えを歌で表現し、最後にこれらの宗教が皆、唯一絶対の宇宙の創造主から説かれた共通の教えであると讃えておられます。

(一)基教讃歌
 あまつくに いまここにあり
 我(われ)ちちの みもとにゆけば
 なんじらのうちに きたると
 十字架に かかりしイエスは
 のたまいぬ あわれ世のひと
 十字架は にくたいなしの
 しるしなり この肉体を
 クロスして 我(われ)神の子とさとりなば
 久遠(くおん)にいのちかがやかん
 久遠にいのちかがやかん

 あまつくに、天国は、今、ここにある!
 それも遠く天空彼方にあるのではありません。

 イエス・キリストは「神の国は此処に見よ、彼処に見よと云う風にあるのではなく、汝の内にある」(「ルカ伝」第17章21節)

 という訳です。わが内に、神の国があり、神が在(いま)し、イエス・キリストが在すのです。

 事実、イエス・キリストはこうもおっしゃっています。
 「われ往きて汝等に来るなり」(「ヨハネ伝」第14章28節)

 わが内に、神が、イエス・キリストが在(いま)すのですから、私の行くところ悉(ことごと)く神の国、天国・極楽浄土です。
 すべての人が、神の子・仏の子ですから、ここがこのまま天国・仏国土です。

(二)仏教讃歌
 衆生劫(しゅじょうこう) つきてこの世の
 焼くときも 天人みつる
 我が浄土 安穏なりと
 釈迦牟尼(しゃかむに)の 宣(の)りたまいしは
 現象の この世かわるも
 実相の 浄土はつねに
 今ここに 久遠ほろびず
 燦々(さんさん)とまんだらげ降り童子(どうじ)舞う
 光輝く世界なり
 光輝く世界なり

 『法華経』如来寿量品・自我偈にありますとおり、目に見える現象の世界が仮に朽ちることがあっても、それは白昼夢と同じで、現象世界そのものが最初から表現の世界で仮の世界、無の世界ですから、その奥にこそ、金剛不壊の実相世界が、常に、今も厳然として存在している、というわけです。

 釈迦牟尼世尊は、 『法華経』如来寿量品・自我偈に、次の様に説かれています。
 『衆生劫尽きて、大火に焼かるると見る時も、
  我(わ)が此土(このど)は安穏(あんのん)にして天人常に充満せり
  園林(おんりん)諸(もろもろ)の堂閣(どうかく)、種々の宝もて荘厳(しょうごん)せり
  宝樹華果(ほうじゅけか)多くして 衆生遊楽(ゆらく)する所なり』

  光一元の、「神・自然・人間の大調和した世界」が、既に、今、ここにある!
 ありがたいことですね。

(三)古事記讃歌
 天津日子(あまつひこ) 火遠理(ほおり)の命(みこと)
 現象の わなにかかリて
 海幸(うみさち)を 我の力にて
 釣りたまう されどつりばり
 失いて まがれる鈎(はり)に
 まようとき しおづちの神
 あらわれて めなしかつまの
 み船にて 龍宮城に導きぬ
 龍宮城はいま此処(ここ)ぞ
 龍宮城はいま此処ぞ

 『古事記』に出ている、山幸彦(火遠理命)と海幸彦(火照命)の物語は有名ですね。
 火遠理命(ほおりのみこと)が、兄の火照命(ほでりのみこと)の釣り針を借りて海の幸を釣ろうとしましたら、一匹も釣れないどころか、釣り針をも魚に持って行かれてしまいました。
 火照命がどうしてもその失った針を返せというものですから、火遠理命が海辺で泣いておりましたら塩椎大神(しおつちのおおかみ)が現れて、あらゆるものが整っている龍宮城(実相世界)へと導いていってくれたというお話です。

  めなしかつま(無目堅間)とは、無時間・無空間の絶対の世界(実相世界)の事で、神想観をしますと、忽ちその実相世界(龍宮城)へと入ることができます。わが内なる実相世界が、今、ここに、あるのです。

(四)万教帰一讃歌
 しおづちのうみのそここそ
 創造の本源世界
 汝らの 内にあリとて
 キリストが のりたまいたる
 神の国 この世焼くるも
 亡びずと 法華経の説く
 実相の 浄土何(いず)れも
 ひとつなり 十字まんじと異なれど
 汝(な)のうちにある天国ぞ
 汝のうちにある天国ぞ

 無限供給の龍宮城も、キリストの説く「神の国」も、法華経の説く天人常に充満し、宝樹華果(ほうじゅけか)多くして衆生遊楽(ゆらく)する世界は、皆「一つ」で、わが内に在(あ)る、という訳です。

 「神の国(実相世界)」がどこか遠い所に在ったら行くのに大変ですが、各自の内に在るというのですから、ありがたいですね。皆、「一つ」の世界に在る、という訳です。
 神我一体、自他一体の世界、それが「実相世界」で、それはまさに、今、ここに、貴方の内に、私の内にあるのですから、ただただ感謝合掌です。

 「実相世界」に参入できる「生長の家」の座禅的瞑想法である「神想観」の詳しい実修法につきましては、下記の書籍をご参照ください。

生長の家創始者・谷口雅春先生『新版 詳説 神想観』(日本教文社刊)

※このご著書の中には、龍宮城(実相世界)に入る「如意宝珠観」という神想観のご紹介もあります。(pp.121-130)
 『欲するもの好ましきもの自(おのず)から集り来たり、欲せざるもの好ましからざるもの自から去る。』(p.129)という、素晴らしい神想観です。

 塩椎(しおつち)の大神につきましては、
『塩椎の神と言う場合には「し」というのは水であります。(中略)「ほ」というのは火であります。(中略)「つ」はつながり。陰陽がつながり結び合って一切のものを生み出すところの本源の神という意味で塩椎の神と、こう言われているのであります。』(pp.122-123)
  とあります。
  陰陽がつながり結び合って一切のものを生み出すところの、 「宇宙唯一の絶対の本源神」という意味で「塩椎の神」というわけです。
  「如意宝珠観」を実修して、無限創造の本源世界(実相世界)の素晴らしさをご堪能ください。

前生長の家総裁・谷口清超先生『神想観はすばらしい』(日本教文社刊) 

生長の家総裁・谷口雅宣先生『生長の家ってどんな教え?』(生長の家刊)

 なお、生長の家総裁・谷口雅宣先生、生長の家白鳩会総裁・谷口純子先生共著『“森の中”へ行く』(生長の家刊)の『第六章 講演録「自然界に“四無量心”を行じる』では、谷口雅宣先生が「四無量心を行ずる神想観」の新バージョンをご紹介いただいています。

 『谷口雅春先生のオリジナルは、主として人類を対象にしたものですが、この部分は全く変えないで“二番 を作ったわけです。』(p.204)

 この書の巻末にはその「四無量心を行ずる神想観」の全文(pp.219-222)が収録されています。

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四無量心を行ずる神想観

 われ今五官の世界を去って実相の世界に入る。
 神の無限の智慧の海、神の無限の智慧の海、神の無限の智慧の海……
 神の無限の愛の海、神の無限の愛の海、神の無限の愛の海……
 神の無限の生命の海、神の無限の生命の海、神の無限の生命の海……
 神の無限の供給の海、神の無限の供給の海、神の無限の供給の海……
 神の無限の悦びの海、神の無限の悦びの海、神の無限の悦びの海……
 神の無限の調和の海、神の無限の調和の海、神の無限の調和の海……

 (この最初の基本部分に続いて、次のように唱えます)

 わが心、神の無限の愛、仏の四無量心と一体にして、虚空に広がり宇宙に満ち、すべての衆生をみそなわして、その苦しみを除き、悩みを和らげ、楽を与え、喜びを与えんと欲するのである。

 わが心、神の無限の愛、仏の四無量心と一体にして、さらに虚空に広がり宇宙に満ち、地球のすべての生命と鉱物の一切を見そなわして、その苦しみを除き、楽を与え、多様性を護り、喜びを与えんと欲するのである。

 (これらの二つの言葉を繰り返して念じた後で、次のように唱えます)

 一切衆生の苦しみは除かれ、悩みは和らげられ、楽は与えられ、喜びは与えられたのである。ありがとうございます。ありがとうございます。

 すでに、地球のすべての生命の苦しみは除かれ、楽は与えられ、多様性は護られ、喜びは与えられたのである。ありがとうございます。ありがとうございます。

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 この「神の無限の智慧の海、神の無限の愛の海、神の無限の生命の海、神の無限の供給の海、神の無限の悦びの海、神の無限の調和の海」と讃えられている「実相世界」が、即ちわが内なる龍宮城であり、キリストの説く「神の国」、法華経の説く天人常に充満し、宝樹華果(ほうじゅけか)多くして衆生遊楽(ゆらく)する世界です。

 大変素晴らしい神想観で、私は毎朝、 「四無量心を行ずる神想観」を実修させていただいています。

 遠くの手の届かない所に「神の国」や「天国」、「仏国土」があるのではありません。また深海の奥底に「龍宮城」があるのでもありません。
 それは、今、まさに、ここに、在るのです。
 しかし、人間の五官(目、耳、鼻、皮膚、口)の感覚器官ではそれは認識できません。目は紫外線も赤外線も認識できないと同様に、今、ここに在る、「実相世界」も認識できません。

 がしかし、人間は「神の子」ですから、 「神想観」の実修によって、「龍宮城」が、「神の国」や「天国」が、「仏国土」が今、ここに在ると認識できます。
 そして、神の導き(良心の声)のままに生きる時、たちまち貴方の周囲に「神の国」が現成いたします。 「神想観」の妙味をご堪能ください。

                (牧野尚一:H29.09.13)

2017年9月 8日 (金)

自然に恵まれて

 前生長の家総裁・谷口清超先生には沢山のご著書がありますが、その一冊に『伸びゆく日々の言葉』(日本教文社刊)があります。
  1月1日から12月31日まで、珠玉の真理のお言葉が綴られた366日の箴言集です。(2月29日もあります)

 九月の章は「自然に恵まれて」です。
 「九月三日 いのちの流れ」には、次の様にあります。

『山は不動であると思うのは、現象にとらわれた見方である。現象界の凡ゆるものに、不動はなく、必ず変易し、移り行くのである。大陸もプレートも移動するし、月も太陽も亦(また)刻々変化する。それ故「山は流れる」のであり、「河も流れる」のである。しかもその動きは、単なる現象の変化だけではなく、その奥の実相のいのちの流れである。それは活発ないのちの奔流であり、母なるいのちの現成である。それ故、山は大切ないのちであるから、これを殺傷し汚染してはならない。山は人々に救いと安らぎを与えてくれる仏であると悟れ。』(p.199)

  大陸も、プレートも日々微少ですが動いています。しかし、そういう現象の動きの奥に、「いのち」の動きがある、とご教示いただいています。即ち、山も「いのち」であり、大自然そのものも「いのち」である、というわけです。

 「物質、物質にあらず、これを物質という」
 「山、山にあらず、これを山という」
 「大自然、大自然にあらず、これを大自然という」

 物質も、山も、大自然も、皆「いのち」の展開、「いのち」そのものです。
 すなわち、今、ここ、「一大生命世界」です。

 「九月八日 物言わぬ物への感謝」には、次の様にあります。

『今地球は次第に酸素が少くなり、炭酸ガスが増えつつあるという。しかしこれでは地球は人間の住む場所として不適当になるだろう。太古の地球は炭酸ガスに蔽(おお)われていたが、植物が生(は)えて酸素が作られた。もし植物がなげれば、地球は再び太古の状態にかえる他はないのである。人間にとって、植物こそは最大の恩恵者である。しかし果して人はどれだけ感謝し保護しているか。夏は緑の植物が実に有難い。雨も亦(また)吾々に安息を与える。この有難い大自然に感謝し、物言わぬそれらの物に、限りなく感謝を捧げようではないか。』(pp.202-203)

 酸素がなくては、人は一瞬たりとも生きていけません。その酸素は、植物が、森が供給しているのです。この単純な事実に、私たちはどれだけ感謝を捧げているでしょうか。あらゆる動植物の頂点に人がいて、あらゆる動植物を意のままに出来ると錯覚していたら、それは大変な間違いです。

 人間中心主義に陥って、生態系を壊し、化石燃料に頼って地球を汚染し、大自然との調和を失って独善的に行き過ぎてはいけません。
 今ならまだ修正が間に合います。「神・自然・人間の大調和世界の実現」が大事ですね。

 「九月十九日 自然の力」には、次の様にあります。

『動物園で飼育されている動物は、代々繁殖を続けることが難しくなり、絶滅の方向に進んでいる。そのため、いかに手厚く保護し、食糧に気をくばっても、出生率が落ちてくるのである。ところが汚染されない自然の環境で生活している動物は、いかに環境条件がきびしくても、元気よく繁殖して行く。それは「自然」の中に生命の根元にふれる「神性」があるからだ。即ち「自然」とは、現象の自然の奥にある「実在の自然」であり、それを人間が限定すればする程、動植物は衰退に近づくのである。自然を大切にしよう。』(p.210)

 動物の生態を間近で見たい、というのは人として自然の情ではあるのですが、それが動物にとっては良いのかどうか、それが本当に動物を愛護することになるのかどうか、というのは難しい問題です。

 愛にも執着の愛があり、放つ愛という高い愛があります。やはり自然とつきあうには、できるだけ自然の営みを生かし、自然をそのまま残す、ということが基本ですね。

 「九月三十日 神秘なめぐり合い」には、次の様にあります。

『植物と動物は、お互いに助け合っている。植物の出す酸素を動物が呼吸し、動物の出す炭酸ガスを植物は利用する。新緑が芽生えるから、地球の酸素量が保全され、人間も動物も生活できるのである。太陽が照り、雨が降り、そして植物が育ち、動物も人間も生きて栄える。全てがお互いに助け合い、与え合い、補い合っているこの神秘なめぐり合いに、心から感謝しよう。すると限りないいのちの悦びが、新しい緑の枝や葉の一枚一枚から伝わって来る。その感動が強ければ強い程、人の心も悦びにふくらみ、幸せとなるのである。』(p.217)

  誠に自然界はよく出来ているものだと感嘆いたします。大自然は、無限の大愛なる神様の愛の表現そのものです。人間がこれを勝手に改変したり破壊してはなりません。「神・自然・人間の大調和の世界」の実現をこそ、目指しましょう。

 親様であり、無限の愛なる神様に、心より深く感謝申し上げます。

            (牧野尚一:H29.09.08)

2017年9月 1日 (金)

絶対神を信ずる

 前生長の家総裁・谷口清超先生には沢山のご著書がありますが、その一冊に『伸びゆく日々の言葉』(日本教文社刊)があります。
  1月1日から12月31日まで、珠玉の真理のお言葉が綴られた366日の箴言集です。(2月29日もあります)

 八月の章は「信仰の姿勢」でした。
 「八月三十一日 絶対神を信ずる」には、次の様にあります。

『信仰は一生涯の問題であり、人生最大の課題である。それをもしどうでもよいこととか、一種の趣味やサークル活動のテーマの如く考えていると大間違いだ。何故なら、人間は「何か」を信じていなければ生きられないからである。ある人は「物」や「金」を信じ、それによって幸せになれると信ずる。又ある人は神を信じ、又ある人はイデオロギーや学歴を過信し、それが“絶対”であるかの如く錯覚する。しかし同じ信仰にもピンからきりまであるから、信ずるならば「絶対神」を信ずるがよい。神はイデオロギーでも愛国運動でもなく、金や物や学歴、職業でもない。現象の一切をこえた「実相」の「絶対者」である。』(p.196)

 素晴らしいですね!

 宇宙の唯一絶対神を信ずる信仰、これが「生長の家」の信仰です。
 そして、世界中のすべての歴史的宗教の信仰対象もまた、名称に関わらず宇宙唯一の絶対神への信仰に他ならなかったことに気づいた時、たちまちにして世界の平和が実現いたします。

 すべての人と、大自然の、大宇宙の生みの親様こそ、この宇宙唯一の絶対神である事を、立教以来説き続けているのが、万教帰一・万教包容の真理を説く「生長の家」であり、それがまた「生長の家」の使命です。

 従いまして、生長の家創始者・谷口雅春先生生長の家総裁・谷口雅宣先生 のご著書にも絶対神を信ずる事の大切さが、随所に詳しく書かれています。下記書籍も是非熟読・味読ください。

・生長の家創始者・谷口雅春先生著『新版 善と福との実現』日本教文社刊
 『第十章 生長の家の神は「根本中」也』(p.223-228)

・生長の家総裁・谷口雅宣先生著『宗教はなぜ都会を離れるか?――世界平和実現のために』生長の家刊
 『第二部 新しい文明の実現を目指して
   第四章 「ムスビ」の働きで新価値を創造しよう』(pp.289-305)

 私たちの親様なる宇宙唯一の絶対神は、無限智、無限愛、無限生命、無限供給、無限歓喜、無限調和のご存在です。

 「神は愛なり」のコトバどおり、神は無限の大愛そのものであり、四無量心(慈悲喜捨)そのものであり、産巣日(ムスビ)の働きそのものです。

 親様であり、無限の愛なる神様に、深く感謝申し上げます。

            (牧野尚一:H29.09.01)

2017年8月25日 (金)

貴重な存在

 前生長の家総裁・谷口清超先生には沢山のご著書がありますが、その一冊に『神性を引き出すために』(日本教文社刊) があります。

 この書に「貴重な存在」という小見出しがあり、次の様にあります。(pp.101-103)

『人はよく「私には、人に与えるようなものは何もない」と思ったり、言ったりするが、ナイのではなくアルのだ。それを認めることだ。例えば赤ん坊がニコッと笑うと、周囲の人は喜んでくれる。それと同じように、朝あなたが家族に「ニコッ」と笑って「お早う」と一言あいさつするだけでも、家族に喜びを与え、家庭の雰囲気をとても明るくする。あいさつぐらいできない人はいないのに、いつもムッツリをきめこんで無表情でいると、明るい家庭はできないし、あなた自身も愉快になれないのである。』

 明るい家庭調和は、こんなに簡単なことでできますね。笑顔で挨拶するだけで、家庭も、学校も、職場も、社会も皆、生き生きと、明るく、楽しくなります。あなたの笑顔が、世界を変えてしまいます。あなたこそ、家庭の、学校の、職場の、社会の、世界の“光”です!

『教室や待合室などで、名前を呼ばれたとき、ハイと返事をすることぐらい、誰にでもできるのに、それをしないで、ノソッと立ってゆく人もいるが、これでは暗い雰囲気作りをやっているようなものだ。ハイくらいは誰にでも言える。それをやりつけていると、いつの間にか気持のよい挨拶ができるようになり、「ありがとう」も言えるようになり、「行ってきます」とか「ただ今」と、往き帰りの挨拶もできるようになるのだ。』

 犬やネコ、小鳥でも呼ぶと返事をしますので、万物の霊長たる人間が返事をしないのはおかしいですね。それも「ウン」とか「スン」ではなく、やはいり明るく、元気よく「ハイ」と返事をしましょう。聞く方も嬉しいですし、言う方もこれほど気持ちの良いことはありません。

 「ハイ」の精神は、宗教的な深い悟りとも密接に関係しています。
 「ハイ」の出来る人は、実は宗教的達人です。

『すると人々はみな喜んでくれる。それはあなたが「いてもいなくてもよいような存在ではない」証拠だ。とても尊いいのちであり、人格的存在として認められているからだ。従つて当然自分自身も、自分の尊さを認め、さらに家族や他人の尊さを認めるならば、あなたはますます自分自身の値打ちを知り、さらにあなたの中の色いろな才能を引き出してゆくことができるのである。』

 あなたの存在も、私の存在も、天地一切の存在も、すべて「貴重な存在」です。

 「ハイ」の精神について言えば、私も青年時代に、両親に「ハイ」を実践しようと決意したことがあります。
 生長の家創始者・谷口雅春先生に天降った33の神示の中に「大調和の神示」がありますが、次のようにあります。

『汝ら天地一切のものと和解せよ。天地一切のものとの和解が成立するとき、天地一切のものは汝の味方である。天地一切のものが汝の味方となるとき、天地の万物何物も汝を害することは出来ぬ。(中略)
われ嘗(かつ)て神の祭壇の前に供物(そなえもの)を献ぐるとき、先づ汝の兄弟と和せよと教えたのはこの意味である。汝らの兄弟のうち最も大なる者は汝らの父母である。神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ。天地万物と和解せよとは、天地万物に感謝せよとの意味である。(以下略)』

 両親に、絶対感謝の「ハイ」を実践しようと決意し、実行しました。両親の言葉に逆らうことなく、すべて「ハイ」と実践しました。それから私の運命が好転し、百事如意、思うこと願うこと、ことごとく成就することとなりました。無論、一遍にではなく時間を追ってですが、欲するもの好ましきもの自ずから集まり来る、ありがたい人生となりました。両親への感謝、両親への「ハイ」の実践は、神様と波長を合わす黄金の鍵ですね。
 なお、生長の家創始者・谷口雅春先生に天降った33の神示は、

・谷口雅春先生著『御守護 神示集』(日本教文社刊)

 に収録されています。

 さて、 谷口清超先生著『神性を引き出すために』に戻りますと、

『つまりあなたは、“かけがえのない存在”であり、価値あるいのちであり、コップ一杯の水のような、そんなたよりない存在ではないということだ。こうして自分のいのちの尊さが分かると、他の人々の尊さも分かってくる。そしてそのような全ての人々のいのちが神において「一」であり、しかも「多」であることが分かるにちがいないのである。』

 自分が尊い存在であることが分かりますと、すべてが尊い神(大生命)の生命の展開であることが分かりますので、ただただ感謝・合掌・礼拝・讃嘆の日々となります。全人類ことごとく「神の子」であり、大自然は神の愛の展開ですね。「一即多」「多即一」の大生命世界が、今、ここに、展開しているのです。

『よく知られているように、キリスト教やイスラム教では“唯一神”を信じている。それに対して日本などは“多神教だ”と言われている。だからこの一神教と多神教とでは、道徳の基準がちがい、多神教ではバラバラな神を信じているので、両者の文明は一致しないという人がいる。
 しかし本当の神は「一即多」である。それは「神」が唯一絶対であると共に、「神の子」たるわれわれ多くのいのちも絶対的価値をもっているという信仰だ。一人一人が尊いのであり、仏様である。だから、一人のいのちでも無駄にしてはならないという「生命尊重」の考えが徹底されるのだ。』

 世界の歴史的な宗教は、すべてその時代や文化や民族に応じて説かれた「一」なる「神」の多種多様な教え(「多」)ですから、「一即多」「多即一」で、「生長の家」の万教帰一・万教包容の真理のとおり、みな「神」の御命の展開そのものですね。

 谷口清超先生著『神性を引き出すために』のご本の最後は、次の様に結ばれています。

『今世界は地球の温暖化によって海水がふえて水びたしになり、住めなくなる国も出て来そうだと言われている。これは人々が森や林を伐り開いて、畑や宅地にしたりして、その上石油や石炭をどんどん燃やして、排気ガスを出しすぎたからだ。すると地球がスッポリとビニール・ハウスのようになり、内部の温度が上がってきて、雪や氷がとけて海面が上昇する。そして小さな島国は水びたしになって住めなくなるのである。
 わが国もこうなっては大変だが、そうなる国もでてくるのだ。「外国だから、まあいいや」と放っておくような、自分勝手な国になってはいけない。だからゴミやカンカラを棄てたりものを燃やして平気でいてはいけない。なるべく排気ガスを少なくしよう。一番少ないのは、足で歩いたり、自転車をこいだりすることだが……
 とにかく物を大切にするのだ。それらを棄てると、木材や金属がムダになる。金属製品はそれを作るのに多くの資源を使い、その製造のために沢山のエネルギーを燃やしたり使つたりしている。だから何でも古くなったらポイと捨てることをやめ、大切に使おうではないか。そんな物を大切にする心が、本当の「大和心(やまとごころ)」であり、「神の子・人間」としての当り前の生き方なのである。ケチなのではありません。』(pp.179-180)

 今、「生長の家」が地球環境問題に取り組んでいるのも、この谷口清超先生のお言葉にもあるように、自分も人も、そして人も自然も皆一体という「一即多」「多即一」の真理から出発しています。一切の人、一切の大自然への感謝の思いから出発している宗教的な感謝と愛の実践であり、神の愛の顕れである大自然への敬虔な感謝と愛の思いが、地球環境問題への積極的な取り組みとなって展開しています。

 その具体的な取り組みを紹介しますと、2001年7月に生長の家本部事務所(当時東京・原宿)と生長の家総本山(長崎県西海市)がISO14001認証を取得しました。そして7年をかけて全国の生長の家教団の各事業所が順次認証取得し、2007年7月には日本国内にある64法人の布教施設(事業所)と2つの関係法人の合計66のすべてが環境マネジメントシステム・国際規格ISO14001の認証取得を完了しました。

  更には、2009年12月にブラジル伝道本部が、2010年11月にアメリカ合衆国伝道本部が、そして2011年8月には中華民国伝道本部が、それぞれ認証を取得しました。
 詳しくは、生長の家公式HP『環境保全』をご覧ください。

 以下に、 《生長の家環境方針》をご紹介しておきましょう。

====================================

【基本認識】

 地球環境問題は、その影響が地球規模の広がりを持つとともに、次世代以降にも及ぶ深刻な問題である。今日、吾々人類に必要とされるものは、大自然の恩恵に感謝し、山も川も草も木も鉱物もエネルギーもすべて神の生命(イノチ)、仏の生命(イノチ)の現れであると拝み、それらと共に生かさせて頂くという宗教心である。この宗教心にもとづく生活の実践こそ地球環境問題を解決する鍵であると考える。
 生長の家は、昭和5年の立教以来、“天地の万物に感謝せよ”との教えにもとづき、全人類に万物を神の生命(イノチ)、仏の生命(イノチ)と拝む生き方をひろめてきた。
 生長の家は、この宗教心を広く伝えると共に、現代的な意味での宗教生活の実践と して環境問題に取り組み、あらゆるメディアと活動を通して地球環境保全に貢献し、未来に“美しい地球”を残さんとするものである。

【行動指針】

1.啓発活動の実施
 職員全員に対して、地球環境問題への深い認識を持ち、環境に配慮した活動を進めるよう教育・啓発活動を行う。また、布教活動を通じて、多くの人々に自然と人間との一体感を醸成し、地球環境問題の改善に貢献する生き方を推奨する。

2.自然生態系への配慮
 吾々は「いのちを大切にし、植物も、動物も、鉱物も、全てを神・仏の現れとして、拝む心になることが大切である」との宗教心に基づき、国内外におけるさまざまな布教・事業活動を展開するにあたり、自然生態系への影響に配慮する。また、動植物類を護り、豊かな自然を保持することに努める。

3.環境負荷の軽減
 吾々は地球温暖化、オゾン層破壊、大気汚染、水質汚濁、土壌汚染などの環境問題の改善に貢献することを目指す。その一環として自然界のクリーンなエネルギーを使う文明社会に進歩向上する努力を一層強力に推進することが極めて肝要であるとの考えに立ち、太陽光発電装置等の設置、植樹、低公害車の導入等に積極的に取り組むものとする。

4.廃棄物の削減、リサイクルの促進
 吾々は廃棄物の発生を減少させ、最終廃棄物の量を削減することを目指す。生かすべき物は生かして使い、古くなった物の中にも、まだ充分使える物は再使用し、使えなくなった物は可能な限りリサイクルする。これは「あらゆる物に感謝する」という心を実践するものである。

5.省資源、省エネルギーの促進
 持続可能な発展を遂げるには、自然との調和が大切であり、枯渇が懸念される資源の消費を削減し、化石燃料や電力などのエネルギー使用の削減を行うことが必要である。吾々は、資源やエネルギーも神・仏の現れであるとの考えに立ち、「自制」と「自己訓練」によってむやみに資源やエネルギーを消費しないよう努める。

6.グリーン調達の促進
 物品やサービスの調達にあたっては、環境問題を考慮して選択する。

7.環境関連諸法規等の遵守
 環境関連法規や条例、地域協定を遵守する。また、受け入れを同意した環境関連の取り決めがある場合はそれを遵守する。

8.環境管理体制の充実
 環境管理体制を整備し、各部門に目的・目標を設定させ、それを見直させることにより、地球環境保全活動の一層の充実を図り、継続的改善に努める。

9.周知と公開
 環境方針は、職員向けホームページ等を通じて全職員に周知する。また、外部へもインターネット等を通じて公開する。

====================================

 以上の環境方針は、 生長の家総裁・谷口雅宣先生のご著書『今こそ自然から学ぼう』(生長の家刊)の中にも収録されています。

 自己の神性を引き出し、地球全体の調和ある姿を実現するには、「一即多」「多即一」の深い宗教的真理の把握が不可欠です。
 谷口清超先生著『神性を引き出すために』(日本教文社刊)の全文を、ぜひ熟読・味読ください。

            (牧野尚一:H29.08.25)

2017年8月21日 (月)

海流発電の実証実験で発電成功!

 8月20日(日)のNHK朝のTVニュースを見ておりましたら、インターネットにも掲載されていましたが、

『海流発電の実証実験 発電成功 鹿児島 トカラ列島沖』とありました。

 自然エネルギーとしては、太陽光発電、風力発電、地熱発電等が実用化されていますが、海流発電も3年後の平成32年から実用化ということで、これは大きな朗報ですね。

 ニュースによれば、海の流れを利用して電気を起こす「海流発電」の実証実験が、鹿児島県のトカラ列島沖で行われ、黒潮を利用してタービンを回し、最大で30キロワットの発電に成功した由。

 「海流発電」は、海の流れを利用して巨大なタービンを回し電気を起こすもので、NEDO=新エネルギー・産業技術総合開発機構と、大手機械メーカーのIHIが鹿児島県のトカラ列島にある口之島の沖合、およそ5キロの海で今月14日から実証実験を行ってたとのこと。

 その結果、水深20メートルから50メートルの海中に沈められた実験機のタービンが黒潮の流れを受けて回転し、最大で30キロワットの発電に成功!

 NEDOとIHIによりますと、本格的な実験機を使って、実際に海流を利用した発電に成功したのは、世界で初めてだということで、快挙ですね。

 IHI技術開発本部の長屋茂樹部長は「目標としていた黒潮での発電を達成した。口之島の沖合の海域は流れの強さや方向が安定しているので、実用化に向けて流れを詳細に調べていきたい」。

 世界的にも強い海流とされる黒潮を利用すれば、太陽光発電より安定した発電ができると期待されていて、NEDOとIHIは今後、発電コストの検証などを行い、平成32年の実用化を目指すことにしているそうで、楽しみですね!

 このように自然エネルギーの活用に積極的に取り組んでいけば、原子力発電という危険なエネルギーや化石燃料によるエネルギーに頼る必要がありませんので、21世紀はクリーンで多様な自然エネルギーを大いに活用して、次世代に“美しい地球”を継承してゆきたいものですね。

            (牧野尚一:H29.08.21)

2017年8月19日 (土)

神の光を受ける祈り

 生長の家創始者・谷口雅春先生のご著書に『聖経版 真理の吟唱』(日本教文社刊) というご本があります。全部で85のお祈りが収録されています。今日はその中から、 「神の光を受ける祈り」をご紹介します。(pp.16-19)

『私の魂の内には永遠に消えない光が宿っているのである。それは神から来たれる光である。如何なる暗黒なるときにも、その光に照らされて進んで行けば、私たちは決して道に迷うことはないのである。』

 「光」は、「導き」は、外にあると思いがちですが、 「生長の家」の素晴らしいところは、「神(仏)」は内にある、「光」は内にある、「導き」は内にある、という宇宙の真理(大法)を説いているところです。

 人の声、外の声に惑わされると道を間違うことがありますが、内なる「絶対神」の声(光)に間違いはありません。その内なる「絶対神」の声(光)に耳傾け、その導きに従うのが、本当の信仰です。

『その光は愛の光である。智慧の光である。生命の光である。愛が輝き出す時すべての憎しみは消えるのである。智慧が輝き出すとき迷が消えるのでる。生命が輝き出すとき疲労が消え、老衰が消え、病気が消え、死が消えるのである。』

 「神は愛也」ですから、「内なる神」からの導きの光は愛の光であり、「神は智慧」そのものですから、「内なる神」からの導きの光は智慧の光であり、「神は大生命」そのものですから、内なる神からの導きの光は生命の光ですね。

 「内なる神」とは「絶対神」そのものでもありますから、内なる神が輝き出す時、生、老、病、死の四苦自ずから消えるという訳です。

 生長の家創始者・谷口雅春先生には33の神示が天降りましたが、その一つに「至上者の自覚の神示」という神示があります。

『人即ち神であると言う真理を知らぬ者が多いのは気の毒である。『生長の家』が此世に出現したのはすべての人々に此の至上の真理を知らさんが為である。自己が神だと悟ったら人間が傲慢になるように誤解したり、自己の本性が神だと悟ったものを謙遜が足りぬと思う者は大変な思い違いである。斯くの如き想像をする者は自己が神だと言う真理をまだ一度も悟って見たことがないからである。自己が神だと悟れたら人間は本当に謙遜になれるのである。キリストが弟子の足を洗うことが出来たのも、自己が神だと悟っていたからである。』

 『人即ち神である』
 誠に驚くべき真理ですね! これが「生長の家」の真理、 「生長の家」の神髄です。

『本当の謙遜は『神の自覚』から来る。神を自己の本性に自覚しないものは、いくら謙遜らしく見えても、それは卑屈にすぎない。卑屈と謙遜とを思い誤るな。本当の謙遜とは『自己は神より出でた神の子である、従って神そのもののほか何者でもない』と言う真理を何らの坑らいもなしに承認することである。此の真理を承認するものを謙遜と言い柔和と言う。此の真理に逆う者を傲慢と言うのである。すべての傲慢と意地張りとは『吾れ神なり』の真理を承認しないところの根本傲慢より分化し来るのである。』

 この神示の最後は、次のように結ばれています。

『人間よ、人間自身の尊厳を自覚せよ、これを自覚することは人間自身の尊厳を奪還することである。『生長の家』は人間自身の尊厳を奪還せんがために出現した人生の燈台である。』

 この「至上者の自覚の神示」は、以下に収録されていますので、ぜひ熟読・味読ください。

・谷口雅春先生著『到彼岸の神示』(日本教文社刊)
  同書pp.1-15に神示全文と、 谷口雅春先生の解説があります。

・谷口雅春先生著『御守護 神示集』(日本教文社刊)

 さて「神の光を受ける祈り」に戻りますと、

『神の愛の光が私の内に輝き出すとき「自」と「他」との障壁が消える。利益の奪い合いがなくなり、怒り憎しみは赦しと変じ、さらに相手を祝福することが可能となるのである。私は常に心の窓をひらいて神の愛の光をいま受けるのである。だから私の全存在には神の愛の光が照り渡っているのである。神の智慧の光が私の内に輝く出すとき、人間が物質的存在だと見えなくなり、霊的存在だということが悟られて来、物質的欲望が少なくなり、霊的愛他的な行いに導かれて行き生活が清められるのである。』

 人は、頭脳知の発達により、分析の能力が大変優れています。それ自体は良いことで、分類・分析、整理・調査に優れた業績を残すようになりました。しかし、表面的な違いに捉らわれ過ぎますと、人と人との一体感、人と自然との一体感、更には神と人との一体感まで忘れてしまいがちです。

 そこで、もう一度、内なる神との一体感を自覚し直す時、 『「自」と「他」との障壁が消え』 、神・自然・人間の大調和する「実相」に目覚めることが出来るというわけです。神を愛する時、自然への、そして神の子・人間への自然な愛が復活するわけです。

『すでに神の生命の光が私の内に輝き出したのである。わが全身は生命力にみちあふれ、老いなく、病なく、疲労なく、溌剌として人類の共通的歓喜のために尽くすことが出来るようになっているのである。』

 「生長の家」のこの真理に目覚める時、誰しもが『人類の共通的歓喜のために』、地球自然環境を調え、国際平和に貢献しようという気持ちが湧いてきます。「生長の家」が今、世界的な規模で広がっているのは、まさにこの真理に多くの人々が目覚め、共感・共鳴している証(あかし)ですね。

『神の愛の光も、智慧の光も、生命の光も、無限であるから、それは輝やかせば輝かすほど与えれば与えるほど、光輝燦然としてその光と力とを増すのであるから、私は愛を人に与えることを惜しまないのである。智慧を与えることを惜しまないのである。生命を与えることを惜しまないのである。』

 愛を与え、智慧を与え、生命を与える時、自身が明るく、楽しく、愉快に、健康に、豊かになりますのも、神ご自身が智慧・愛・生命・供給・歓喜・調和そのものですから、神を生きる時、神の子の私たちもまた、智慧・愛・生命・供給・歓喜・調和そのものの実相が開顕するというわけです。

『人は神の子であり霊である。霊であるということがわかると、自と他とが一体であり、彼と我れとが一体であり、超焉(ちょうえん)として自他を越え、彼我を越え、私の愛憎を越えて、全体の栄のために尽くすようになるのである。全体の栄のために自己を挺身するときに、一粒の麦が姿を没して大地に身をまかすときに、多くの新しき芽を分蘖して、多くの実を実を結ぶことができると同様になるのである。』

 五官(目、耳、鼻、皮膚、口)の感覚器官だけで見る世界を「現象」といいますが、その世界には動物があり、植物、鉱物があり、人も又男女があり、人種がありと、様々な多様性と個性に充ち満ちています。違うから「別」と見れば対立につながります。様々な多様性と個性の奥にこそ、一体としての「生命」があると分かれば、一切の対立が消えて、様々な多様性と個性を生かしつつ大調和の世界が実現します。様々な多様性と個性こそ神(大生命)の展開に他ならないからです。

『私はもはや、肉体的存在でないことをさとったのである。私は「個」にして「全」、「全にして個」である。個性を完全に発揮する悦びを味わいつつ、しかも全体の栄のために身を挺してそこに何等の矛盾もないのである。』

 様々な多様性と個性を尊重しつつ、そして与えらた各自の個性を発揮する悦びに感謝しつつ、同時にその奥にある「全」なるもの、「一」なるものを把握し、「一即多」「全即個」の一大生命世界の素晴らしさに、ただただ感謝合掌礼拝ですね!

 ぜひ、生長の家創始者・谷口雅春先生『聖経版 真理の吟唱』(日本教文社刊)全文を、熟読・味読ください。
 『真理の吟唱 CD版(全章収録)』もあります。

           (牧野尚一:H29.08.19)

2017年8月12日 (土)

大自然からの贈物への感謝

 生長の家創始者・谷口雅春先生には沢山のご著書がありますが、その中の一冊に『愛はかくして完成す』(日本教文社刊)があります。その中に、 『公害は大自然への感謝の不足から起こった』という小見出しで、次の様にあります。

『人から僅かな贈物をせられても、それが愛の表現であると知るとき感謝せずにはいられないのである。人間から贈られるどんな大きな品物も、大自然が私たちに贈って下さっている贈物――新鮮な空気、水、穀物、果実……等にくらべれば比較にならぬほど小さいのである。私たちが生命をつなぐために必要なこれらの贈物が、神からの贈物であることを知るとき、私たちは当然、感謝せずにはいられない筈なのである。それなのに、それに感謝する人は少ないのであり、神からの贈物だと気がつかない人が多いのである。それ故にこそ、それを平気で使って、汚して使って顧みない「恩知らず」の心境でいるがために、人間は自分の造った公害が、今更、こんなひどいものであるかに驚いて、為すべき途を知らないで途惑(とまど)うばかりであるのである。先ず神にお詫びし、神に感謝し、しかる後「この公害を如何にして除去すべきか、神よ我らにその智慧を授け給え」と祈ることによって、神からのインスピレーションを受ければ、屹度(きっと)各自の起こした公害を除去するのに必要な智慧を授けられるに相違ないのである。』(pp.184-187)

 最初に、
『人から僅かな贈物をせられても、それが愛の表現であると知るとき感謝せずにはいられないのである。人間から贈られるどんな大きな品物も、大自然が私たちに贈って下さっている贈物――新鮮な空気、水、穀物、果実……等にくらべれば比較にならぬほど小さいのである。』
 とありますが、まったくですね。

 人様から贈物をいただいただけでも感謝の思いに満たされますが、 『人間から贈られるどんな大きな品物も、大自然が私たちに贈って下さっている贈物――新鮮な空気、水、穀物、果実……等にくらべれば比較にならぬほど小さいのである』

 新鮮な空気、水、穀物、果実……等、これらは生命維持のために不可欠な大自然からの贈物で、新鮮な空気に含まれる酸素のほとんども、森という大自然がなければ供給されません。

『私たちが生命をつなぐために必要なこれらの贈物が、神からの贈物であることを知るとき、私たちは当然、感謝せずにはいられない筈なのである。』

 「宗教」とは、神(仏)からの贈り物に目覚め、神(仏)に感謝することに他なりません。「宗教」とは、「感謝の心」そのものと言い換えてもよろしいでしょう。

『それなのに、それに感謝する人は少ないのであり、神からの贈物だと気がつかない人が多いのである。それ故にこそ、それを平気で使って、汚して使って顧みない「恩知らず」の心境でいるがために、人間は自分の造った公害が、今更、こんなひどいものであるかに驚いて、為すべき途を知らないで途惑(とまど)うばかりであるのである。』

  自然は神(仏)様からの掛け替えのない最高の贈り物であることを忘れ、自然はあるのが当たり前、自然は人間の思うままに収奪して構わないもの・・・との人類大多数の大きな過ちの思いと行動とが、公害問題や地球環境問題を生み出した元凶です。そして今や、それをどう解決すべきかが21世紀の世界共通の課題となっています。

 この解決方法として、谷口雅春先生は、
『先ず神にお詫びし、神に感謝し、しかる後「この公害を如何にして除去すべきか、神よ我らにその智慧を授け給え」と祈ることによって、神からのインスピレーションを受ければ、屹度(きっと)各自の起こした公害を除去するのに必要な智慧を授けられるに相違ないのである。』
 とご示唆いただいています。

 「生長の家」が地球環境問題に取り組んでいるのも、大自然への感謝の思いから出発している宗教的な感謝と愛の実践に他なりません。神の愛の顕れである大自然への敬虔な感謝と愛の思いが、地球環境問題への積極的な取り組みとなって展開しています。

 その具体的な取り組みを紹介しますと、2001年7月に生長の家本部事務所(当時東京・原宿)と生長の家総本山(長崎県西海市)がISO14001認証を取得しました。そして7年をかけて全国の生長の家教団の各事業所が順次認証取得し、2007年7月には日本国内にある64法人の布教施設(事業所)と2つの関係法人の合計66のすべてが環境マネジメントシステム・国際規格ISO14001の認証取得を完了しました。

  更には、2009年12月に生長の家ブラジル伝道本部が、2010年11月に生長の家アメリカ合衆国伝道本部が、そして2011年8月には生長の家中華民国伝道本部が、それぞれ認証を取得しました。
 詳しくは、生長の家公式HPの『環境保全』をご覧ください。

 以下に、 《生長の家環境方針》 をご紹介しておきます。

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【基本認識】

 地球環境問題は、その影響が地球規模の広がりを持つとともに、次世代以降にも及ぶ深刻な問題である。今日、吾々人類に必要とされるものは、大自然の恩恵に感謝し、山も川も草も木も鉱物もエネルギーもすべて神の生命(イノチ)、仏の生命(イノチ)の現れであると拝み、それらと共に生かさせて頂くという宗教心である。この宗教心にもとづく生活の実践こそ地球環境問題を解決する鍵であると考える。
 生長の家は、昭和5年の立教以来、“天地の万物に感謝せよ”との教えにもとづき、全人類に万物を神の生命(イノチ)、仏の生命(イノチ)と拝む生き方をひろめてきた。
 生長の家は、この宗教心を広く伝えると共に、現代的な意味での宗教生活の実践と して環境問題に取り組み、あらゆるメディアと活動を通して地球環境保全に貢献し、未来に“美しい地球”を残さんとするものである。

【行動指針】

1.啓発活動の実施
 職員全員に対して、地球環境問題への深い認識を持ち、環境に配慮した活動を進めるよう教育・啓発活動を行う。また、布教活動を通じて、多くの人々に自然と人間との一体感を醸成し、地球環境問題の改善に貢献する生き方を推奨する。

2.自然生態系への配慮
 吾々は「いのちを大切にし、植物も、動物も、鉱物も、全てを神・仏の現れとして、拝む心になることが大切である」との宗教心に基づき、国内外におけるさまざまな布教・事業活動を展開するにあたり、自然生態系への影響に配慮する。また、動植物類を護り、豊かな自然を保持することに努める。

3.環境負荷の軽減
 吾々は地球温暖化、オゾン層破壊、大気汚染、水質汚濁、土壌汚染などの環境問題の改善に貢献することを目指す。その一環として自然界のクリーンなエネルギーを使う文明社会に進歩向上する努力を一層強力に推進することが極めて肝要であるとの考えに立ち、太陽光発電装置等の設置、植樹、低公害車の導入等に積極的に取り組むものとする。

4.廃棄物の削減、リサイクルの促進
 吾々は廃棄物の発生を減少させ、最終廃棄物の量を削減することを目指す。生かすべき物は生かして使い、古くなった物の中にも、まだ充分使える物は再使用し、使えなくなった物は可能な限りリサイクルする。これは「あらゆる物に感謝する」という心を実践するものである。

5.省資源、省エネルギーの促進
 持続可能な発展を遂げるには、自然との調和が大切であり、枯渇が懸念される資源の消費を削減し、化石燃料や電力などのエネルギー使用の削減を行うことが必要である。吾々は、資源やエネルギーも神・仏の現れであるとの考えに立ち、「自制」と「自己訓練」によってむやみに資源やエネルギーを消費しないよう努める。

6.グリーン調達の促進
 物品やサービスの調達にあたっては、環境問題を考慮して選択する。

7.環境関連諸法規等の遵守
 環境関連法規や条例、地域協定を遵守する。また、受け入れを同意した環境関連の取り決めがある場合はそれを遵守する。

8.環境管理体制の充実
 環境管理体制を整備し、各部門に目的・目標を設定させ、それを見直させることにより、地球環境保全活動の一層の充実を図り、継続的改善に努める。

9.周知と公開
 環境方針は、職員向けホームページ等を通じて全職員に周知する。また、外部へもインターネット等を通じて公開する。

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 以上の環境方針は、 生長の家総裁・谷口雅宣先生のご著書『今こそ自然から学ぼう ~人間至上主義を超えて~』(生長の家刊)の中にも収録されています。

 大自然からの贈物が如何に尽きない神の愛の顕れであるか、またそれへの感謝こそが宗教の、信仰の原点であることを再確認して、未来に美しい地球を残してまいりましょう。

            (牧野尚一:H29.08.12)

2017年8月 7日 (月)

正しい祈り方

 前生長の家総裁・谷口清超先生には沢山のご著書がありますが、その一冊に『伸びゆく日々の言葉』(日本教文社刊)があります。
  1月1日から12月31日まで、珠玉の真理のお言葉が綴られた366日の箴言集です。(2月29日もあります)

 八月の章は「信仰の姿勢」です。(pp.175-196)
 「八月四日 本当の祈り」には、次の様にあります。

『年の初めには、多くの人が新しい決意をし、今年こそ幸せに暮らそうと思う。しかしそれが中々現実のものとならないのは、その願いが単なる念願であって、本当の「祈り」となっていないからである。本当の「祈り」とは、心の奥底深く宣言する(宣る) ことである。それは「何々であってほしい」とか「何々して下さい」という願望ではなく、断乎たる「宣言」でなくてはならない。それは自分の勝手な発意ではなく、神意であり、命令であり、そうなる他仕方がないところの宣言であり、“断言”である。この「祈り」は必ず叶えられる。』(pp.178)

 「宣る」には、「のる」とふりがながついています。
 心の奥底深い「いのち」が「のる」、宣言する、「いのち」+「のる」、これが本当の祈り(いのり)だという訳です。

 「いのち」からの発意、即ち「神の子」としての魂の底からの神意の宣言ですから、成就するほかはない、という訳です。

 「いのち」の宣言が「祈り」ですから、「いのち」即ち「心」が本当はどう考えているかが問題です。

 『八月五日 正しい祈り方』には、次の様にあります。

『祈りは心の中の思いである。その中には強くて長い思いもあるし、一時的な思いもあるが、それら全てが大小様々な祈りであると言ってよい。そして又その中にはお互いに矛盾し合っている思いもある。健康でありたいと思いながら、私は病人であるという強い思いを持つ人もいる。私は貧乏だと思いながら、豊かでありたいと思う。これらの矛盾した思いは、一方が「こうありたい」という願望であることが多いが、願望はつねに弱いのである。従って祈る時は「すでにこれこれである」という断定の思いを持つことが大切である。』(pp.178-179)

 「いのち」の宣言が「祈り」ですから、「いのち」即ち「心」が本当はどう考えているか、点検する必要がありますね。
 健康を願いながら、「心」が私は病人だ、と思っているなら、「心」の思う通りに病人という姿が継続するでしょう。豊かでありたいと思っていても、それは貧乏だという思いの裏返しですから、私は貧乏だという心の通りにそれが実現している、という事になります。

 つまり、健康になりたい、豊かになりたいのであれば、 『祈る時は「すでにこれこれである」という断定の思いを持つことが大切である。』という訳です。

 「既に」というのが、「祈り」のコツですね。

 「健康」を「祈る」なら、「私は既に健康である! 私は神の子で、既に健康である!」と断定の祈りをしなさいと、谷口清超先生はご指導くださっています。
 これが、 「生長の家」の祈りが成就する秘訣ですね。

 普通は、ついつい「祈り」とは「健康にしてください」とか「豊かにしてください」と願うことだと錯覚されがちですが、その場合は、心の中では「私は健康ではない」「私は豊かでない」と心で強く思い、宣言していると同じですから、その通り、健康でない状態、豊かでない状態が、「祈り」が「心の宣言」どおり実現しているという訳です。

 心の宣言、心の思いを変えないといけませんね。

 健康を願う人は、「私は既に健康です! 私は神の子で、既に健康です! 神様ありがとうございます。」と断定・感謝の祈りが大切です。
 豊かさを願う人は、「私は既に豊かです! 私は神の子で、既に無限供給です! 神様ありがとうございます。」と断定・感謝の祈りが大切です。
 自分が「神の子」で、神様に愛されている「愛し児(めぐしご)」であるという、深い神様への感謝と信仰が大切ですね。

 「祈り」の成就について、「神の子」であることの信仰について大切な事を谷口清超先生が、次の様にお教えくださっています。 『八月六日 例外者』には、こうあります。

『あなたが神の子・人間を信ずるとき、あなたは自分が神の子であるばかりでなく、全ての人が、妻も子も、部下たちも、全てが神の子でスバラシイと信じなければならない。するとこの地上にいるものは、皆よい人ばかりで、極楽浄土が現成する。実相が現象にあらわれてくるのである。ところが「一人だけ例外者がいる」と思っていると、その一人だけがよくならないばかりでなく、全てのものが不完全な姿になる。それは丁度一人だけを見まいとして目を閉じると、十人が十人見えなくなるようなものである。「その一人」が大切な一人である。』(pp.179)

 ここに「祈り」の最大の秘訣があります。即ち、「天地一切のものと和解せよ」との教えが大切です。これには例外がありません。すべての人が神の子、仏の子です。素晴らしいですね! ありがたいですね!
 これが「生長の家」の信仰であり、これが「生長の家」の神髄です!

 天地一切の人に、物に、事に感謝しますと、もうそこはそのまま天国・極楽浄土です。たちまち、あなたの周囲は“神の世界”が成就いたします。
 そういう人が一人づつ増えて行く時、本当の美しい地球と世界平和が実現しますね!

 生長の家総裁・谷口雅宣先生は、 『観世音菩薩讃歌』(生長の家刊)の「祈り」の項の最後に、次の様にご指導くださっています。

『神の創造の世界には
 すべての善(よ)きもの既に在るなり。
 そのほかに「ねばならぬ」もの不要なり。
 神の創造の世界には
 すべての義(ただし)きもの既に在るなり。
 そのほかに「ねばならぬ」もの不要なり。
 神の創造の世界には
 すべての美(よろ)しきもの既に在るなり。
 そのほかに「ねばならぬ」もの不要なり。
 汝ら執着を捨ててなお
 「吾が希望神の御心に合致す」との想い消えざれば、
 その希望実現の相(すがた)を念じ、
 「すでに受けたり」と神に感謝を捧ぐべし。
 「ねばならぬ」の心を放ち、
 結果のすべてを神に委ねるべし。』(pp.60-62)

(1) 『神の創造の世界にはすべてが既に在る』

 これがまず根本ですね。
 『神の創造の世界にはすべての善(よ)きもの既に在るなり。』
 『神の創造の世界にはすべての義(ただし)きもの既に在るなり。』
 『神の創造の世界にはすべての美(よろ)しきもの既に在るなり。』

 この自覚、この信仰、この承認が全ての出発点になります。
 次に、

(2) 『「吾が希望神の御心に合致す」との想い消えざれば、
  その希望実現の相(すがた)を念じ、
  「すでに受けたり」と神に感謝を捧ぐべし。』

 「既に受けたり」。ここでも「既に」がキーポイントですね。
  そして神様への深い「感謝」が大切です。
 最後に、

(3) 『「ねばならぬ」の心を放ち、
  結果のすべてを神に委ねるべし。』

 「放つ」ということが大切です。神様への全拓(ぜんたく)です。
 希望成就の時期や所を、あまり執着する必要はありません。
 神様がもっとも良い時、良い処を得て実現してくださいますので、感謝の思いで、内からの囁(ささや)きに従って怠りなく行動して行けば良いのです。

 生長の家創始者・谷口雅春先生『新版 光明法語』(日本教文社刊)は、1月1日から12月31日まで、366日(2月29日もあります)に珠玉の真理のお言葉が綴られています。

 『四月の法語』は「信仰の本質」(pp.101-124)と題されて、ここにも正しい祈り方のご指導があります。
 『四月八日の法語 祈りとは人格的交わりである』には、次のようにあります。

『祈りと云うものは必ずしも結果をもとめて祈るものではないのである。祈りは「神」と「神の子」との人格的交わりである。神から与えられた生命であるところの「神の子」なる人格は、親なるところの神に心を転回して、神と人格的に交わる時間を持つことは是非共必要なところの行事である。それ自身が荘厳きわまりなき処(ところ)の行事であって、結果があるとか無いとかの問題ではなく、直接的にそれ自身が目的である。神から生れた人間にとっては、神へ生命(いのち)を転回し振り向けることは、唯嬉しい行事である。』(p.107-108)

  「神の子・人間」が人格的存在ですから、親様なる「神様」もまた、無限の大愛そのものの人格的ご存在でもあられます。その「神様」への深き感謝の祈りは、「神の子」にとっても嬉しく楽しい行事でありますね。

 「生長の家」では神へ祈る時、“坐禅”と“観法”と“祈り”とが一つに融合した万教帰一的な瞑想の方法である「神想観」を実修します。

 「神想観」につきましては、先日もご紹介しましたが、谷口雅春先生著『幸福生活への招待20章』(日本教文社刊)に、次の様にあります。


『“神想観”というのは、“神を、想い、観ずる”と書くのです。“観ずる”の“観”というのは“観(み)る”という字で、この観という字は“心で見る”ことです。“自分の内に神様の生命(いのち)が流れ入って自分の生命となっている。そして自分の生命は物質じゃなくて神様の生命が光明燦然(さんぜん)と輝いているんだ”ということを、瞑想の中にじーっと観るんです。これが、生長の家の神想観といわれている行事なんです。かくの如くして、今まで肉眼で見て、人間を物質の身(からだ)であると見ておったのを、今度は肉眼を瞑(と)じて“心の眼”で観て、そして“人間は肉体じゃないんだ、物質じゃないんだ、神様の生命(いのち)、霊的存在である”という相(すがた)をじーっと観ずるわけなんであります。
 これは一種の坐禅観法(かんぽう)だと思っても宜しいのです。一種の坐禅観法ですけれども、それに祈りというものが一緒になったような、“坐禅”と“観法”と“祈り”とが一つに融合した万教帰一的な瞑想の方法であります。』(
pp.164-165)


 「生長の家」の座禅的瞑想法である「神想観」の詳しい実修法につきましては、下記の書籍をご参照ください。

・生長の家創始者・谷口雅春先生著『新版 詳説 神想観』(日本教文社刊)

・前生長の家総裁・谷口清超先生著『神想観はすばらしい』(日本教文社刊)

 「神想観」の素晴らしさについて谷口清超先生は、『伸びゆく日々の言葉』(日本教文社刊)の『8月7日 正しい選択の力』でも次のように書かれています。

『今世界には莫大な情報が流れていて、これらの中には間違いもあり、正しいものもある。あなたを助ける情報もあり、あなたを迷わすニセモノもある。それらを全部キャッチすることは出来ないから、その中の幾つかを選んで受けとる。そのためどれが正しくどれが間違いかをあなた自身が判断する。これまさに「自己選択」であり、それをなすべき時代がまさに現代である。この情報化社会に於いて、一番大切なのが正邪を判別する能力であり、これにはとぎすまされた直感力が必要である。もしあなたが毎日「神想観」を実習し、神に心を同調させていると、この能力を無限に拡大し得るのである。』(pp.164-165)

 日々、神様との一体感を深める「神想観」を楽しく実修いたしましょう。

            (牧野尚一:H29.08.07)

2017年8月 4日 (金)

「生長の家」は「万教帰一」の教え

 「生長の家」の教えの根本的真理の一つは、 「万教帰一」の教えである、ということです。

 生長の家総裁・谷口雅宣先生『生長の家ってどんな教え?』(発行:生長の家、発売:日本教文社) は二部から構成されており、次のようなっています。

第一部…生長の家の教えの基本を語る
 ・生長の家講習会では何をするのか?
 ・神のみが世界の創造者――唯神実相
 ・実相と現象との違い
 ・湖面の月は本物か?
 ・心が人生を作る――唯心所現
 ・現象世界は実相表現の過程
 ・各宗教が共存する道――万教帰一
 ・「人間・神の子」の教えは、仏教やキリスト教にもある

第二部…人々の質問に答えて
 唯神実相について
 唯心所現について
 万教帰一について
 その他の質問に答えて

  第一部、第二部の目次に共通して「唯神実相」「唯心所現」「万教帰一」という四文字熟語が出ています。

 「万教帰一」については、第一部で『各宗教が共存する道――万教帰一』『人間・神の子」の教えは、仏教やキリスト教にもある』という小見出しで、58~70頁にわたってご指導いただいています。

『生長の家では「万(よろず)の教えは一つに帰る」と説いています。しかし、まず誤解していただきたくないのは、この言葉から連想して、生長の家はすべての宗教をみんな生長の家にしてしまう。つまり、宗教統一運動であると考えないでください。私たちはそんなことは全く考えていません。むしろその逆で、各宗教の文化的特性を尊重する運動です。「万教帰一」という言葉は、下から上方向に見ていただいて、「一」から「万」が発展したと考えるのです。』(p.58)

 即ち「万教帰一」とは、宇宙創造の唯一絶対神なる、「一」なる大愛の「神(仏)」より「万(よろず)」の尊き教えが全世界に伝えられた、という意味ですね。

 歴史的、地理的、文化的環境によって、その地域の風俗や習慣にあった説き方で「真理」が説かれますので、表面的な儀式や形式だけを比較すれば違った教えかと見える場合もあるかもしれませんが、その奥に流れる「真理」は共通で、宇宙創造の唯一絶対神なる、「一」なる大愛の「神(仏)」より説かれた「万(よろず)」の尊き教えであるという訳です。

 前生長の家総裁・谷口清超先生『真・善・美の世界がある』(日本教文社刊には、次の様にあります。

『言うまでもなく生長の家の運動は、谷口雅春大聖師によって昭和五年三月一日号の『生長の家』誌が発刊されて以来、地上での宣布活動が始まった。その創刊号の表紙四面に「生長の家の宣言」として、こう書かれている。
「吾等は生命の法則を無限生長の道なりと信じ個人に宿る生命も不死なりと信ず」と。
 肉体は死んでも、本当のいのちは死なない、その信仰がここに明記されている。この点を無視して生長の家の一部分の知識だけを利用し、人生苦や金銭苦を解決しようとしても、それは不可能だということになる。即ち吾々の運動はこうして宗教と名乗らずして自然法爾(じねんほうに)に万教帰一の宗教活動となり、信仰の大道を驀進(ばくしん)したのであった。
 従って生長の家の会員たる者は、信仰を科学や哲学と同一視してはならないし、まして健康や繁栄を第一の目標として、オカゲを得るための手段としてもならない。又たとえそうしたとしても、本末を転倒した信仰では、結局求めた健康や金銭は得られたとしても、やがてそれらを全部捨ててあの世に旅立たなくてはならなくなる。その時になって、「人生の意義如何(いかん)」を問うても、もはや間に合わぬという次第である。』(pp.16-17)

 ここに、宗教とは如何なるものか、信仰とは如何にあるべきかをご教示いただいています。

 その根本は、まず生命が永遠不滅であるという真理から出発しています。永遠不滅の生命であるからこそ、永遠価値を求めるのが本当の宗教であり、永遠価値を「今」生きるのが本当の信仰生活だということになります。

 「生長の家」が、特定の宗教・宗派にこだわらず、敢えて「○○教」とか「○○宗」と命名せずに、『自然法爾(じねんほうに)に万教帰一の宗教活動となり、信仰の大道を驀進(ばくしん)した』のは、そのような考え方からでした。

 「生長の家」の真理はあくまで宇宙大の真理であって、まことに壮大・雄渾な教えです。元々、 「生長の家」という名称も、「生」は無限の時間、「長」は無限の空間を象徴し、「家」はその時間と空間の交差する一点であると同時に、時間・空間のすべての広がりをも包含した全ての全てを意味する巣(ス)であり、 「生長の家」とは実相の大宇宙そのものを表す言葉ですので、宇宙的スケールの大真理が説かれているという訳です。

 生長の家創始者・谷口雅春先生はそのご著書『神と偕に生きる365章』(日本教文社刊)の『第九篇 万教ただ一つに合奏す』の中で、次の様に書かれています。

『 宗教の根本原理は一つである  

 どんな宗教を信じても、いやしくもその人に功徳(くどく)が生じたとするならば、その宗教の教義、行法(ぎょうほう)、又は本尊礼拝を通して自己に宿るところの“生命力”がそれらの宗教のどこかに刺激されて、前よりも一層ゆたかに発現したからである。結局、その人の「生命力」が発現されるということが根本であって、万教の根本原理は其処(そこ)にあるのである。その「生命力」が神であり、“神性”であり“仏性”である。そこに万教帰一の真理があるのである。ただ生命力を発現さす契機となるコツというような方便(又は方法・儀式・対機説法等)に特色があるだけで其処に色々の“宗派”の別を生ずるのである。そして或る人は、ある宗派の用うるコツによって「生命力」が一層発顕(はつげん)し、また他の或る人は、また別の宗派の用うるコツによってその人の「生命力」が一層多く発顕してお蔭を得る。だから、Aの人は甲の宗教でお蔭を得、Bの人は乙の宗教でお蔭を得る。それだからとて、万教異なる様相を呈して互いに他宗教を排撃(はいげき)するのは、宗教の根本は、「その人各々(おのおの)の内部生命を発顕(はつげん)さす」一事にあるのだという共通真理に気づかないからである。それに気づかせるのが生長の家であり、万教帰一を説く所以(ゆえん)である。』(pp.244-245)

 お互いの宗教・宗派を互いに讃え合い、礼拝し合う道を説いているのが「生長の家」であり、これによって世界に平和を持ち来たらそうとしているのが「生長の家」の人類光明化運動・国際平和信仰運動です。

 また「生長の家」で信徒が実修している「神想観」もまた、万教帰一的な瞑想法です。谷口雅春先生著『幸福生活への招待20章』(日本教文社刊)に、次の様にあります。

『“神想観”というのは、“神を、想い、観ずる”と書くのです。“観ずる”の“観”というのは“観(み)る”という字で、この観という字は“心で見る”ことです。“自分の内に神様の生命(いのち)が流れ入って自分の生命となっている。そして自分の生命は物質じゃなくて神様の生命が光明燦然(さんぜん)と輝いているんだ”ということを、瞑想の中にじーっと観るんです。これが、生長の家の神想観といわれている行事なんです。かくの如くして、今まで肉眼で見て、人間を物質の身(からだ)であると見ておったのを、今度は肉眼を瞑(と)じて“心の眼”で観て、そして“人間は肉体じゃないんだ、物質じゃないんだ、神様の生命(いのち)、霊的存在である”という相(すがた)をじーっと観ずるわけなんであります。
 これは一種の坐禅観法(かんぽう)だと思っても宜しいのです。一種の坐禅観法ですけれども、それに祈りというものが一緒になったような、“坐禅”と“観法”と“祈り”とが一つに融合した万教帰一的な瞑想の方法であります。』(pp.164-165)

 「生長の家」の座禅的瞑想法である「神想観」の詳しい実修法につきましては、下記の書籍をご参照ください。

・生長の家創始者・谷口雅春先生著『新版 詳説 神想観』(日本教文社刊)

前生長の家総裁・谷口清超先生著『神想観はすばらしい』(日本教文社刊)

 さて最後にもう一度、生長の家総裁・谷口雅宣先生のご著書『生長の家ってどんな教え?』(生長の家刊)に戻りますが、このご本は二部から構成されており、「第二部…人々の質問に答えて」では「万教帰一について」も176~216頁まで、以下のような質問に詳しくご回答いただいています。

●仏壇の前で聖経を唱えてもよいか
●「万教帰一」のことを詳しく教えて
   本当の神は罰を与えない
   教典の万教帰一的な解釈
●「神」と「仏」に区別はあるか
●霊的な話の宗教的な位置付けは
●宗教はすべて正しいのか
   「カル卜的信仰」の危険
●生長の家では多神を礼拝するのか

 生長の家総裁・谷口雅宣先生のご著書や、 生長の家創始者・谷口雅春先生前生長の家総裁・谷口清超先生の数々のご著書を熟読・味読して、 「生長の家」の真理の奥殿へと深く参究ください。

            (牧野尚一:H29.08.04)

2017年7月29日 (土)

永遠不滅の生命

 「生長の家」の教えの根本的真理の一つは、生命は永遠不滅である、ということです。

 生長の家総裁・谷口雅宣先生『日々の祈り』(生長の家発行)の『「無駄なものは何もない」と知る祈り』には、次の様な一節があります。

『「人間は肉体である」とする謬見(びゅうけん)によって人生を見れば、人生は無駄以外の何ものでもない。この見方では、人間は母胎(ぼたい)から分離されたときに始まると考え、その肉体が生理作用を止めたときに人間が終ると考えるのである。これでは、肉体の生と死の間に行われたすべての活動は無駄となる。どんな下劣(げれつ)な行動も、どんな崇高(すうこう)な行為も、どんな破壊(はかい)も、どんな建設も、どんな苦しみも、どんな楽しみも、どんな貧しさも、どんな豊かさも、すべてが肉体の消滅とともに「終る」のだから、すべては無駄であり、すべては空しい。しかし、「人間は不滅の生命(いのち)なり」との自覚から人生を見れば、人生のすべての経験かその人の魂の成長過程であり、神の子の本質か表出される過程であることが了解できるのである。』(pp.164-165)

 人間の生命が永遠不滅の存在であるからこそ、一瞬一瞬がゆるがせに出来ず尊い瞬間であり、意義があり、生長の歓びがありますね。失敗があってもやり直しが出来ますし、輝かしい明日があります。

 無限を一度に表現できなくとも、長い人生の中で、そして次生、後生でまた表現できます。「永遠不滅」の生命であるからこそ、永遠価値の生き方ができますね。また、あらゆる生命が「永遠不滅」ですから、貴方の親しい方が先に亡くなられても、本当にいなくなったのではなく、今も活気凜々と生き続け、今も共にあり、また会えるという訳です。

 なお、亡くなられた方々のご供養の方法は、生長の家創始者・谷口雅春先生『新版 人生を支配する先祖供養』(日本教文社刊)に詳しく出ておりますのでお目通しください。ご先祖の方々に喜ばれます。

 また、「生長の家」では「霊牌」を書いて亡くなられた方々の御霊をお祀りしています。詳しくは、各都道府県の教化部や、生長の家宇治別格本山にお問い合わせください。人間の生命は永遠不滅ですので、いと高き霊界におられますご先祖の方々を、感謝を込めてお祀りいたしましょう。

 さて、人間生命が永遠不滅であることを前生長の家総裁・谷口清超先生は、そのご著書『人生の断想』(日本教文社刊)の『死にうちかつ王者』という小見出しの中で、このようにご指導くださっています。

『まことに肉体を超えても生きつづけている不滅の生命を知る者のみが、永遠に希望を失わず、若々しくあることができるのである。肉体が死滅するとき、一切が終ると考える唯物思想から、果してどんな希望が生れるというのか。肉体はどんな人でも、みな結局死滅して灰やガス体となってしまうのである。灰になるために人間は努力するのか。ガスとなるために我々は愛し、なやみ、よろこび、悲しむのか。そんな馬鹿なことはない。かならずや肉体という人間の道具をすてたあとにも、永遠に向上してやまぬ魂があるにちがいないのである。その魂を自覚し、その魂の本質が神性であり、仏そのものであるということを自覚する者こそ日々を新しく生き、未来に大いなる希望を抱き、過去の失敗にこだわることなく前進的生活をおこなうことのできる不滅者である。彼は決して、ぐちをこぼさない。過去のよき日の繰り事を言わない。彼はたえず、未来に「神の国」を実現すべくその全生命を出し切って「今」を生きるのである。「今」を生きる者こそ、死にうちかつ真の王者である。』(p.248)

 「永遠不滅の生命」とは、肉体のことではありません。その奥に、「永遠不滅の生命」が活気凜々としてある、ということです。肉体は、その「永遠不滅の生命」が生命活動の表現として利用する道具に過ぎません。しかし、この肉体という道具は、誠に精妙で、使い勝手が良いので本当にありがたいことですね。

 カンバスに絵を描こうとしたら良い筆を選ばなければいけません。荒れた筆では思うような良い絵は描けません。良き人生を描こうと思えば、やはり健康な良い体で意義ある楽しい人生を送る必要があります。

 ただ、その肉体は、人間そのものではありません。「神の子」そのものではありません。「私」の頭、「私」の手、「私」の体と表現するとおり、すべて所有格です。

 「私」そのものは、その肉体の奥にある「永遠不滅の生命」、それが「私」の本当の姿「実相」であり、すべての生命の「実相」です。それゆえに、私たちは「実相世界」に成れる「神の世界(神の国)」を地上にも実現したいと願うのです。

 生長の家創始者・谷口雅春先生は、そのご著書『聖経 真理の吟唱』(日本教文社刊)の『神の愛を実践する祈り』で、次の様に書かれています。

『すべての人の生命の奥底には神のいのちが宿っているのである。それを仏教では「一切衆生悉(ことごと)く仏性(ぶっしょう)あり」というのである。それをキリスト教では「内在(ないざい)のキリスト」というのである。その“仏性”といい、「内在のキリスト」というのは、われわれ日本人では“神”と呼ぶのである。“神”がすべての人々のうちに宿っているのである。“宿っている”どころか、“神”こそが人間の“本当のいのち”であり、肉体は、“神”が地上に天降って自己実現するための媒体(ばいたい)であって、肉体は、“人間そのもの”ではないのである。肉体の奥に、物質の奥に、霊妙(れいみょう)きわまりなき、神通自在(じんつうじざい)の神霊(しんれい)が存在するのであって、その神霊こそが“人間そのもの”であるのである。その神霊の本質は“愛”であり“智慧”であり、“久遠不滅の生命”であるのである。私たちが愛を完うしたとき、わが内部の神霊は本当に生きたのであり、本当に生きたとき、人間は生き甲斐を感ずるのである。』(pp.110-111)

『肉体の奥に、物質の奥に、霊妙きわまりなき、神通自在の神霊が存在するのであって、その神霊こそが“人間そのもの”であるのである。』とありましたように、人間とは“神霊”そのものなのであり、

『その神霊の本質は“愛”であり“智慧”であり、“久遠不滅の生命”であるのである。私たちが愛を完うしたとき、わが内部の神霊は本当に生きたのであり、本当に生きたとき、人間は生き甲斐を感ずるのである。』

 私たちが、神の“愛”を生きた時、神の“智慧”を生きた時、その時こそ、『良き哉、良き哉』との神の御声を聞くことが出来るのは、私たちが神に愛され、生かされている“神の子”だからですね。
 誠にありがたいことですね。

 生長の家創始者・谷口雅春先生は、そのご著書『新版 栄える生活365章』(日本教文社刊)で、『永遠に老いざる自己を自覚せよ』という小見出しでこの様にも書かれています。

『あなたは“神の子”であるところの素晴しき実相を自覚したのであるから、決して実相を蔽(おお)い隠すような暗い言葉や悪しき言葉を吐くことはないのである。自分が他(ひと)から、そんなに言われたら辛いような言葉を決してあなたは吐かないのである。あなたは“”神の子”であるから一種の光体(こうたい)みたいなものである。あなたの行くところ闇は消え、暗黒は無くなるのである。あなたは“神の子”であるから、「これ以上は“行き詰まり”」などということはないのである。
 常に明日は今日より一層善くなり、一層豊かになり、一層楽しくなるのである。老衰(ろうすい)などということはあり得ないのである。老熟(ろうじゅく)ということはあるにしても、決して衰弱するということはないのである。「現実に衰弱して来た」などという事勿(なか)れ、それは単に人類意識の表現であって、あなた自身が老衰しているのではないのである。あなたの実相は“神の子”であり、久遠不滅の生命であり、老いることなく、衰えることなき永遠に若き生命であるのである。』(pp.103-104)

 実際、谷口雅春先生谷口清超先生も、ご生前は70代80代もご講話にご執筆にと矍鑠(かくしゃく)としてご指導賜りました。
 生長の家総裁・谷口雅宣先生は、現在60代半ばでますますご壮健で自転車で通勤されたりヒルクライムでもご活躍で、ただただ頭が下がります。現在は白鳩会総裁・谷口純子先生とともにブラジルとアメリカへご指導に行かれています。

 このような師のご壮健振りを拝見していますと、永遠不滅の光体としての「神の子」の「実相」を把握しますと、人類意識を超越できるのだと感服してしまいます。まさに人間は「神の子」、その「実相」は「永遠不滅の生命」ですね。

 さて、谷口雅春先生はここでコトバの力がいかに大切かということもお説きいただいています。
 「生長の家」では、思念、表情・態度、発声音のすべてを「コトバ」と言っています。

 明るく、楽しく、元気の良いコトバのみを発していますと、それだけで運命がどんどん好転して参ります。
 それを日常的な習慣とする方法の一つとして「生長の家」では、白鳩会総裁・谷口純子先生監修の『日時計日記』(生長の家刊)を付けることをお勧めしています。

 この日記は、ただただ良いことだけを書いて、良いことを深く、強く心に刻むことで、日常生活を光の日々とすることが出来ます。

 実際、この『日時計日記』は効果抜群です!
 私もこの『日時計日記』のおかげで次々と希望が成就して、ただただ感謝・合掌・礼拝・讃嘆の毎日です。
 皆様ももうお付けでしょうが、まだの方は今日からぜひ
どうぞ!

 
        (牧野尚一:H29.07.29)

夏の花々

 “森の中のオフィス”南棟玄関ロビーのスターチスです。

 

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 孫のY君(小3)が育てている朝顔。

 

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 夏の花々も色鮮やかですね。

 

        (牧野尚一:H29.07.29)

2017年7月24日 (月)

「お連れ様はどちらですか?」

 インターネットに良い話が紹介されていて、ホロリ。

 『西日本新聞』7/21(金) 11:16配信で、
 『「お連れ様はどちらですか?」妻に先立たれた男性、客室乗務員の対応に…』
 とありました。

 半世紀以上も連れ添った妻に先立たれた横浜市の男性が葬儀を終えた後、故郷である佐賀県唐津市のお寺に納骨するため、羽田空港から空路、九州へと向かった時のことです。

 遺骨を機内に持ち込めることは知っていたのですが、入れたバッグがかなり大きく、念のため搭乗手続きの際に中身を伝えました。機内に乗り込み、上の棚にバッグを入れて席に着くと、客室乗務員がやって来て「隣の席を空けております。お連れ様はどちらですか?」と聞いてきたそうです。

 男性が「ああ、上の棚です」と説明すると、乗務員はバッグごと下ろしてシートベルトを締めてくれ、飛行中には「お連れ様の分です」と飲み物も出してくれたということです。

 「最後に2人でいい“旅行”ができた」とは男性の言葉。

 乗るならこんな行き届いた客室乗務員の飛行機に乗りたいものですね。
 きっと奥様もおいしくお飲みになっておられたことでしょう。

        (牧野尚一:H29.07.24)

2017年7月21日 (金)

生長の家ってどんな教え?

 生長の家創始者・谷口雅春先生によって昭和5年(1930年)に創始されました「生長の家」とは、どんな教えでしょう?

 幸いにして生長の家創始者・谷口雅春先生前生長の家総裁・谷口清超先生生長の家総裁・谷口雅宣先生が沢山の書物を書かれ、講話テープやCDも市販されていますので、詳しく分かりやすく「生長の家」の真理を学ぶことができます。

 今日は、 生長の家総裁・谷口雅宣先生著『生長の家ってどんな教え?』(発行:生長の家、発売:日本教文社) をご紹介いたします。

 『生長の家ってどんな教え?』は、二部から構成されており、次のようになっています。

第一部…生長の家の教えの基本を語る
 ・生長の家講習会では何をするのか?
 ・神のみが世界の創造者――唯神実相
 ・実相と現象との違い
 ・湖面の月は本物か?
 ・心が人生を作る――唯心所現
 ・現象世界は実相表現の過程
 ・各宗教が共存する道――万教帰一
 ・「人間・神の子」の教えは、仏教やキリスト教にもある

第二部…人々の質問に答えて
 唯神実相について
  唯心所現について
  万教帰一について
  その他の質問に答えて

  第一部、第二部の目次に共通して「唯神実相」「唯心所現」「万教帰一」という四文字熟語が出ておりますが、 谷口雅宣先生は、

『生長の家の基本教義三項目がこれです。』(p.13)

 と、お教えくださっています。
 ぜひ、じっくりと全章を熟読・味読され、 「生長の家」の基本的真理を深く体得ください。

  なかでも13頁には、 『神のみが世界の創造者――唯神実相』という小見出しがあり、
『生長の家で一番大切な考え方といいますか、これを外したら生長の家ではないという考え方が、「唯神実相」という言葉に表現されています。』
 とあります。

 神様の創造された本当の世界、本当の相(すがた)=実相は、完全円満、永遠不滅、無限生長、無限創造の世界で、唯その世界のみが独在する・・・というのが、 「生長の家」の唯神実相論です。

 しかし、五官(眼、耳、鼻、皮膚、口)を通して認識する世界は、老、病、死や災害、戦争のある世界として見えます。こうした五官による認識する世界を、神の創造された「実相」の世界と区別して、「現象」=現在の象(かたち)の世界と言います。

 20頁には、 「実相と現象の違い」という小見出しがあり、
『生長の家の教えの最大の特徴は、神が創造された世界の“本当の姿”(実相)と、私たちが感覚によって――五つの感覚器官によって捉えた世界(現象)とをはっきりと分けて考えることです。この二つの様相は大いに違うということを前提に考えるのです。』とあります。

  肉体は、大変精妙で、表現の世界として私たちが認識する現象世界で、様々な表現活動をする際にとても便利な道具です。しかし譬えて言えば、宇宙飛行士が宇宙遊泳する時に宇宙服を着ると同様に、私たちは実相界にある「霊的実在」という本体の上に、肉体という宇宙服を着ていると同様です。神の創造になる私たち本体の「霊的実在」は永遠不滅ですが、肉体という宇宙服は現象世界に表現活動する際に使用するだけで、100年くらい使用した後は脱ぎ捨ててしまう仮のものだというわけです。ですから、肉体が亡くなっても、その奥にある本体である「霊的実在」としての私たち人間の「生命の実相」は、永遠不滅であるわけです。

 「実相」と「現象」の分かりやすい一例として、 先生は、「楽譜」(実相)と「演奏」(現象)という譬えを使われています。(pp.29-31)

 名曲の「楽譜」はそれ自体「完全円満」です。しかし、演奏者がこれを表現しようとすれば、「楽譜」どおり美しい演奏をするためには練習が必要であり、失敗もしながら段々表現が上手になってゆく、というわけです。現象世界は、表現の世界ですから、その人がどこまで「神性」を自覚し、どこまで上手にその完全性を表現できるかが鍵になりますね。

『この「正しい楽譜」がわかる能力を「良心」と呼ぶことがあります。人間はなぜ良心を持っているのか。良心というものはすべての人が持っていて、その良心が「お前の人生はちょっと失敗しつつあるぞ」などと教えてくれるでしょう? (中略)それは、我々の中に完璧な仏様、神の子がいて、我々がその“本当の自分”の意思から外れていることを教えてくれるのです。一種の“危険信号”が出る。それを出す本体のことを、生長の家では「神の子」と呼ぶわけですね。』(pp.30-31)

  「良心」は、誰にも宿っている共通の「神性」です。これがありますから、人類共通の「人権」や「正義」「道徳」等が成り立ちますね。
 「神性」は万人に宿っていますので、一人一人がその「良心」に耳傾けることが何よりも大切です。
 人に親切を施し、「愛」を実践し、仏教的には「四無量心」を実践し、「平和」を築く心、これは誰もが共通して持っている心ですね。

 先日TVを見ていましたら、ある脳科学者が、AIには「仁」を理解することが出来ないと指摘していました。どちらが得かはAIには瞬時に計算できますが、自分よりも人に愛を施すという行為は、人間には天与に備わっていて誰でも理解し実践できる行為ですが、AIにはこれを覚えさせることが難しい、と。

 「神の子・人間」の素晴らしさは、まさにここにありますね。

  さて、 谷口雅宣先生著『生長の家ってどんな教え?』の「第二部…人々の質問に答えて」はQ&A形式で、 「唯神実相について」「唯心所現について」「万教帰一について」詳しくご回答いただいている他に、 21世紀の今日的課題についてもご教示いただいています。

 そのQ&Aの一つに、 「生長の家」が神の世界を完全と説きながら、その「生長の家」が環境保護運動をしているのはこの世界が不完全だと認めていることになるのではないか、という質問(p.262)があり、 先生が次の様に回答されています。

『「実相」はあくまでも完全なのであります。「実相」は完全であるけれども、我々は目に見える不完全な「現象世界」を心によってつくるのです。その世界は、人間の心の表現としての世界です。そこでは、地球環境も自然現象も千変万化します。人間の肉体も、この「現象」において現れているから、心や環境の変化に応じて千変万化する。そういう「現象世界」を、我々は「実相」の完全円満さを表現する場として与えられているのです。』(p.263)

 「神の子・人間」は、「実相」においては完全円満・永遠不滅ですが、表現の世界である「現象」においては、人体でも暴飲暴食すれば肉体的には健康を損ないます。自然界も同様で、ウラン、石油、石炭といった地下資源ばかりに頼ってCO2を排出し続けたら、地球環境を大きく破壊してしまいます。

 「生長の家」では、「実相」の姿を心に描けばそれが実現すると説きますが、それには「行動」が伴わなければなりません。

  生長の家創始者・谷口雅春先生はご著書『繁栄と健康』(日本教文社刊) に、 「信念は行動化しなければならぬ」という小見出しでこう書かれています。

『唯、念じつづけているだけでよいかというと決してそうではない。二人の少年が毎日仲好く手をつないで登校するのが習慣になっていたが、その日はどうしたものか学校へまだ三百メートルほど距ったところへ来た時に、“始業一分前のベル”が鳴りはじめたのである。すると、一人の少年は「神様どうぞ遅刻しないようにして下さい」と静かに跪いて祈っていたのである。もう一人の少年は心の中で「断じて遅刻するものか」と念じながら駈歩で学校へ行った。そしてこの後の少年は遅刻しなかったが、前の少年はただ跪いて祈るばかりで、「断じて遅刻するものか」の自信もなく、その自信に伴う「行動化」もなかったので、ついに遅刻してしまったのである。このように自己の希望を実現しようと思ったならば、祈り又は念ずることによって自信力を深めると共に、それを行動化するようにつとめなければならないのである。』(p.136)

  行動の伴わない祈りは空念仏、というわけです。

 生長の家総裁・谷口雅宣先生は、 『生長の家ってどんな教え?』の中で先程の質問にこう回答されています。

『環境問題とは、人間の心の反映(表現)である現象の一つです。人類が化石燃料を燃やし続けていて、その量が多すぎるという問題です。それは敢えて言うならば、「第九」は完成しているのに、それを演奏しつつある者が間違った音を出し続けているようなものです。だから、それを直しましょう。化石燃料を燃やすのはやめましょうという運動をしている。こっち(実相)には完全なものがあるのだから、その完全な譜面に合わせてこっち(現象)の外れている音を正して、もっと違うライフスタイルやエネルギーの使い方を実行していきましょうというのが、私たちの運動です。質問された方は、この点を少し誤解されていると思います。
 我々は、この「実相」においては完全な世界をいただいているけれども、人類が肉体を通してそれを認識し、表現する仕方を誤っているので、それを正しい方向に変えていこうという実相顕現の運動をしているのであります。』(pp.266-267)

 ウラン、石油、石炭といった化石燃料ではなく、太陽光、風力、潮力、地熱等々、自然エネルギーは化石燃料よりも遙かに多く私たちの周りに充ち満ちています。21世紀は、この自然エネルギーを活用することで、自然を破壊するのではなく、自然と共生する世紀とする必要があります。 「生長の家」は、唯神実相の真理を地上にそのまま投影すべく、実相顕現の運動を展開しているのです。

 生長の家総裁・谷口雅宣先生著『生長の家ってどんな教え?』(発行:生長の家、発売:日本教文社)、ぜひ熟読・味読ください。

 なお、 谷口雅宣先生は、 「生長の家」の唯神実相、唯心所現、万教帰一等の素晴らしい真理に立脚し、唯一絶対なる神様への深い感謝の祈りを『日々の祈り 神・自然・人間の大調和を祈る』(生長の家発行)の中に49の祈りとしてご紹介いただいています。こちらも併せてお読みいただきますと、 「生長の家」の神髄を深く理解することができます。

 なお、 『日々の祈り 全集〈CD版〉 神・自然・人間の大調和を祈る』もあります。

        (牧野尚一:H29.07.21)

2017年7月10日 (月)

大自然の愛

 前生長の家総裁・谷口清超先生には沢山のご著書がありますが、その一冊に『伸びゆく日々の言葉』(日本教文社刊)があります。
  1月1日から12月31日まで、珠玉の真理のお言葉が綴られた366日の箴言集です。(2月29日もあります)

 7月の章は「愛の種々相」です。 「7月27日 大自然の愛」には、次の様にあります。

『大自然の山川草木国土に限りなく感謝しよう。人はその中に生れ、その中で成育した。子供のころ泥まみれになって遊び、穴を掘り、川の中で泳いだ。そんな思い出は、近頃の若者には少なくなったかも知れないが、地球的な規模で言うと、人間は依然として大自然にすっぽりと包まれ、その懐の中で生かされている。この事実を忘れてはならぬ。忘れるとそこから人間のひとりよがりや、傲慢が生じ、金銭で何でも片づくと思ったり、片々(へんぺん)たる知識のょせ集めで平和になると思い上るのだ。真の平和は、人類が大自然を拝み、感謝し、そこに仏のいのち、神の愛をヒシヒシと感ずるところから始まるのである。』(pp.171-172)

 谷口清超先生がご指摘されていますように、 『真の平和は、人類が大自然を拝み、感謝し、そこに仏のいのち、神の愛をヒシヒシと感ずるところから始まる』のであり、地球環境問題と国際平和が深く密接していることが明らかですね。

  人が、大自然の愛に生かされ、満たされている自覚の欠如は、大自然からの収奪、そしてそれは人と人、国と国との対立へと発展してゆきます。自然への思いやりの欠如は、人への思いやりの欠如となり、自然も人の心も荒廃の一途をたどることになります。

 今こそ、全人類が、母なる大地、母なる自然を大切にする心に立ち戻る時ですね。

 『7月28日 力強い人間』には、次のようにあります。

『あなたの心は神の愛にみちあふれでいる。それ故(ゆえ)あなたは家族に対して、常にやさしい言葉を使う。あなたは必ず人々を称讃する。それはあなたの本心からの言葉であるから、家族はあなたに感謝する。そして限りなくよい妻となり、よい子供たちとなり、あなたの願望をことごとく叶(かな)えてくれるのである。
 あなたは常に柔和(にゅうわ)である。真に力強い人間は、常に柔和である。怒り狂う者は、弱者である。何故(なぜ)なら彼は自己の弱点を衝(つ)かれて怒り狂っているからである。あなたは何の弱点も欠点もない「神の子」であることを知るがよい。』(p.172)

 『あなたは何の弱点も欠点もない「神の子」であることを知るがよい。』
 これが「生長の家」の根本的真理です。誠にありがたいことですね。
 私も「神の子」、あなたも「神の子」、全人類ことごとく「神の子」!

 この自覚に立てば、世界は忽ち天国・極楽浄土が出現いたします。

 この自覚に立って、あなたの周囲におられる、ご家族、職場・学校の方々はじめすべての人々を「神の子」として礼拝いたしましょう。すると忽ち、あなたの周囲に天国・極楽浄土が出現いたします。一人一人がその自覚に立つ時、そういう「神の子」が世界中に広がる時、神の世界に成れる世界が、地上にも顕現いたします。

 今日、とても嬉しいことがありました。

 私は、高校生の時に「生長の家」に入信し、生長の家高校生連盟の一員になりました。その時、一緒に活動した一年後輩の仲間二人が、後に仲良く結婚して愛知県で引き続き「生長の家」の運動をされていました。

 その奥様は、今、白鳩会の幹部として活躍されているのですが、今日、愛知県の白鳩会の方々がバスで“森の中のオフィス”の見学に来られていました。
 そして、思いもかけずバッタリと食堂でお会いしたのです!

 愛知に出講した時以来ですから十数年ぶりの再会でした。
 変わることのない真っ直ぐな信仰で、ますますご活躍されているお姿に感銘し、心楽しい一時を過ごしました。

 『7月30日 哲学と信仰』には、次のようにあります。

『神を頭のみで理解しようとしても、それは充分に判らない。というのは脳髄という物質を通して神なる実在を見ょうと試みているからである。丁度カメラを通して人間を写しても、その人間の一部は写るが、全相(心の中の思い等も)をとらえることができないようなものである。それ故生長の家を哲学として学ぶ時は、浅い表層しか判らぬ結果になる。思想やイデオロギーではなく、神想観や供養や伝道や愛行を通して「真実の神」を信仰するように努めよう。切符を買って新幹線に乗って坐ると、自然に東京駅に着くように、ある時間坐る(神想観する)ことが、何よりも大切である。』(pp.173-174)

 神の世界は、遠くにあるのではありません。今、ここに、在るのです。
 ただ、五官(眼、耳、鼻、皮膚、口)等に頼ってそれを知ろうとしても、五官は三次元しか認識できませんので、 『神想観や供養や伝道や愛行を通して「真実の神」を信仰するように努め』
る必要があります。

 無限次元の神の世界を知るには、眼を閉じて、「神想観」することが不可欠です。

 「生長の家」の座禅的瞑想法である「神想観」につきましては、下記の書籍をご参照ください。

生長の家創始者・谷口雅春先生『新版 詳説 神想観』

前生長の家総裁・谷口清超先生『神想観はすばらしい』

生長の家総裁・谷口雅宣先生著 『生長の家ってどんな教え?』

        (牧野尚一:H29.07.10)

※以下の紹介文は、日本教文社HPからの転載です。

◎『伸びゆく日々の言葉』 谷口清超 (著)
  定価 本体1,600円(税・送料別)  造本形式46判 ページ数288
  ISBN 9784531051663

【商品の説明】
 生き生きと希望に満ちた人生を送るための英知に溢れた、365日の箴言集。日常生活に即した12ヵ月のテーマと光輝く真理の言葉は、あなたを愛と勇気と悦びに満ちた日々にいざなう。

【商品の目次】
 いのちは不滅である(1/1〜1/31)
 くにの実相を観る(2/1〜2/29)
 あなたが主人公(3/1〜3/31)
 実相と現象(4/1〜4/30)
 無限に向上する(5/1〜5/31)
 神意を生きる(6/1〜6/30)
 愛の種々相(7/1〜7/31)
 信仰の姿勢(8/1〜8/31)
 自然に恵まれて(9/1〜9/30)
 感動の人生を送る(10/1〜10/31)
 日々最善を尽くす(11/1〜11/30)
 神想観を行う(12/1〜12/31)

【著者プロフィール】
 谷口清超

 大正8年(1919)10月23日、広島市に生まれる。東京大学文学部を卒業。
 昭和17年(1942)、『生命の實相』にふれて深い信仰体験を得る。やがて生長の家創始者・谷口雅春氏に師事。昭和21年(1946)、谷口雅春氏の長女、谷口恵美子・生長の家前白鳩会総裁と結婚。以後、生長の家副総裁として日本全国はもとより海外に教えを宣布する。昭和60年(1985)11月、生長の家総裁の法燈を継承する。平成20年(2008)10月28日、ご逝去(満89歳)。『谷口清超ヒューマン・ブックス(全10巻)』『谷口清超新書文集(全10巻)』(日本教文社刊)など多数がある。

◎『新版 詳説 神想観』谷口雅春 (著)
  定価 本体1,250円(税・送料別)  造本形式46判  ページ数256
  ISBN 9784531052356 日本教文社刊

【商品の説明】

あなたの無限力を解き放つ、「神想観」とは?

●やる気が出る  ●集中力がつく
●アイディアが湧いてくる
●独創性が養われる
●困難や不幸を克服する勇気と力が出る
●心が通じ合う

神想観を怠らず行じているうちに「人間神の子」の真理が、頭脳的な知識から、感情的な把握となり、さらに進んで、全生命的な把握になってくる。
(新版化にあたって、活字を大きくし、より読みやすくなりました)

【商品の目次】

第1章 神想観のすすめ
第2章 神想観とは何か
第3章 神想観のやり方
第4章 神想観実修上の心得と注意
第5章 神想観と聖典読誦と感謝行並びに愛行
第6章 神意の実現

【著者プロフィール】
谷口雅春

「生長の家」創始者。明治26年(1893)11月22日、兵庫県兵庫県八部郡烏原村(現在の神戸市兵庫区)に生まれる。旧名=正治。大正3年(1914)、早稲田大学文学部英文科中退。求道生活に入る。昭和5年(1930)3月に「人間・神の子」善一元の世界、万教帰一の啓示を受け、この真理を万人に伝えたいとの悲願の下に個人雑誌「生長の家」誌を創刊。これが生長の家のはじまりである。以後、同誌の普及と共に、教化団体「生長の家」を経て、宗教法人 「生長の家」へと発展。上記、雑誌記事をまとめた『生命の實相』は通算1,900万部を超え、今なお多くの人々に読み継がれている。このほか『真理』(全11巻)『谷口雅春著作集』(全10巻)『新選谷口雅春選集』(全20巻)『新選谷口雅春法話集』(全12巻)『法華経解釈』『人生読本』等、400冊以上の著書がある。また神示には「七つの燈臺の點燈者の神示」などがあり、霊感に導かれて綴った自由詩(のちにお経となった)「甘露の法雨」「天使の言葉」などがある。昭和60年(1985)6月17日、ご逝去(満91歳)。

◎『神想観はすばらしい』谷口清超 (著)
  定価本体800円(税・送料別)  造本形式 新書判 ページ数170
  ISBN 9784531051533 日本教文社刊

【商品の説明】

◎神想観とはなに?
◎こんなに力がでる… 等
「神想観」の実修法や注意点を4パートに分け、イラストを交えて判りやすく解説。あなたの中の無限の力を引き出す瞑想法の全て。

【商品の目次】

PART1 神想観はすばらしい
 1.なぜ神想観をするのか
 2.神想観をして「神の子」の無限の力を出す
 3.神想観をしていると、イザというときに予知能力が働く
PART2 神想観とはなに?
PART3 神想観のやりかた
PART4 こんなに力が出る
・神想観と無限力
・無限力を出すには
・善い心を出そう
・祈り合いの神想観
・わすれもの
・こうして力が出る
・熟れるのを待つ
・殻を破ろう

◎『生長の家ってどんな教え?――問答有用、生長の家講習会』谷口雅宣著
  定価(本体1333円+税) 生長の家発行/日本教文社発売
  四六判上製/288頁 ISBN978-4-531-05910-2 C0014

「なぜ?」を大切にして信仰を考えよう――。著者の生長の家講習会における講話と参加者との質疑応答の記録を掲載。唯神実相、唯心所現、万教帰一を柱に教えの真髄を現代的かつ平明に説き明かす。

【目次より】
第一部 生長の家の教えの基本を語る

 生長の家講習会では何をするのか?/神のみが世界の創造者――唯神実相/実相と現象との違い/湖面の月は本物か?/心が人生を作る――唯心所現/現象世界は実相表現の過程/各宗教が共存する道――万教帰一/「人間・神の子」の教えは、仏教やキリスト教にもある

第二部 人々の質問に答えて

唯神実相について
 なぜ神は完全だと言えるか/「実相」と「現象」の関係を知りたい/実相は無限次元の世界/動植物は「神の子」ではないのか/なぜ「神示」を受けることができるのか/正しい希望かどうかを確かめるには/絶望している人に希望を与えるには/人はなぜ祈るのか/“我のある祈り”が成就しない理由/現象の「悪」にどう対処するか/実相を観るための方法

唯心所現について
 神はなぜ有限の世界に人間をつくったか/現象世界は何のためにあるのか/なぜ神の子が病気や争いを心に描くのか/なぜ人は老いて死ぬのか/怒りを表現するのは正しいことか/良い思いを潜在意識に浸透させるには/亡くなった人を見るためには/「親和の法則」はどう働く/潜在意識の作る世界/「世界平和の祈り」は役立っているか/人間は何のために生まれてきたか/現象世界の人生は苦しみか/不完全を意識するのは完全である証拠/“悪い現象”は人間にとって必要か/観世音菩薩からのメッセージ

万教帰一について
 仏壇の前で聖経を唱えてもよいか/「万教帰一」のことを詳しく教えて/本当の神は罰を与えない/教典の万教帰一的な解釈/「神」と「仏」に区別はあるか/霊的な話の宗教的な位置付けは/宗教はすべて正しいのか/「カルト的信仰」の危険/生長の家では多神を礼拝するのか

その他の質問に答えて
 「業の流転」とはどのようなものか/地球温暖化は人類の「業」の現れ/原子力の利用をやめよう/肉食を減らす運動の意味/肉食は戦争につながる/「罪なし」の教えと裁判員制度/法律的な罪の償い/離婚した場合の信仰生活/凶悪事件は増加しているか/マスメディアの報道を考える/本当の幸せとは何か/環境保護は実相顕現の運動

★★著者プロフィール★★
谷口雅宣(たにぐち・まさのぶ)

1951年東京生まれ。青山学院大学法学部公法学科卒。1979年、米国コロンビア大学修士課程修了(国際関係論)。新聞記者を経て、1990年、生長の家副総裁。2009年から、生長の家総裁。各都市で開催される生長の家講習会の講師等をしている。
著書に、『次世代への決断--宗教者が “脱原発”を決めた理由』『目覚むる心地―谷口雅宣随筆集』『衝撃から理解へ―イスラームとの接点をさぐる』『日時計主義とは何か?』『太陽はいつも輝いている―私の日時計主義 実験録』『日々の祈り』『足元から平和を』『今こそ自然から学ぼう』『神を演じる前に』『心でつくる世界』(いずれも生長の家刊)、『小閑雑感シリーズ』(世界聖典普及協会刊)、長編小説『秘境』、共著に『“森の中”へ行く――人と自然の調和のために生長の家が考えたこと』(生長の家刊)、翻訳書に『叡知の学校』『もう手足がなくたって』(いずれも日本教文社刊)などがある。
ホームページ「唐松模様」を執筆している。

                                 以 上

2017年7月 8日 (土)

万教包容の御祭

 7月7日午前11時から、山梨県北杜市の生長の家国際本部“森の中のオフィス”にある万教包容の広場において、 「万教包容の御祭」が執り行われました。その様子はインターネットを介して日本の各教化部を初め、海外にも通訳入りで送られました。

 午前中はお天気に恵まれましたが、午後は突然の雨もあったり、山の天気の変化は誠に激しいものがありますね。
 幸い、御祭は終始好天に恵まれ、その御祭の最後に、生長の家総裁・谷口雅宣先生から素晴らしいお言葉をいただき、深く感銘いたしました。先生のブログ『唐松模様』「2017年7月7日(金) 自然に与え返す“新しい文明”に向かってと題してご紹介いただいております。ありがとうございます。ぜひ、全文を熟読・味読ください。

  冒頭、この御祭の意義について先生は次のように述べられました。

『皆さん本日は、第5回目の「万教包容の御祭」にお集まりくださり、ありがとうございます。 

 今日は7月7日の「七夕」ですが、生長の家の歴史の中では「万教包容の神示」が谷口雅春先生に下った日です。それも昭和7年の7月7日という“七並び”の日でありました。この御祭は、そのことを念頭におき、生長の家の国際本部である“森の中のオフィス”が落慶した年の7月7日に第1回目が開催され、それ以降毎年、この「万教包容の広場」において行われています。その際、七重塔が新たに1基設置されるのですが、その意義は、すでにご承知のように、私たちの運動が目指す「世界平和実現」を祈るためです。 

 すでに何回も触れているので簡単に申し上げますが、七重塔の「7」は「完成」とか「すべて」を象徴する数字で、そのデザインを見れば分かるように、天地を貫く1本の中心線に沿って7つの社が結ばれているのが、七重塔です。この「社」が象徴するものは、「宗教」であり、「大陸」であり、「民族」であり、「文化」であり、「世代」であり、「生物種」であり、私たちの運動の「拠点」(組織)である、ということでした。 

 これらすべてが“神の御心”に中心帰一して、それぞれの特徴を生かし、相互に争わず、助け合いながら繁栄している――というのが実相世界の構図です。私たちの運動は、その構図を現象世界に表す運動ですから、世界平和実現の運動であるわけです。それも、単なる政治的な平和ではなく、宗教心において、地理的な関係において、民族関係において、文化において、世代間、生物間の関係において、運動組織において、平和が現れるのが目的です。(以下略)』

 “森の中のオフィス”の「万教包容の広場」に大きなご神像がありますが、その後ろに毎年1基づつ増えて、今日で5基の七重塔が並びました。

  先生のお言葉のように、“神の御心”に「宗教」、「大陸」、「民族」、「文化」、「世代」、「生物種」、「拠点」が中心帰一する時、平和が実現するという訳です。宇宙唯一絶対にして無限の大愛なる“神の御心”に中心帰一することが一番大切ですね。

 この後、旧約聖書の『創世記』にある「バベルの塔」の物語について、総裁先生は、この物語を歴史的事実としてではなく、象徴的な物語として解釈して、「言語がバラバラになる」ことは、「共通語を失う」ということ、さらには「世界への共通認識や共通理解を失う」ことを意味するとご指摘されています。

 そして先生は、最後を次のように結ばれています。

『“旧い文明”は「自然から奪うことで人間は栄える」という思想に動かされていて、相当の発達をとげていますが、結局、自然を破壊することで人間同士が破壊に向かう方向に進んでいます。“新しい文明”はこれとは逆に、「自然に与え返すことで人間は幸福になる」という信仰にもとづくものです。それは「奪うものは奪われる」という方向にではなく、「与えるものは与えられる」という方向に心の法則を働かせる運動です。これによって万物調和、万教包容の道が開かれ、本当の意味での世界平和が実現します。つまり、七重塔は、バベルの塔の間違いを正す実相顕現運動の象徴であります。

 そういう広大で、壮大な計画の基盤となる「万教包容の御祭」を今日、皆さまと共に、親しく執り行わさせていただけたことを、心から感謝申し上げます。これをもって私の本日の所感といたします。』

 「与えよ、さらば与えられん」が「心の法則」です。「奪え」ば「奪われ」ます。多くの人に愛を施せば、自ずから愛が巡り巡ってその人の元へと還ってきます。自然も同様で、自然に調和し、貢献したとき、自然からも大きな恵みを得ることが可能です。

 近代の歴史や文明は、あまりにも「奪う」ことだけに終始していたのではないでしょうか。与える精神で、「神・自然・人間の大調和」した世界の実現を目指すことほど大切な事はありませんね。

 総裁先生のブログ『唐松模様』の「2017年7月7日(金) 自然に与え返す“新しい文明”に向かって」ぜひ、全文を熟読・味読ください。

 なお、 「万教包容の神示」をはじめ、 生長の家創始者・谷口雅春先生に天降った33の神示は、 『御守護 神示集』(日本教文社刊)に収録されています。

        (牧野尚一:H29.07.07)

2017年7月 4日 (火)

功徳に充ち満ちている世界

 生長の家創始者・谷口雅春先生には沢山のご著書がありますが、その一冊に『光明道中記』(日本教文社刊)があります。
  1月1日から12月31日まで、365日に珠玉の真理のお言葉が綴られています。

 七月の章は「浄行(じょうぎょう)ととのう」です。

 『七月一日 ただ有り難い日』(p.205)には、次のようにあります。

『梁(りょう)の武帝(ぶてい)は仏心天子(ぷっしんてんし)と呼ばれるほどの信仰深い皇帝であって、「放光般若経(ほうこうはんにゃきょう)」を講じたときには、奇瑞(きずい)があらわれて天から葩(はなびら)がサンサンと降り、地が黄金に変じたと言われている位である。
その位の武帝であっても、まだ本当の真理が判っていなかったのである。当時有名な達磨大師(だるまだいし)が梁の国へ渡来したというので武帝は早速(さっそく)達磨大師を迎えて教を聴いたのであった。
「朕(ちん)は仏教信仰に篤(あつ)く、これまで寺や仏像や僧侶に対して供養(くよう)したことは実に夥(おびただ)しいものがございます。斯(こ)うした供養の功徳(くどく)は如何(いか)ほどあるものでございましょう」
「無功徳」発止(はっし)と達磨大師の霹靂(へきれき)のような返事があった。功徳をもとめて供養するが如きはまだ本当ではないのである。功徳は心の眼(まなこ)を開いて見たときに到(いた)るところに満ちているのである。天から葩が降り、地が黄金に変ずるが如きのみが功徳ではない。当り前に今日も空気を呼吸(いき)している、当り前に顔が洗える、当り前に御飯が戴(いただ)ける、それが功徳である。心の眼を開いて見れば到るところ神恩仏徳(しんおんぶっとく)が充満している。吾等は実に宏大無辺(こうだいむへん)の天愛につつまれているのだ。』

 宗教の世界は霊々妙々、涼風の吹くような誠に爽やかな世界ですね。

 「ただ」が尊いのですね。「ただ生かされている」「ただ与える」「ただ感謝」「ただ合掌」の世界ですね。

  功徳が無いのではなく、功徳に充ち満ちている世界だと気づくことが大切ですね。
 太陽の光がある、空気がある、水がある、植物がある、森がある、山がある、緑がある、動物がいる、家族がいる、食物がある、職場・学校がある、社会がある、国がある、世界がある、地球がある、宇宙がある・・・

 神の愛に充ち満ちた世界に、ただただ神の愛に生かされ、満たされてあるのです。

 もう恵まれすぎて、ただただ感謝、ただただ合掌あるのみですね!

 七月の章「浄行(じょうぎょう)ととのう」は、達磨大師はじめ慧可(えか)、僧璨(そうさん)、道信(どうしん)、弘忍(こうにん)、慧能(えのう)、越州(じょうしゅう)といった禅師の逸話(法話)が多数紹介されていて、一言一句に教えられます。

 『七月十四日 平凡淡々(へいぼんたんたん)有(あ)り難(がた)き日』(p.218)には、次のようにあります。

『或る時、越州(じょうしゅう)和尚は弟子たちに示して、「至道無難(しいどうぶなん)、唯揀択(けんじゃく)を嫌(きら)う」と教えた。至道は大道(たいどう)である。天地の道である。無難は、難かしいことは何もないと云うことである。天地の大道は何もむつかしいことはない、平々凡々(へいへいぼんぼん)のところに天地の道があるのである。或る小学生は、眼鏡を割ったら前方が見
えないで家へ帰れないから、親に学校へ迎えに来て貰ったと云う程に強度の近眼であったが、或る生長の家誌友に、朝起きたら自分の寝床を自分で畳(たたむ)むこと、机の上を綺麗(きれい)に始末(しまつ)すること、父母に毎朝、洗顔の水を金盥(かなだらい)に汲むことの三つを実行するように教えてそれを実行せしめたら、その近眼が癒えてしまったのである。
 まことに平々凡々が道なのである。ただ「揀択」――あれが好き、これが嫌いと、揀(え)り択(この)みをすることが可(い)かぬのである。そのまま素直になったとき、万事(ばんじ)が道にかなうのである。
 道は病気になるものではないから、吾々の生活が平々凡々何の変哲もないところに無限無尽の有難さが感じられるようになれば、その生活は道に乗ったのであるから、病気は自(おのずか)ら癒えるのである。』

  これも、「ただ」がありがたい、「ただ」が大切だと教えていただいています。

 この中で、小学生に勧めた三つの実行の中に「父母に毎朝、洗顔の水を金盥(かなだらい)に汲むこと」、即ち両親への感謝行が大切であることが示唆されていますね。近眼が癒える癒えないとか、功徳があるとかないとかではなく、両親への感謝行そのものが大事と教えていただいています。そしてそれこそが平々凡々、当たり前の道なのですね。

 「生長の家」の『大調和の神示』(昭和六年九月二十七日夜神示)に、

『汝ら天地一切のものと和解せよ。天地一切のものとの和解が成立するとき、天地一切のものは汝の味方である。天地一切のものが汝の味方となるとき、天地の万物何物も汝を害することは出来ぬ。汝が何物かに傷つけられたり黴菌や悪霊に冒されたりするのは汝が天地一切のものと和解していない証拠であるから省みて和解せよ。われ嘗て神の祭壇の前に供物を献ぐるとき、先づ汝の兄弟と和せよと教えたのはこの意味である。汝らの兄弟のうち最も大なる者は汝らの父母である。神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ。』

 とありますように、両親への感謝、その具体的な実践ほど大切な事はありませんね。
 私も、いつの間にか両親の逝去した年齢より上になってしまいました。
  しかし、両親を想う時、私は忽ち40代、30代の自分、20代、10代、それ以前の幼い自分にも戻ることが出来ます。
 感謝の思いで両親を想う時、一遍に若返ることも出来るのですからありがたいですね。

 観世音菩薩そのままの両親でありました。慈悲慈愛の慈父・慈母でありましたので、毎日お仏壇にお参りし、真理の言葉を拝読するたびにただただ感謝の思いでいっぱいです。
 人間生命の生き通しを教えられていますので、いつも父母と偕にありますので、ただただありがたいですね。

『(中略)われは全ての総てであるからすべてと和解したものの中にのみわれはいる。われは此処に見よ、彼処に見よと言うが如くにはいないのである。だからわれは霊媒には憑らぬ。神を霊媒に招んでみて神が来ると思ってはならぬ。われを招ばんとすれば天地すべてのものと和解してわれを招べ。われは愛であるから、汝が天地すべてのものと和解したとき其処にわれは顕れる。』

 と神示にありますように、『われ(=神)』は愛ですので、『汝が天地すべてのものと和解したとき其処にわれは顕れる。』とあります。両親に感謝し、天地一切のもの、人にも大自然にも和解し、感謝し、それを行として実践した時、そこに『われ(=神)は顕れる』、即ち、神の世界がそこに実現するという訳です。

 すばらしい真理に充ち満ちた『光明道中記』 、ぜひ熟読・味読ください。

谷口雅春先生に天降った33の神示は、 『御守護 神示集』(日本教文社刊)に収録されています。

        (牧野尚一:H29.07.04)

※以下の紹介文は、 日本教文社HPからの転載です。

◎『光明道中記』谷口雅春 (著) 日本教文社刊
  新選谷口雅春法話集 (5)

  定価 本体1,752円(税・送料別) 造本形式46判/布装上製 ページ数404
  ISBN 9784531011056 

【商品の説明】
 生長の家の教えを生活に実践すれば生き甲斐が深まり、希望は成就し、毎日の生活が明るく楽しいものとなります。その真理を365章に分け、1日1章ずつ日記風に綴った光明生活への道しるべ。

【商品の目次】
一月 いのち立つ春
二月 天地そろう
三月 万物めぐむ
四月 相倚りたすける
五月 聖泉湧き出ず
六月 神にむすばる
七月 浄行ととのう
八月 烈日に伸びる
九月 こころ極まる
十月 その身まったし
十一月 もみじ輝く
十二月 すべてを拝がむ

【著者プロフィール】
谷口雅春

 「生長の家」創始者。明治26年(1893)11月22日、兵庫県兵庫県八部郡烏原村(現在の神戸市兵庫区)に生まれる。旧名=正治。大正3年(1914)、早稲田大学文学部英文科中退。求道生活に入る。昭和5年(1930)3月に「人間・神の子」善一元の世界、万教帰一の啓示を受け、この真理を万人に伝えたいとの悲願の下に個人雑誌「生長の家」誌を創刊。これが生長の家のはじまりである。以後、同誌の普及と共に、教化団体「生長の家」を経て、宗教法人 「生長の家」へと発展。上記、雑誌記事をまとめた『生命の實相』は通算1,900万部を超え、今なお多くの人々に読み継がれている。このほか『真理』(全11巻)『谷口雅春著作集』(全10巻)『新選谷口雅春選集』(全20巻)『新選谷口雅春法話集』(全12巻)『法華経解釈』『人生読本』等、400冊以上の著書がある。また神示には「七つの燈臺の點燈者の神示」などがあり、霊感に導かれて綴った自由詩(のちにお経となった)「甘露の法雨」「天使の言葉」などがある。昭和60年(1985)6月17日、ご逝去(満91歳)。

2017年6月26日 (月)

初夏の鎌倉

 先日、家内が初夏の鎌倉を散策しました。

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2017年6月20日 (火)

地球環境問題への取り組み

 「生長の家」では、その教えに基づき地球環境保全に向けた具体的な取り組みを積極的に推進しています。そして2001年7月に、生長の家本部事務所(当時東京・原宿)と生長の家総本山(長崎県西海市)がISO14001認証を取得したことに始まり、7年をかけて全国の生長の家教団の各事業所が順次認証取得し、2007年7月には日本国内にある64法人の布教施設(事業所)と2つの関係法人の合計66のすべてが環境マネジメントシステム・国際規格ISO14001の認証取得を完了しました。

  更には、2009年12月にブラジル伝道本部が、2010年11月にアメリカ合衆国伝道本部が、そして2011年8月には中華民国伝道本部が、それぞれ認証を取得しました。
 詳しくは、生長の家公式HPの『環境保全』をご覧ください。

 以下に、 《生長の家環境方針》をご紹介しておきます。

【基本認識】

 地球環境問題は、その影響が地球規模の広がりを持つとともに、次世代以降にも及ぶ深刻な問題である。今日、吾々人類に必要とされるものは、大自然の恩恵に感謝し、山も川も草も木も鉱物もエネルギーもすべて神の生命(イノチ)、仏の生命(イノチ)の現れであると拝み、それらと共に生かさせて頂くという宗教心である。この宗教心にもとづく生活の実践こそ地球環境問題を解決する鍵であると考える。
 生長の家は、昭和5年の立教以来、“天地の万物に感謝せよ”との教えにもとづき、全人類に万物を神の生命(イノチ)、仏の生命(イノチ)と拝む生き方をひろめてきた。
 生長の家は、この宗教心を広く伝えると共に、現代的な意味での宗教生活の実践と して環境問題に取り組み、あらゆるメディアと活動を通して地球環境保全に貢献し、未来に“美しい地球”を残さんとするものである。

【行動指針】

1.啓発活動の実施
 職員全員に対して、地球環境問題への深い認識を持ち、環境に配慮した活動を進めるよう教育・啓発活動を行う。また、布教活動を通じて、多くの人々に自然と人間との一体感を醸成し、地球環境問題の改善に貢献する生き方を推奨する。

2.自然生態系への配慮
 吾々は「いのちを大切にし、植物も、動物も、鉱物も、全てを神・仏の現れとして、拝む心になることが大切である」との宗教心に基づき、国内外におけるさまざまな布教・事業活動を展開するにあたり、自然生態系への影響に配慮する。また、動植物類を護り、豊かな自然を保持することに努める。

3.環境負荷の軽減
 吾々は地球温暖化、オゾン層破壊、大気汚染、水質汚濁、土壌汚染などの環境問題の改善に貢献することを目指す。その一環として自然界のクリーンなエネルギーを使う文明社会に進歩向上する努力を一層強力に推進することが極めて肝要であるとの考えに立ち、太陽光発電装置等の設置、植樹、低公害車の導入等に積極的に取り組むものとする。

4.廃棄物の削減、リサイクルの促進
 吾々は廃棄物の発生を減少させ、最終廃棄物の量を削減することを目指す。生かすべき物は生かして使い、古くなった物の中にも、まだ充分使える物は再使用し、使えなくなった物は可能な限りリサイクルする。これは「あらゆる物に感謝する」という心を実践するものである。

5.省資源、省エネルギーの促進
 持続可能な発展を遂げるには、自然との調和が大切であり、枯渇が懸念される資源の消費を削減し、化石燃料や電力などのエネルギー使用の削減を行うことが必要である。吾々は、資源やエネルギーも神・仏の現れであるとの考えに立ち、「自制」と「自己訓練」によってむやみに資源やエネルギーを消費しないよう努める。

6.グリーン調達の促進
 物品やサービスの調達にあたっては、環境問題を考慮して選択する。

7.環境関連諸法規等の遵守
 環境関連法規や条例、地域協定を遵守する。また、受け入れを同意した環境関連の取り決めがある場合はそれを遵守する。

8.環境管理体制の充実
 環境管理体制を整備し、各部門に目的・目標を設定させ、それを見直させることにより、地球環境保全活動の一層の充実を図り、継続的改善に努める。

9.周知と公開
 環境方針は、職員向けホームページ等を通じて全職員に周知する。また、外部へもインターネット等を通じて公開する。

 以上です。

 「生長の家」の「大調和の神示」にありますように、 「生長の家」は「天地一切のものに和解し、感謝する」教えです。 「生長の家」の地球保全活動の根本はそこから出発しています。詳しくは、生長の家総裁・谷口雅宣先生が下記のご著書等で詳しくご指導くださっておりますので、ぜひ熟読・味読ください。

◎『今こそ自然から学ぼう 人間至上主義を超えて』

◎『足下から平和を』

◎『次世代への決断--宗教者が “脱原発”を決めた理由』

◎『宗教はなぜ都会を離れるか?――世界平和実現のために』

 ところで、国内外で地球環境保全に向けて積極的に取り組んでいる宗教団体は「生長の家」だけではありません。 「立正佼正会」さんも2010年にISO14001認証を取得されておられます。

 世界に眼を向けてみますと、現在世界で最も宗教人口の多いキリスト教(約22億人)の更にその半数を占めるというカトリックのフランシスコ・ローマ教皇が、2015年5月に環境回勅『ラウダート・シ ともに暮らす家を大切に』を出されて、大きな話題となりました。

 このように国内外の宗教者が地球環境問題へ積極的に取り組んで行く時、地球環境問題も更にまた大きな前進がもたらされるに違いありません。世界の国々で、また世界のいたる所でこの課題に積極的に取り組んでおられる方々に感謝です。

        (牧野尚一:H29.06.20)

※以下の紹介文は、 日本教文社HPからの転載です。

◎『今こそ自然から学ぼう 人間至上主義を超えて』谷口雅宣 (著)
  定価 本体1,238円(税・送料別)  造本形式46判/上製  ページ数372
  ISBN 9784531059010  宗教法人「生長の家」刊/日本教文社発売

【商品の説明】

 自然への拷問は人への拷問だ!

 手遅れになる前に今、宗教家が言うべきことは――人間は調和した自然の一部、精子・卵子の操作をするな、子を選んで生むなかれ、人の胚の利用はやめよう、死亡胎児を利用するな、卵子・精子・受精卵の提供はやめよう……
 

【商品の目次】

第1章:宗教はなぜ“環境”や“遺伝子”に関わるか
第2章:地球環境問題への宗教的視点
  1.今こそ「大調和の信仰」を広めよう
  2.地球温暖化は一服したか?
  3.「与える」生き方へ転換しよう
第3章:自然のバランスと遺伝子組み換え作物
  1.除草剤耐性作物を考える
  2.GM作物は本当に大丈夫か?
第4章:動物の命を考える
  1.狂牛病の教えるもの
  2.再び狂牛病について
  3.動物の命はどうでもいいのか?
  4.人間らしい生き方とは
  5.肉食忌避のもう一つの理由
  6.生物界の“暴君”の座から降りるために
第5章:生命操作技術に欠けているもの
  1.子は親の道具になる?
  2.優生社会の到来を憂う
  3.ヒトの遺伝子組み換えは始まっている
  4.人の胚の利用をやめよう
  5.ES細胞利用の倫理性を問う
  6.「クローン胚」を考える
  7.命のネコババはやめよう
  8.潜在力を引き出す医療へ
  9.卵子提供を考える
  10.父を探す人々
  11.世代間倫理の視点をもとう

【著者プロフィール】
谷口雅宣

1951年、東京都生まれ。青山学院大学法学部公法学科卒。米国コロンビア大学修士課程修了(国際関係論)。産経新聞記者として横浜勤務を経て1990年、生長の家副総裁。2009年、生長の家総裁に就任。著書に『大自然讃歌』『観世音菩薩讃歌』『万物調和六章経』『宗教はなぜ都会を離れるか?ー世界平和実現のために』『生長の家ってどんな教え?』『次世代への決断』『“森の中”へ行く』(共著)『衝撃から理解へ』『日々の祈り』(世界聖典普及協会発売)短編小説集『こんなところに…』『今こそ自然から学ぼう』『太陽はいつも輝いている』『日時計主義とは何か?』(世界聖典普及協会発売)『目覚むる心地』『心でつくる世界』『ちょっと私的に考える』『神を演じる前に』(以上、いずれも生長の家刊)、『秘境』『神を演じる人々』(以上、日本教文社刊)、『小閑雑感シリーズ 全20巻』(世界聖典普及協会発売)、翻訳書に『叡知の学校』『もう手足がなくたって』(日本教文社刊)など多数がある。ブログ=「唐松模様」を執筆している。

 ☆『今こそ自然から学ぼう』の電子書籍版

◎『次世代への決断--宗教者が “脱原発”を決めた理由』谷口雅宣著
  定価(本体1524円+税) 生長の家発行/日本教文社発売
  四六判・上製・400ページ ISBN 978-4-531-05907-2 C0030

●地球温暖化、気候変動、放射能汚染の根因は 人類の欲望にある――
 次世代のために自然と調和した文明を構築するための道を示す希望の書。

 本書は、宗教法人として初めてISO14001を取得し、環境保全活動に力を入れている生長の家の総裁が、東日本大震災にともなう東京電力福島第一原子力発電所の事故を受けて、宗教者の立場から原子力発電の問題点を明らかにし、“脱原発”を決めた論考、講演録等をまとめたものです。
 著者は、自然界を汚染する放射線や原子炉の技術的な問題、原子力ムラの歪みなど、原発の危険性や弊害を指摘し、さらに現在の気候変動や原発を生んだのは人類の欲望であるとし、今こそ“脱原発”へと踏み出して、欲望を基礎とする現代文明を転換することが、次世代の子や孫のための責任ある決断であると訴えます。
それでは来るべき文明とはいかなるものか。著者は本書のなかで宗教的立場から自然の背後に人間以上の価値を認め、人間だけでなく、自然のすべてのものに愛を行じる生き方や、効率優先の生き方から自然との一体感を深める生き方への転換を促します。
本書は、“脱原発”からすべての生物が共存共栄する“新しい文明”の樹立へと導く人間の心のあり方と生き方を明示する、深い問題提起を含んだ一冊です。

 著者は、本書の「はしがき」で次のように述べています。

『私は、本書の読者が、人類のいま置かれている状況を理性によって正しく理解され、原発に依存する“エネルギー中毒”の生活から遠ざかる道へと、決然として歩み出されることを願ってやまない。それが、私たちの子や孫世代のための責任ある決断だと考える。そのような道の一つとして、本書では宗教的な立場から「自然の背後に人間以上の価値を認め、自然物に四無量心を行じる生き方」を提案している。』

【目次】
はしがき 

序 章 人類の欲望が生んだ気候変動と原発

第二章 大震災、原発事故の教訓

1 歓喜への道
2 大震災の意味を問う
3 原発事故から何を学ぶべきか
4 “新しい文明”の構築へ

第三章 自然と共に伸びるために(講演録)
1 万物に感謝する生き方をひろげよう
2 日時計主義は新文明の基礎
3 大震災のメッセージを聴く
4 死もまた教化(きょうげ)する
5 原子力エネルギーの利用をやめよう

第四章 現代文明転換への視点(講演録)
1 「自然を愛する」ことの本当の意味
2 “めんどくさい”が世界を救う

第五章 自然との大調和と日本の新生を祈る
 自然と人間の大調和を観ずる祈り
 新生日本の実現に邁進する祈り

◎『宗教はなぜ都会を離れるか?――世界平和実現のために』谷口雅宣著
  定価(本体1389円+税) 生長の家発行/日本教文社発売
  四六判上製/388頁 ISBN 978-4-531-05912-6 C0014

 人類社会が「都市化」へと偏向しつつある現代において、生活の中で「都市」と「自然」のバランスを取ることの必要性を詳述。宗教は今こそ都会を離れ、自然に還り、世界平和に貢献すべき時期に来ていると強調している。

 本書の中で著者は、世界の人類の半数以上が都市生活者となるなか、人間社会の「都市化」への偏向が、人間社会への影響をはじめ、資源・エネルギー問題、環境問題など、現代の様々な問題を生む大きな原因の一つとなっていると指摘する。

 また、わたしたち現代人は生活のなかで「都市的要素」と「自然的要素」のバランスを取る必要性があることを詳述。

 さらにキリスト教、イスラーム、仏教における都市と自然との関係を紹介しながら、宗教が都会から自然へと活動の本拠地を移すことによって、宗教本来の役割を深めていったことを紹介し、今こそ宗教が都会を離れ、自然に還り、世界平和に貢献する本来の働きを遂行するべき時期に来ていることを強調している。

 そして、生長の家の対社会的運動の変遷や、現在取り組んでいる自然と人間とが大調和した新しい文明の実現を目指す運動、肉食忌避の運動についても詳しく述べている。

【目次より】
はしがき

第一部 宗教は動く
 第一章 運動の変化について
 第二章 神・自然・人間の大調和に向けて

第二部 新しい文明の実現を目指して
 第一章 偏りのない文明の構築へ
 第二章 対称性の論理を学ぶ
 第三章 宗教における都市と自然
 第四章 「ムスビ」の働きで新価値を創造しよう
 第五章 なぜ肉食から遠ざかるべきか?

参考年表

※以下の紹介文は、 世界聖典普及協会HPからの転載です。

◎『足元から平和を』谷口雅宣(著) 宗教法人「生長の家」刊
  定価 1,646円 (本体 1,524円+税)  四六判・上製/378頁
  ISBN 4-915759-09-1

【内容紹介】 

 科学技術の急速な進歩は、人間の生活に豊かさを与える一方で、地球温暖化などの環境問題、エネルギー源となる埋蔵資源の多い国々での紛争など、地球規模でのさまざまな問題を引き起こしてもいる。こうした時代にあって信仰者はどう生きればいいのか。
 著者は、本書「自然尊重は平和への道」の中で、植林活動でノーベル平和賞を受賞したケニア人女性を紹介され、平和を実現することと自然界を尊重し、地球を傷つけないということとは密接な関係があるとご説示。「地球上の生命と人間とは皆一つの作品として一体であるという、より大きな広がりをもったメッセージを同時に伝えていくことが大切」と生長の家の“すべては一つ”の教えが世界平和実現に欠かせないことを強調されている。
 平成15年から17年までの全国大会や式典などでのお言葉11本とインタビュー2本が収録されている本書は、『信仰による平和の道』の続編ともいうべきもので、信徒はもとより、グローバルな時代を生きる現代人必読の一冊。

【目次より】
第一章 環境・資源・平和
 1 ムダなものは一つもない
 2 平和のためにできること
 3 万物の背後に“仏”を見る生活
 4 内なる神性・仏性を輝き出そう
 5 “沈む島”が教えるもの
 6 人類の霊的進歩を目指して
 7 自然尊重は平和への道
 8 善は必ず現われる
 9 明るい人生を創造しよう

第二章 科学と宗教をめぐって
 1 もっと良心を表現しよう
 2 神意に基づいて生きること
 3 “心的真実”を求めて
 4 神と人との“境界”をめぐって

●本書籍の第一章の2「平和のためにできること」と同じ内容の講話を収録したCDも好評発売中です。
 講話CD『足元から平和を』

                                     以 上

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